第七話 ミーア姫、決闘を快く受け入れる!
本日、夜、活動報告更新します。
「はて……? 大きい方というと……」
ああ、そう言えばルヴィがそんなフェチだと聞いた気がするなぁ、などと思いつつ、ミーアは自らの皇女専属近衛部隊の人員を思い浮かべる。
その中で、該当するのは……、
「もしや……バノスさんのこと、ですの?」
問いかけに、ルヴィはうっとりとした顔で頷いた。
「そう。私は彼が欲しい。ああ、彼に我がレッドムーンの私兵団を率いてもらえたら……」
――でぃ、ディオンさんを止められる唯一の良心ではございませんのっ!? あの方を失ったら、わたくし、心の安定を維持できませんわ。引き抜きとか、ありえませんわっ!
仮に、この勝負に乗るとして……、なにを賭ければバノスと釣り合うだろうか……。
しばし検討するが、ミーアはその答えを見いだせなかった。
ミーアの中で、天秤が一気に傾きかける。勝負を引き受けないという方向に。
――ぐぅっ……しっ、しかし、馬龍先輩との関係が……。なっ、なんとか、しなければ……、どうすれば……。
窮地に陥ったミーアの脳が、急速に活性化する。
どうすればこの危機を乗り切ることができるのか……。
思考の時間はせいぜい数瞬。されど、ミーアの叡智はここで、一つの真理に到達する!
それは、そう……、決闘を成立させるのに、必要にして不可欠な法。
すなわち……なにかを賭けた勝負事というのは"賭ける物が等価"でなければ成立しないという究極の真理。誰が安い金銭のために命をチップとして賭けのテーブルに乗せるだろう?
命を懸けた勝負の場合には、勝利によって得られるものは、命と同等、あるいはそれ以上の価値を持つものである必要があるのだ。
ミーアは朗らかに笑った。
その真理にこそ到達してしまえば、あとは逃げ出すのは容易。
――わたくしが断るのではなく……、相手に断らせればいいのですわ! ふっふっふ、存分に吹っ掛けてやりますわ!
即座に作戦を組み立て、満を持してミーアは口を開く。
「勝負を引き受けること、それ自体は構いませんけれど……、もしも、わたくしが勝った場合には…………どういたしますの?」
「無論、姫殿下が望まれる者を差し出しますとも」
その答えにミーアは、ニンマリしそうになるのを懸命にこらえて、しかつめらしい顔を作ると、
「では、そうですわね……。わたくしは、あなたの……剣を所望いたしますわ」
「え……?」
ルヴィは、きょとん、と瞳を瞬かせた。
「それは……あの、どういう意味でしょうか?」
「言葉の通りですわ。レッドムーン家は武門の家。その家に生まれし者は男も女も剣術を叩き込まれる。剣をなによりも大切とし、誇りとする家柄なのでしょう?」
「つまり……、私が負ければ、剣を捨てよ、と」
そう、ミーアが差し出せと言っているものは、まさにそれだった。
ルヴィの最も大切なもの、誇りである剣。それをベットしろと、ミーアは言っているのだ。
――ふふん、レッドムーンの良兵集めとは言っても、しょせんはコレクション感覚のはず。きっと、これも、軽い戯れのつもりで持ち掛けてきた勝負に違いありませんわ。
そもそも……、とミーアは冷静に分析する。
公爵家の令嬢が皇帝の娘たるミーアに堂々と表立って決闘を申し込んでくることなど、あり得るだろうか? 否、あり得ない。
そう、ティアムーン皇帝の権勢は未だに健在なのだ。
自分にルヴィが「本気の決闘」を申し込んでくることはあり得ないはずだ。
であるならば、彼女の言っている決闘を、どのように解釈すればよいだろうか……?
――本気の決闘でないのならば、それは、あくまでも軽い戯れ……お遊びということになりますわ。
そうなのだ、それがあり得るとするならば、それは決闘と銘打ったお遊びに過ぎないはずなのだ。
考えてみれば、ルヴィが差し出せと言っている人物……、バノスは、なるほど、ミーアにとっては重要な人物である。けれど、客観的に見れば、彼はあくまでも庶民。一兵士に過ぎないのだ。
一庶民の処遇をめぐっての勝負など、四大公爵家の者にとってはお遊びに過ぎない。
しかも、なにも命を差し出せと言っているのではない。帝国軍から公爵の私兵団への移動とはいえ、言ってしまえば、ただの帝国内の配置換えに過ぎないのだ。
――大方、わたくしが馬術大会に出ると知って、暇つぶしに遊んでみよう、ぐらいのつもりなのでしょうけど……。
ゆえに……そのようなお遊びに「命ほどに重い剣」、すなわち「自らの誇り」を差し出せと言われては、彼女も取り下げざるを得ないはずだ。
さらにさらに!
