エピローグ 開戦の序曲
無人島を出港してから二日。
エメラルドスター号は、予定より少し遅れてガヌドス港湾国に帰港した。
港にはグリーンムーン公爵家の家臣団のほか、皇女専属近衛団の者たちも揃っていた。
「ああ、ようやく着きましたのね……。なんだか、文明の匂いがいたしますわ」
基本的に極めて豪華で、贅沢な船上生活を営むことができるエメラルドスター号ではあったが、ミーア的にはお風呂が楽しめないのが致命的だった。
そんなわけで、港についてホッとため息を吐いてしまうミーアであった。
どうやら、安堵したのはミーアだけではないらしく、二人の王子殿下も、従者の面々も疲れた顔をしていた。
さすがに無人島での暮らしは慣れない者たちには、相応の負担だったらしい。
唯一、エメラルダだけがツヤツヤした顔をしていたが……。
「ミーアさま、ご無事のご帰還、心からお祝いいたします」
船を降りて早々、ディオン、バノスを従えたルードヴィッヒが歩み寄ってきた。
「ああ、ただいま帰りましたわ……。なかなか大変でしたわ。ふぁあ……」
あくびを噛み殺しつつ、ミーアは、ルードヴィッヒの方に目をやった。
「積もる話は、また明日ということにして、今夜はエメラルダさんのところでのんびりさせていただきますわね」
「そうですか……。では、護衛として、ディオン殿とバノス殿がご一緒することを、許可いただきたく思います」
「はて……?」
一瞬、首を傾げたミーアであったが、直後、その鼻が危険な香りを察知する。
ルードヴィッヒの言に、わずかながらも緊張を感じ取ったのだ。
「……警戒すべき事態が起きた、ということですわね。わかりましたわ。エメラルダさんにお願いしてみますわね……」
ちなみに、ミーアのお願いは、エメラルダに二つ返事で了承された。
それどころか、ルードヴィッヒや他の皇女専属近衛兵たちも、館の中に泊まることも許可してしまったのだ。
以前からは考えられない協力的な態度に、ルードヴィッヒは察したのだ。
「……ああ、ミーアさまは……、ついにエメラルダさままで籠絡されたのか」
と。
そうして、一同は、ガヌドス港湾国内にあるグリーンムーン公爵家の別邸へと場所を移した。
ちなみに別邸には、海で泳いで帰ってきた時のために、小さいながらも浴場が備えられていた。
ということで、着いて早々、ミーアは湯浴みを楽しんだ。
それから、ふわっふわのガウンに着替えたミーアは、そのままベッドにダイブして足をパタパタさせていた。
「うふふ、ふかふかのベッド。ひさしぶりですわ」
などと、上機嫌に毛布に顔をモフモフ押し付けているところに、ルードヴィッヒたちが改めて訪ねてきた。
「まぁ、ルードヴィッヒたちが……。ふむ、確かに先ほどの感じは少し気になりましたわね。かまいませんわ、通して」
そうして、部屋に入ってきたのは、ルードヴィッヒとディオンの二人だった。
ルードヴィッヒは、お風呂上がりで、くつろぎモードのミーアを見て、少しだけ目を見開いた。
「これは……お疲れのところ、大変申し訳ありません」
「かまいませんわ。寝るには少しばかり早い時間ですし」
少しどころか、今はようやく夕方に差し掛かった時間だったが、ツッコミを入れる者はいなかった。無言で、ディオンが楽しそうに笑みを浮かべているのみであった。
「そうでしたか。実は、一刻も早くこのガヌドスについてお聞きいただきたいことがございまして、こうして参上した次第です」
「ええ、こちらもいろいろと話しておく必要がありますわ。まずは、そちらの話から聞かせていただこうかしら……」
そうして、ルードヴィッヒの口から語られたのは、ガヌドスに張り巡らされていた、極めて婉曲的な陰謀の話だった。
――あの帝国革命の裏に、そんな陰謀まであったんですのね……。
少なからず衝撃を受けつつも、今度はミーアが無人島で見たものの事を、ルードヴィッヒに話した。
正直、あれが本物かどうかはわからないし、今後どうしていくのがよいのかも、あまりわかっていないミーアである。
ここはぜひ、思考・考察担当であるルードヴィッヒに頼りたいところであった。
「……ミーアさまが見たという石板は、我々の祖先がガレリア海を越えてやってきたという説を実証するものと言えるでしょうね……」
