第四話 その恨みの消費期限
さて……、アツいキノコ談義によりシュトリナとの親交を深めた後、ミーアはラフィーナの部屋を訪れた。
「ご機嫌よう、ラフィーナさま。ご無沙汰しておりますわ」
自室を訪ねてきたミーアを見て、ラフィーナはぱぁっと春の日差しのような、明るい笑みを浮かべた。
「まぁ、ミーアさん、お久しぶりね。どうぞ入って」
「……失礼いたしますわ」
対して、ミーアの表情は硬い。それも当たり前のことだろう。初代皇帝が、ラフィーナの天敵、混沌の蛇の陰謀に加担していたと報告しなければならないのだ。
――さすがにラフィーナさまであれば、先祖の罪は子孫の罪、なんてことは言わないでしょうけれど……。
それでも、気分の良いものではないだろう。
まして、今回話すべきことは、それではない。
――聖夜祭のこと、少しでも情報を得て、備えをしなければなりませんわ。なんとか、死の運命から逃れなければ……。
悲痛な覚悟を固めていたミーアであったが……。
そんなミーアの緊張を感じ取ったのか、ラフィーナは少し黙って、まじまじとミーアの顔を見つめてから、
「今、お茶を用意するわね。ミーアさんと一緒に食べようって思って、特製のベリーパイを用意してあるのよ」
「まぁっ! そのようなものが? いただきますわ!」
一気にテンションがV字回復したミーアである。
サクサク、ほろほろの甘いパイを食べて、ほふぅ、っと幸せなため息を吐く。幸せが口から漏れ出してしまったのだ。
「ああ、このパイ生地の甘みと、ステラベリーの酸味が絶妙ですわね。素晴らしいですわ。とっても幸せな気分になりますわね」
にっこにこ、と満面の笑みを浮かべるミーア。
そんなミーアを見て、ラフィーナも、嬉しそうな顔をする。
「ふふ、良かった。元気が出たみたいね。それで、良い夏休みは過ごせたかしら?」
言われて、ミーアは思い出した。自分がなんのために、ここに来たのかを。
「そうですわね……。とても有意義な夏休みだった、と言えると思いますわ……」
そうして、ミーアは話し出した。この夏のこと、あの島のことを……。
南の島での大冒険を楽しそうに聞いていたラフィーナだったが、初代皇帝の話になると、さすがに驚愕を隠せない様子だった。
「そう……。そんなことが……。まさか、ティアムーン帝国にそんな秘密があっただなんて……」
ラフィーナは思案顔で小さくため息を吐いた。
「話を整理しましょうか……。つまりはこういうことね? 大昔、大陸を追われた邪教集団がいた。後に混沌の蛇と呼ばれるようになる者たちは、ガレリア海の小島に身を潜め、そこでひそかに隠れ住んでいた」
「地下の神殿がございましたけれど、立派なものでしたわ」
暗闇でも光を得て、行動できるようにするあの工夫は……。あの島に暮らしていた者たちの技術の高さを窺わせた。
「その辺りのことを調べると、蛇のルーツがわかるかもしれないわね。その神殿の造りを調べれば、いつの時代のどういう建築様式に基づくものなのか、とか……」
ラフィーナは、しばし思案に暮れていたが……。
「そうして、島で生活していた彼らに、やがて転機が訪れる。それが、ティアムーン帝国の祖先である狩猟民族の者たちだった。初代皇帝に率いられ、同じく故郷を追われた彼らは、混沌の蛇の者たちと出会い、そして感化された……」
「それが、初代皇帝のみなのか、他の貴族たちもなのかは不明ですけれど……」
「受けた影響の深さも問題ね。果たして、初代皇帝は心の底から混沌の蛇に傾倒してしまったのか? あるいは、それを利用しようとしたのか……」
今までに出会ってきた陰謀に加担する者たちの中にも、白鴉のような者たちもいれば、ジェムのような者もいる。
「ティアムーン帝国という大国を造ってしまうような優秀な人だから、蛇の教義なり、考え方なり、信者なりを利用したとも思えるけれど……。逆に、自分の願望のために国一つを造ろうなんて、妄執的なところもあるから、蛇への強力な信仰を持ってしまったのかもしれない」
と、そこで、ラフィーナは小さく首を傾げる。
「それはそうと、ミーアさまのお父さま……、ティアムーン帝国の皇帝陛下は、そのことをご存知なの?」
「はて……お父さまが、ですの?」
ミーアは一瞬、頭に父親の顔を思い浮かべてから、
「それはあり得ませんわ」
きっぱりと断言する。
ミーアの中での、父に対する信頼は揺らぐことはない。そう、ミーアは心から信頼しているのだ。
「お父さまは、わたくしにどれだけ好かれるかしか、考えておられない方ですから」
父親の、ウザさを……!
