第百十一話 「すぐに戻りますわ」と言い残して、エメラルダは姿を消した
「さて……、エメラルダさんの招いてくださるお茶会に参加するためにも、なんとか脱出する必要がございますわね……。アンヌ、あなたたちは、どうやってここに? というか、そもそもどうして、こんなところにおりますの?」
エメラルダの言いくるめに成功したミーアは、改めて状況の確認に入る。
「はい。実は……」
アンヌの説明を聞いて、ミーアは思わずため息を吐いた。
「なるほど、では、そちらからの道も崩れてしまったのですのね?」
自分たちが来たのとは別のルートがあると聞いて、少しだけ喜んだミーアだったが、すぐにその希望はしぼんでしまった。
「はい。崩れた瓦礫を取り除くのは私たちでは難しそうです。それに、急な坂を上らないといけませんから……」
アンヌは、ちらりとエメラルダの足元に目を落としてから、
「残念ですけれど、こちらから出ることは難しそうです。ミーアさまたちは?」
「それが、わたくしたちも地面の崩落に巻き込まれてしまって……」
ミーアは先ほど落ちた場所を思い出す。
「やはり、登るのは不可能そうですわ」
「そうだろうね。エメラルダ嬢がケガをしているというのなら、余計に厳しい」
「一応、落ちてきた場所には、反対側にも洞窟が伸びていたのですけれど……」
それが地上に通じている保証はどこにもないわけで……。
「とりあえず、この神殿の周りに、ほかに出口がないかどうか調べてみましょう。そして、もしもほかにないようでしたら、先ほど、わたくしたちが落ちた場所まで戻るのがよろしいのではないかしら?」
生存術の専門家ミーアの提案に、その場の皆が素直に頷く……。大丈夫なのだろうか?
っと、そこで、それまで黙っていたアンヌが、そっと手を挙げた。
「あの、ミーアさま。少し休憩されてはいかがでしょうか? エメラルダさまは、足にケガをなさっていますし、ミーアさまも少しお疲れに見えます」
指摘された瞬間、ふわわっと、ミーアの口からあくびが漏れた。
「なるほど、確かにそうですわね……。では、少し休んでから行動を開始いたしましょうか」
しばし仮眠をとった後、ミーアたちは神殿の周りを調べた。より正確に言えば、ミーアが長めの仮眠をとっている間に、短期睡眠を終えた三人が手分けしてあたりの捜索を行ったのだが……。
その結果、やはり進めそうなルートは、アンヌたちがやってきたところと、ミーアたちがやってきたところの二か所にしかないことが判明した。
「あのもう一方の道が、外へとつながっているとよろしいのですけど……」
一縷の望みをかけて一行は、ミーアとアベルとの落下地点へと戻った。
着いてすぐに、アベルが口を開いた。
「水位が、また上がってるな。ここに来るまでの道もそうだけど、さっきより水が上がっている気がする」
その言葉の通り、先ほどまでは足首までだった水位が、今はまた膝の上ぐらいになっている。
「なるほど、潮の満ち引きがあるということでしたら望みがありますわ。外の海に通じているということになりますもの」
エメラルダは、手に水をつけて、口元にもっていった。
「しょっぱいし、間違いなく海水ですわね。外につながっている可能性は十分に高いですわ。ただ……」
天井を見上げてから、ミーアたちの方に視線を向ける。
「外に出るのは少し待った方が良いと思いますわ。夜の海は大変危険だと、聞いたことがございますの」
エメラルダの進言を入れて、ミーアたちは、再び仮眠をとることにした。
洞窟の中は若干冷えるため、皆で固まってである。
――この寒さは地下牢を思い出させますけど、ふふふ、なんだか、不思議と楽しいですわね。
お腹が減ってはいたが、なんだか楽しくなってきてしまうミーアであった。
――願わくば……これが、ひと夏の楽しい思い出になってくれればいいのですけれど。
やがて天井の穴から、うっすらと日が入ってくるようになった。
朝が来たのだ。
不思議なことに、日の光が見えだすと、水の中の青い光は消えていった。
――ふむ、夜になると光りだす生き物、なのかしら?
問題は、これから向かう先が闇に沈んでいることだった。
当たり前のことながら、洞窟の中までは光は入ってこない。かといって、松明を持って……というわけにも当然いかない。水の中を潜らなければならなくなったら火が消えてしまう。
「こんなこともあろうかと、ですわ!」
そんな時、得意げな声を上げたのはエメラルダだった。
おもむろに、エメラルダが胸元から取り出したペンダント。そこにはめ込まれた石は、淡い光を放っている。
「これがあれば、しばらくは視界が確保できますわ。この先がどうなっているのかわかりませんし、私が様子見をして参ります。途中で潜水する必要も出てくるかもしれませんし……」
そう言って、颯爽と服を脱ぎ捨てるエメラルダ。水浴びの時から着たままの水着姿になると、水の中に入っていこうとする。
「待ちたまえ。ここはボクが。ご婦人方は、ここで休んでいてくれたまえ」
慌ててアベルが止めるが、そんな彼をエメラルダは見下ろして言った。
「そういうわけには参りませんわ。アベル王子、試みに聞きますが、あなた、泳ぎが得意ですの?」
「いや、一応は泳げるが、得意というほどではないな……」
バツが悪そうな顔をするアベルに、エメラルダは勝ち誇ったように笑う。
「そう。では、ここは私に任せていただきたいですわ。私は幼い頃より、毎夏泳いでおりますのよ」
「しかし、そんな危険なことをご婦人にさせられないよ」
「お気遣いには感謝いたしますわ。けれど、アベル王子、あなた、少し自覚が足りないのではなくって?」
「自覚? どういうことだろうか?」
首を傾げるアベルに、エメラルダは、ふふふ、と笑みを浮かべて、
「無論、決まっておりますわ。ミーアさまの伴侶となる自覚です」
「なぁっ!?」
かっちーん、と固まったアベルに、エメラルダは高らかに笑い声をあげる。
「星持ち公爵令嬢たるこの私が、親友であり、皇女でもあるミーアさまの旦那さまを危険な目に遭わせるなど、ありえぬこと。まして、これはミーアさまご自身の命にも関わることでございますわ。失敗は絶対に許されない。ここは譲れませんわね」
今度は横で話を聞いていたアンヌが手を挙げた。
「でも、エメラルダさま、足首のケガは?」
「へ……? ケガ、ですの? あっ……」
っと、エメラルダは、少し気まずげに目をそらして……。
「わっ、忘れておりましたわ。あっ、ああ、アンヌ……さんの手当てがよかった……のかもしれませんわね」
「はて……?」
エメラルダの言を聞き、きょとん、とミーアが首を傾げる。
「なっ、なにか文句でもありますの? ミーアさま!」
ムッとした顔をするエメラルダに、ミーアは小さく笑みを浮かべた。
「いいえ。なんでもありませんわ」
それから、深々と頭を下げてから、言った。
「よろしくお願いいたしますわね、エメラルダさん」
そんなミーアに、エメラルダは小さく笑みを浮かべた。
「ええ。必ずや朗報を持ち帰ってみせますわ。そうして、この島から無事に帰ったら今度こそ、ミーアさまと盛大なお茶会をするのですわ!」
なんとなく……言ってはいけないセリフを、堂々と胸を張って言い放ってから、エメラルダは笑みを浮かべた。
それは柔らかな、およそ彼女が浮かべたことのないような、優しい笑みだった……。
「大丈夫。すぐに戻ってまいりますわ」
けれど……その言葉とは裏腹に……、水の中に姿を消したエメラルダは戻ってこなかった。
……『すぐ』には。