第百十四話 人それぞれの忠心(フェティッシュ)
一方、ミーアたちが地下にいる間、シオンたちが何をしていたかというと……。
話は、少し前に遡る。
エメラルダを探すべく、シオンとニーナは泉の周辺をくまなく見て回ってから、洞窟へと戻ってきた。
けれど、洞窟で待っているはずのアンヌの姿はなく、しかもミーアとアベルも帰ってこなかった。
「やれやれ……、ティアムーンの女性たちの間では、無人島で姿を消すのが流行ってるのか?」
そう軽口を叩いたシオンだったが、さすがに困惑を隠せていなかった。
戻ってきたキースウッドと合流したシオンは、とりあえず、所在のわかっているアンヌの行方を追った。そして、洞窟の奥が崩落しているのを発見してしまう。
さらに、ミーアたちの向かった先で、がけ崩れの痕跡を発見して、さすがに言葉を失った。
そんなシオンに、キースウッドの努めて冷静な声が届いた。
「もしここから落ちたのだとしたら……、下でケガをして動けなくなっているのかもしれません」
「ああ……、そうだな」
彼の指摘が何を意味するのか、わからないシオンではなかった。
仮にミーアたちが生きていたとしても、助け上げるのは、ほとんど不可能。
つまりは、ミーアたちが助かるのは絶望的であるということで……。
――いや、諦めるな。方法はあるはずだ。
膝を屈することなくシオンは、考えを巡らせる。けれど、いくら考えても助け出す方法は思いつかなくって……。
だが、その直後に状況は一変する。
浜辺で海岸線を見張っていたニーナが、小走りにやってきたのだ。
「エメラルドスター号が戻ってきました」
「なんだって? それならば、急ぎ船員の手を借りたい。縄があれば、あそこから降りていくこともできるかもしれない。まだ、希望を捨てるには早い」
そう思っていたシオンだったが、直後に入った続報で、さらに驚愕することになる。
「まさか、全員無事で、すでに船に乗っているとは……」
なにがどうなって、そのようなことになったのか……。シオンにはまったく理解できなかった。
「いったい、どんな魔法を使ったんだ? ミーアは……」
「すごかったんですよ! 巨大な人食い魚を殴りつけて倒してしまったんですから!」
船員の話を聞いたシオンは、再びつぶやく。
「…………いったい、どんな魔法を使ったんだ? ミーアは……」
ともあれ……、シオンたち三人が乗った小舟の空気は明るいものになった。
なにしろ、生存が絶望視されていた全員が、大したケガもなく、すでに保護されているというのだ。
自然、みなの口は軽くなった。
「それにしても、あなたも大変ですね。ニーナ嬢」
ふと思い出したといった様子で、キースウッドが言った。
「なんのことでしょうか?」
唐突にキースウッドに話しかけられて、ニーナは小さく首を傾げた。
「貴女の主であるエメラルダさまのことですよ。苦労が絶えないのでは?」
その問いに、ニーナは微かに首を傾げて、宙を見つめてから、
「そんなことはありません。楽しくお仕事をさせていただいておりますが……」
ニコリともせずに答える。
「え? いや、しかし、名前も呼んでもらえないようですし……」
「そこがいいんじゃないですか!」
食い気味に返ってきた答えに、一瞬、黙り込むキースウッド。そんな彼に、ニーナは小さくため息を吐いた。まるで、聞き分けのない子どもを優しく諭すように……。
「ベタベタしない、そういうドライなところがイイのです。そこがグッとくるのです」
……ちょっと何を言ってるのかわからない、という顔をするキースウッドとシオンであったが、ニーナは構わずに続ける。どうやら、エメラルダがこの場にいないのと、彼女が無事だったことで、テンションが非常に上がっているらしい。
「そして、時々そういう設定を忘れて、名前を呼びそうになって慌ててるのも、また、趣があってよいのです。ミーア姫殿下のことが大好きで、一緒に遊びたいのに意地になって誘えないのも見ていて微笑ましい。大胆な水着を着て王子殿下を誘惑してやろうと意気込んでたのに、いざとなったら、まったくもって勇気が出ない、あの小心者ぶりなど、見ているだけで、もう……」
キースウッドの目から見ると、ニーナは、まるで路傍の石に芸術性を見出す、売れない芸術家のようだった。
――これは、理解できない世界かもしれない。
などと、思っているキースウッドの肩を、ぽん、と叩いてニーナが言った。
「エメラルダさまの良さがわからないなんて、キースウッドさんは女性を見る目がありませんね。それに、振り回されることもまた、仕える喜びではありませんか?」
「なるほど。前半部分は同意しかねますが、後半に関してはわかる気がします」
そうして、キースウッドとニーナは笑いあった。それは、どこか共犯者めいた笑いだった。