ミーアの話を一通り聞いたルードヴィッヒは、深々とため息を吐いた。
それから、部屋に備え付けられていた机の上に地図を広げる。
「ミーアさまが発見なされた神殿が、恐らくはこのあたりの島でしょう。その先、ガレリア海を越えた場所の、いずれかの地より、我らの祖先は海を渡ったという説があります。理由は不明でしたが、その石板の文言を鑑みると、恐らくはなんらかの争いに敗れたのでしょう」
手ひどい被害を受けて、多くの犠牲を出したその者たちは、安住の地を求めて海を渡った。そうして、たどり着いたのがあの島だった。
「その後、疲れ果てて、すでに希望を失いかけていた者たちを鼓舞して、無人島から大陸へと渡らせたリーダー、それが、初代の皇帝陛下だった。そして、彼らがたどり着いた最初の土地が……」
「ガヌドス港湾国だった……か。なるほど」
ルードヴィッヒの話を引き継ぎ、ディオンが口を開いた。
「その時に、初代の皇帝陛下の頭の中には、ある程度の陰謀が形を成していた。だからこそ、いつでも切れる食糧供給ルートを確保するために、この地の者たちと密約を結んだ上で、肥沃なる三日月地帯に進んだ、か」
ルードヴィッヒは頷いてから、少しの間だけ黙り込んだ。
「あるいは、初代皇帝はこの地に信頼のおける者を残したのかもしれない。ガヌドス港湾国はこの地に住まう漁師たちがまとまってできた国だが、彼らをまとめ上げたのは、もしかしたら初代皇帝の縁者だった可能性もある。そして同じく、自らの信頼のおける側近だったイエロームーン公爵に、ガヌドス国王とともに、体制を作らせた」
「最古にして最弱の公爵。イエロームーン公爵家ですわね……」
そういえば、とミーアは思う。
自分の中には、イエロームーン公爵への印象はほとんどなかった。
その娘はセントノエル学園に通っていたはずだったが、にもかかわらず、そちらもまったくと言っていいほど、顔の印象がない……。
まるで、ミーアから姿を隠しているかのように。あるいは、印象に残らないよう立ち回ってでもいるかのように……。
「で、どうします? 姫さん。ここはいっそのこと、わかりやすく僕がいってサクッと……」
考え事に没頭していたミーアは、危うく聞き逃しそうだったディオンの言葉を聞きとがめる。
「そんなことしたら、大混乱ですわっ!」
仮にも星持ち公爵。帝国を代表する四大公爵家の一角なのだ。暗殺などされたら一大事である。
しかし、それ以上に、ミーア的には、そうしたくない理由がある。
そう、ミーアは自信があるのだ!
もし仮に、そんな大陰謀に携わる陰謀家が、ミーアと同じく過去の世界に飛ばされてしまったら……、まず間違いなく自分では勝てない。
だからこそ、ミーアは、できれば死なせずにことを収めたいのである。
「それに、来年には飢饉が来ますわ……。その時には、帝国内すべての貴族の助けが必要になる。ここでイエロームーン公爵を失っては、彼の派閥の貴族に無用な混乱を生むことになりますわ」
イエロームーンの派閥に連なるすべての貴族が黒であるならばわかりやすくてよいのだが、もしも、まともな貴族がいるなら、それを排除して混乱を生むことは、それはそれでイエロームーンの企み通りということになってしまうかもしれない。
となると……。
――理想はイエロームーン公爵家の中で、混沌の蛇の関係者のみを拘束して、血縁の者に後を引き継がせることですわ。公爵のみが、初代皇帝の意を受けて陰謀に加担しているというのであれば、とても楽でいいのですけど……。
ミーアはため息混じりに、首を振った。
「イエロームーン公爵ならびにその周辺への監視の強化。それと、彼らのどの層までが陰謀に加担しているのか、調べることができますかしら?」
ミーアの顔を見て、ルードヴィッヒは小さく頷く。
「ミーア姫殿下の仰せとあらば、この身に代えましても……」
かくて、戦いは始まる。
それはティアムーン帝国を縛る、初代皇帝の盟約を破棄するための戦い。
その結末がどこへ向かうのか、今はまだ誰も知らない。
第二部 導の少女 了 第三部 『月と星々の新たなる盟約』へ続く
本日、活動報告を更新予定です。
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