第一話 痩せる…………ミーア皇女伝が!
ギルデン辺土伯領を後にして、ようやく帝都に着いたミーアは、さすがに疲労の色を隠せなかった。
「ああ、遊びに出かけたはずなのに、なんだか、どっと疲れましたわ……」
などと色々言い訳をしつつ、ミーアは十日ほどベッドの上でゴロゴロ過ごした。
しかしながら、当然のごとく、そんなおサボりモードのミーアを放っておいてくれるほど、この世界は優しくなかった。
二日ほど経った頃には、ルードヴィッヒが訪ねてきて、帝国内の状況の報告を入れるようになった。
まぁ、それでもミーアはゴロゴロを止めなかったが……。
意地があるのだ……。ミーアにだって。皇女のプライドというものが……。
ゴロゴロすると決めた以上は、ゴロゴロするのだ!
「それにしましても……、帝国の食糧自給率の低さが、まさか、初代皇帝のせいだったなんて思ってもみませんでしたわ……」
ミーアは、改めてルードヴィッヒから渡された資料を流し見た。
「でも、あのギルデン辺土伯については、まだ、わからないではなかったですけれど……」
彼の所領は、農耕に向いていない気候ではあった。
貧しい領地をどうにかしようときちんと考えていたし、気持ちはわからないでもない。
「でも、ほかの貴族たちはこの状況を見ても、まだ農地を減らそうとしてるんですの? これでは、いずれ国が傾くなんてこと、わかりそうなものですけど……」
「人は、見たくないものは見えなくなってしまうもの。自分にとって都合のいいものだけに目を向けるものですから……」
ルードヴィッヒはため息まじりに首を振る。
「みながみな、ミーアさまのように、ありのままの情報に耳を傾けてくださればよろしいのですが……」
そんなルードヴィッヒにミーアは小さく首を振った。
「そんなことはありませんわ……。わたくしだって見たくないものを見ないことがございますわ……」
ミーアの中にあるのは苦い実感だった。なぜなら彼女もまた、そのミスをしてしまっていたからだ。
思い出すのは前の時間軸でのこと…………ではなかった。つい先日の、無人島での経験である!
――わたくしは……読むのが恥ずかしいから、ミーア皇女伝を、あまりまともに取り扱っておりませんでしたわ。
自分にとって都合の悪いもの、見たくないものを遠ざけた。過剰な脚色がなされていて参考にならないと、思い込もうとした。
その結果が、あの海での出来事だ。
――まさか、本当にあんな化物魚がいるだなんて、思ってもみませんでしたわ……。恐ろしい怪物でしたわ。あの背びれの大きさから考えるに、きっと口の大きさは、人間など容易く呑み込んでしまえるぐらいあるのではないかしら……。
ミーアの脳裏に、ギザギザの歯を備えた超巨大魚の姿が思い浮かぶ。
――あの事件はきちんと書いてありましたのに……。事前に知ることができたのに……、失敗でしたわ。もっと備えをしておくべきだった。運よくわたくしのところに来たから、わたくしの華麗なる一撃をもって倒すことができましたけれど、先にアンヌやエメラルダさんのところに行っていたら……。それに、もしもアベルが食べられていたら……。
自分の大切な人たちに危害が及んでいたらと想像するだけで、ミーアは背筋が寒くなる。
――こんなことではいけませんわ。もっとしっかりしなければ……。
気を引き締めるミーアである。
パンパンっと自ら頬を張り、思いっきり気合を入れる。
――二度と、あのような失敗はいたしませんわ。どれだけ不都合な真実があろうと、わたくしは決して目を逸らすことはいたしませんわ!
……ちなみに、こんなにシリアスになっているのだが……、ミーアが殴り倒したのは言うまでもなく、巨大人食い魚ではなく、ムーンボウである。
恐らく、海に棲む生物の中では、トップクラスに温厚なお魚さんである。
まぁ、なにはともあれ、ミーアは学園に戻ったらもう一度、皇女伝を読み直してみようと決めるのだった。
そうして、夏休みが終わり……、ミーアはセントノエルに帰還を果たした。
「お帰りなさいませ、ミーアお姉さま!」
部屋に入ると、元気のいい声でベルが出迎えてくれた。
心なしかツヤツヤ、ぷっくりした顔のベルを見て、ミーアは思わず息を呑む。
「まぁ、ベル、少し太りましたわね……」
「? そうでしょうか? えへへ、そんなこと、ないと思いますけど……」
ニコニコ笑うベルを見て、ミーアはため息を吐く。
――アンヌがいないからって、甘いものをたくさん食べてましたわね。リンシャさんは、少しベルに甘いのかしら……。まったく……。
まぁそれでも、出会った頃の悲惨な様子を思えば、こちらの方が全然いい、と思い直すミーアである。
「ベル、あなた、少し運動した方が良いですわ。わたくしと一緒に馬術部に入りなさい。それと、ダンスも教えて差し上げますわ」
「え? ミーアお姉さまが、教えてくださるんですか?」
「ええ、よく考えたら、冬に行われる聖夜祭でもダンスの時間があるでしょうし、わたくしの孫娘として、恥ずかしくないようにして差し上げますわ」
それを聞いたベルは、瞳をキラキラ輝かせて、ミーアを見つめてきた。
「ありがとうございます! ミーアお祖母さま! ボク、頑張ります!」
ミーアは、うむ……などと偉そうに頷いてから、
「あっと、そうでしたわ。それより、ベル、申し訳ないのですけど、あなたの皇女伝を少し見させていただいてもよろしいかしら?」
「え? はい、もちろんいいいですけど……」
不思議そうな顔をしていたベルだったが、すぐに自らの枕の下から一冊の本を取り出した……枕の高さ調節に使っているのだろうか?
――この子って、変なところで適当なところがありますわね。誰に似たのかしら……?
しきりに首を傾げるミーアである。
「どうぞ、ミーアお姉さま」
「ああ、どうもありがとう」
差し出された『ミーア皇女伝』を受け取ったミーアは、んっ? と小さく首を傾げた。
「あら……変ですわね……。なんか、心なしか、皇女伝が……痩せたような?」
以前は、もっと重かったような気がするが、今はミーアの日記の半分程度の重さしかない。試しに、指で厚さを図ってみるが、前より確実に薄くなっている気がする。
「変ですわね。ねぇ、ベル、これ、何ページか抜けてるのではなくって?」
ミーアは皇女伝を裏返して、詳しく観察を続ける。
――うーん、特に異常はないようですわね。
てっきり皇女伝の秘密を知った何者かがページを抜き取ったのかと思ったが、そんな痕跡はない。
どちらかというと、本自体が薄くなった印象なのだ。
それは、そう……まるで、最初から皇女伝が、この厚さで作られたかのようだった。
――不思議なことですわ……。これはいったいどうなって……。
本を開いたミーアは……、その深刻さにすぐに気づくことになった。
なぜなら……、皇女伝は、しっかりと終わりまで書いてあったのだ。
「なっ……こっ、これは……」
ミーアの人生を最初から最後まで書き記した皇女伝、その厚さが短くなるというのは、すなわち……っ!
「わっ、わっ、わたくしが、死ぬ……? こっ、この、冬に……!?」
ミーア・ルーナ・ティアムーン。享年十四歳。
聖夜祭の夜に殺される。