お互い、難儀な主に仕えてはいるが、なるほど、仕えがいがあるという点においては、もしかしたら、一致している部分があるのかもしれないと……。
そんな風に笑いあう二人を見て、シオンは不思議そうな顔をするのだった。
さて、エメラルドスター号に引き上げられたミーアは、先に乗っていたアベル、エメラルダとアンヌと、無事を喜び合った。どうやら、エメラルドスター号は、嵐の際に、風をよけるために船を移動させたものの、船体が損傷。流されてしまったのだという。修理に時間がかかったことを、船長から謝罪されたが、それは仕方のないことだろう。
さらに、ほどなくして、島へと送り込まれた者たちとともに、シオン、キースウッド、ニーナの三人も合流することができた。
ミーアたちを見たシオンは、開口一番に言った。
「あまり心配かけないでくれ。ミーア。エメラルダ嬢が無事だったのはよかったが……、いったい何があったんだ?」
「話せば長いですけれど、地下でとんでもないものを見つけてしまいましたわ」
「とんでもないもの、か……」
シオンは、ちょっと苦笑いを浮かべてから、
「君たちが、誰一人欠けることなくここにいるってことが、そもそもとんでもないことだから、これ以上、驚きようがないと思うが……。というか、君は化け物魚を殴り倒したと聞いたが……、それ以上にとんでもないことなのか?」
そんな二人をしり目に、エメラルダへと歩み寄る者がいた。
メイドのニーナだ。
彼女は、エメラルダが元気そうなのを見て取ると、思わず安堵のため息を吐いてから、
「エメラルダお嬢さま、ご無事でなによりです」
いつも通りの口調で話しかけた。
「ああ……ええ、そうね。少し足をひねってしまいましたけれど……」
「そうでしたか。私がついていながら、エメラルダお嬢さまにご不便をおかけしたこと、大変申し訳ありませんでした」
「いや、そんなことはございませんわ。あれは、私が勝手にしたことであって……」
もにゅもにゅ、と、何やら歯切れ悪く言いながら、まるで、助けを求めるように、エメラルダが視線を巡らせる。その視線の先には、ミーアのそばに付き従うアンヌの姿があった。
アンヌは、エメラルダの視線に気づいたのか、小さく笑みを浮かべて、それから、グッとこぶしを握って見せた。
それは精いっぱいの勇気を出そうとしているエメラルダへのエール。ともに苦境を潜り抜けた仲間への励ましだ。
それを受けたエメラルダは、小さく頷いて見せてから、なけなしの勇気を振り絞った。
「あなたにも心配をかけましたわね……。あー、えっと……、に、にに、ニーナ……」
「…………は?」
エメラルダに名前を呼ばれたニーナは、なんとも言えない微妙な顔をした。
「あの、どうされたのですか? お嬢さま……、そんないきなり私の名前を呼ぶなど……」
おろおろと、先ほど足をケガしたと聞いた時以上に、狼狽しているニーナに、エメラルダは殊勝な顔で説明する。
「私は、反省いたしましたの。今まで、あなたにずいぶんと失礼なことをしておりましたわ。名前だって、あなたは気づいていないかもしれませんけれど、ちゃんと、おぼえておりますのよ? それを私は……、本当に悪いことをしてしまいましたわ」
真摯に謝罪の言葉を口にするエメラルダに対して、ニーナは……、
「えー……それ、言っちゃうんですかー」
なぜだか、ものすごーくガッカリした顔をした!
「あの……、お、お嬢さま? その、そういうの大丈夫なので。あの、いつも通りでいてください。私のことは、どうぞ、今まで通り、そこのメイドとかなんとか適当に呼んでいただければ……」
「まぁ、なぜですの? 私がニーナの名前を呼ぶと、なにか問題がございますの?」
「イメージというものがあるといいますか……あっ、そうです。メイドの名前とか呼ぶのは、グリーンムーン公爵家のしきたり的にも、貴族の常識的にも、あまりよろしくないというか……」
ニーナは、ぴしゃりと言う。
「ともかく、そういうのは、ちょっと……あの、ほんとに結構ですから」
それを聞いたエメラルダが、すーっと視線を動かした。その向かう先には、アンヌの姿があって……。
遠くからエメラルダたちの様子を見ていたアンヌは……、そっと目をそらすのだった。
世の中にはいろいろな忠誠の形があるんだということを、初めて知ったアンヌであった。
「さっ、なにはともあれ、帰りますわよ!」
これ以上、ここにいても仕方ない。
ミーアの号令を受けて、エメラルドスター号は、ガヌドスへの帰還の途についたのであった。
さて、突然ですが、次話をもちまして、ティアムーン帝国物語、第二部は終了となります。
番外編を一日はさみ、次の一週間は夏休み。その翌週の月曜日19日から、第三部を始めていきたいと思います。……始められるといいな。。。
ということで、軽く今後の予定でした。