娘に「パパと呼びなさい!」と命令してくるような父が、娘の命を危険に晒すような陰謀に加担するわけがない。
「うふふ、そう。お互い苦労するわね。もっとも皇帝一族が、そんな風になるなんていう計算違いのおかげで、こうして笑っていられるのだけど……」
ラフィーナは苦笑して、それから不意に黙った。
なにか、思いもかけないようなことに気づいてしまったかのように……、深刻な表情を浮かべている。
「どうかなさいまして?」
「いえ、別に大したことはないんだけど……、少しだけ思ったの。一から国を建てあげる、そんな能力の高い人が、そんな計算違いするかなって」
ラフィーナは、いったん間を置くように、紅茶に口をつけた。しばし、考えをまとめるためか、瞳を閉じて、黙ってから……。
「恨みは、幸福に上書きされるものよ、ミーアさん。もしも、皇帝となった時、それでもなお、人は先祖の復讐心を持ち続けて実現しようとするものかしら?」
ラフィーナの問うているのは、至極、まっとうなことだった。
例えばの話、父親が抱いた恨みを子が晴らすことは、あり得ないことではないだろう。祖父の恨みを孫が晴らすことだってあり得るかもしれない。では、曾祖父は? その先は……?
見たこともない先祖のために、復讐心を持ち続けることは、可能なのだろうか?
「しかも、それだけではないわ。自分で国を建てあげるということは、必然的に自らが民を従える、もっとも高い身分につくということ。現に、その人は初代皇帝となり、その血筋はミーアさんたちに受け継がれた。でも、国の頂点についた、二代目、三代目が、国を挙げて世界を滅ぼそうなんてするかしら? 自分が幸せなのに? それを壊してまで、先祖の恨みを晴らそうとするものかしら?」
自らの置かれている環境、それが幸せであればあるほど、先祖の復讐心を維持するのは難しい。そんなもの無視して、今を楽しんでしまえ! となる可能性が高いからだ。
初代皇帝の戦略は、最初から破綻していたと言っても過言ではない。
「それは計算違いかしら……、それとも、それすらも計画に入っているのか」
思案に暮れるラフィーナをしり目に、ミーアは……、
――いずれにしても迷惑な話ですわ! お父さまといい、ご先祖さまといい、まったくうちの一族は……。こんなだから、常識人のわたくしが苦労するのですわ!
などと、プリプリ怒っていた。
真の常識人であるルードヴィッヒの苦労が偲ばれる話である。
それはさておき……。
「あの、ラフィーナさま、それで、お願いがあるのですけれど……。ヴェールガ公国からあの島に人を送って、調べていただけないでしょうか?」
本来であれば、ティアムーンから調査団を送って詳しく調べたいところだ。しかしながら、初代皇帝の陰謀を知ってしまった今となっては、とてもではないが、それはできない。
「陰謀家の子孫がそれをするわけにはいきませんし……」
「そうね……。混沌の蛇のルーツがわかるかもしれない貴重な島だわ。我がヴェールガが動かないわけにはいかなそうね……」
ラフィーナに快く引き受けてもらえて、ミーアは少しだけ気持ちが軽くなる。
「助かりますわ。海図の手配なんかはエメラルダさんの方にも話を通しておきますわね……。ところで、ラフィーナさま、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あら? なにかしら?」
きょとん、と首を傾げるラフィーナに、
「この冬に行われる聖夜祭のことなのですけれど……」
ミーアはおずおずと言った。
「どのような準備をして、わたくしは何をすれば良いのか、早めに教えていただけないでしょうか?」
それを聞いて、ラフィーナは嬉しそうに微笑んだ。
「あら……、こんな時なのに生徒会長の仕事のことを考えてくれてるのね」
「もっ、もちろんですわ! ラフィーナさまに任されたことですから」
ミーアは誤魔化すように笑みを浮かべた。