「解釈はご自由に。ですが、わたくしの兵は例外なくわたくしの大切な忠臣なのです。本来、それを賭け事の賞品のように扱うこと自体、不快極まるというもの。それでも、あなたがそれを求めるというのであれば、相応の覚悟をしていただきたいですわ」
単なるお遊びに、なんてものを求めやがる! というクレームを受けないよう、予防線もしっかり張っておく。
バノスは自分にとって大切なものなのだ! と主張しておくことで、相手にも、相応に重いものを求めることができるようにしておくのだ。
これはただのお遊びでは済まないが、それでもよろしいか? と、ミーアは脅しをかけたのだ。
――ふふん? どうかしら? たかが一兵士を自分のところに移籍させるためだけに、あなたの大切なものを懸けられて? やれるものなら、やってみるとよろしいですわ!
すべてをやり終えた爽快感に身を浸しながら、ミーアは満足げに息を吐き……、
「……わかりました」
「…………はぇ?」
ルヴィは、真っ直ぐにミーアを見つめてから、言った。
「私の誇り、魂でさえある剣を賭ける……、確かに、それでこそ、私の覚悟に相応しい」
涼やかな笑みさえ浮かべ、ルヴィは言う。
「それでこそ、決闘に相応しい。ミーア姫殿下、あなたのお覚悟はしかと受け取りました」
――え? え? 断らない? な、なんですの? この方、どんだけ大男好きなんですのっ!?
ミーアは、見誤っていた。
ルヴィの中にあるもの……。それが、単なる収集欲であると……。
レムノ国王のような、趣味の延長に過ぎないのだと……。
その気持ちが、もっと純粋で……身を裂くような思いであることなど……、その覚悟が、身を滅ぼしかねないほどに強い炎であることなど……。
想像もしなかったのだ。
「正々堂々、勝負です。ミーア姫殿下」
そうして、大きく頭を下げると、ルヴィ・エトワ・レッドムーンは颯爽とその場を後にした。
「……はぇ?」
残されたミーアは、ただ茫然と、その背中を見送ることしかできなかった。
――なっ、なぜ、このようなことに……?
しばしの忘我の時を経て後、ミーアは焦り始めていた。
――よ、よくよく考えたら……、イエロームーン公爵家も怪しいですけれど、レッドムーン公爵も信用できるわけではございませんし……。
なにも、混沌の蛇と関係している四大公爵家が一つだけとも限らない。ベルのいた未来世界では、四大公爵家は二対二で争っていたと言う。
――レッドムーンも混沌の蛇と関係があって、わたくしの戦力を削ぎに来たという可能性は大いに考えられますわ。ここでバノスさんを失いでもしたら、戦力ダウンはもちろん、ディオンさんを抑えるものがいなくなってしまう。
ミーアは、うぐぅっと唸った。
お腹を押さえて、もう一度、うぐぐ、っと唸る。
「お、お腹が痛くなってきましたわ……。く、どうして、こんなことに……」
「はっはっは、いやぁ、嬢ちゃんもなかなか言うなぁ。格好良かったぜ」
一連のやり取りを横で見守っていた馬龍が、豪快な笑い声を上げた。
「まぁ、馬術部でも全面的に応援してやるから、頑張りな」
――うう、笑い事ではございませんのに。馬龍先輩、他人事だと思ってますわね……。
恨めしげな目で見つめるミーアをしり目に、馬龍は腕組みした。
「しかし、速乗り勝負だとすると、嬢ちゃん、『月兎馬』を乗りこなさないとなんねぇな」
「……月兎馬……? はて、それはなんですの?」
「その名のごとく、月の兎のごとく、速き馬のことだ。歴史上に出てくる有名な騎士なんかは、大抵この馬に乗ってる。早馬って呼ばれるのも大体が、月兎馬のことなんだ。馬術部の飼育小屋にいるのは二頭なんだが……。一頭は今、出産を控えてて動けねぇんだ。もう一頭は……」
と、そこで、馬龍は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ああ、縁があるな。嬢ちゃん」
「はて? なんのことですの?」
「今、動ける月兎馬は、嬢ちゃんにくしゃみを吹っ掛けたあの馬だよ」
言われて思い出すのは、新入生ダンスパーティーの日の出来事で……。
「ああ、あの馬ですのね……」
ミーアは若干ひきつった顔で、飼育小屋に目を向けた。
設定
月兎馬
……赤兎馬ではない。
古くからこの大陸に存在している、強く速い馬。希少種であり、非常に高価。百人隊長クラスだと手に入らないので、ディオンは一般的な馬に乗っている。二匹も飼っているとは、さすがはセントノエル学園。
気性が荒い馬が多く、乗りこなすのは一苦労。だから、貴族の中でもこの馬を持っている者は結構少ない。
交配により、安価かつ乗りやすい馬が増えてはきているが、速さ、力強さの面から言えば、この馬に勝てる種類はない。頭がよく、しばしば人を馬鹿にするところも……。
ミーアがクシャミをぶっかけられたのは……、もしかすると、馬にからかわれた……のかもしれない。