第百六話 青く光る道を行く
アベルとイチャイチャしたことで、ミーアは、すっかりポカポカになっていた。つい先ほどまで、寒さで震えていたことなど完全に忘れ、頬は微かに紅潮していた。
――アベルと二人きりなら、ここで暮らすのもよいのではないかしら。そう、アベルのそばが、わたくしの楽園であり、宮殿なのですわ!
などと……なんとも、たわけたことをミーアが考え始めたところで……。
「ミーア、ちょっと見てくれ」
「…………はぇ?」
突如、アベルが声を上げた。
「ほら、水が引いてるみたいだ」
言われてミーアも視線を転じる。と、確かに、つい先ほどまでミーアたちのすぐそばにあった水位が、だいぶ下がっていた。
もう少しすれば、水底を歩くこともできそうではあった。のだけど……。
「ですけど……」
ミーアは悔しげに頭上を仰ぐ。岩の天井から零れ落ちる光量は、先ほどから確実に減ってきていた。夜が迫っていることがうかがえる。
「せっかく水が引いて脱出できるかもしれませんのに……。暗い中で動き回るのは少し危険ですわね」
潮の満ち引きがある以上、出口は恐らく海だろう。
暗い夜の海を泳ぐ自信は、さすがにミーアにはなかった。
「うん……そうかもしれないが……」
アベルは、なにかを思案するように腕組みした。
「そうだな……。ただ、ここにずっといたら手詰まりになる。状況の変化を見逃さないようにしよう」
アベルのそれは、まるで予言のようだった。
やがて辺りが完全に夜闇に包み込まれた時、アベルが歓声を上げた。
「見たまえ、ミーア。ここの水面!」
「まぁ……これは!?」
ミーアも驚愕に目を見開く。なぜなら、低くなった水面が、淡く、青い光を放っていたからだ。
その光量は日光や松明には及ばないまでも、周囲を照らすぐらいは十分で。
むしろ洞窟の奥深くまで光が続いているために、日の光が見えていた時より行動しやすくなったとさえ言えた。
「この好機を逃すわけにもいかない。行ってみよう。ここで立ち止まっていても体力を消費するだけだ」
そのアベルの言葉に、ミーアは一瞬、考える。
遭難した時には動かずに体力を温存するのがセオリー。だけど、この島にいるメンバーで助けに来るのは難しそうな気がする。
なにより、生存術のエキスパートたる自分が動かないなど、あり得ぬこと。
ミーアは鼻息荒く頷くと、
「ええ、行きましょう……」
アベルの手を取った。
アベルに手を引かれて、青い光の道を行く。
ミーアたちがいた場所には無数の穴が開いていたが、その青い光の道が出ていくのは二か所。水深が深くなっていく方と、浅くなっていく方だった。
気温が下がる夜に水泳は自殺行為。となれば、必然、ミーアたちが行くのは水深が浅くなっていく方だ。
「そこは少し地面がデコボコしている。気を付けたまえ。ほら、しっかり手を握っているんだ」
たびたび振り返っては、声をかけてくれるアベルに、ミーアは思わず笑みを浮かべた。
「ふふ、本当にアベルは紳士ですわね」
このような状況にあっても、彼はきちんとミーアの速度に合わせて歩いている。
ミーアが転ばないように気を使い、つないだ手も、まるでダンスでもするかのように優しく力強い。
「姉さまに言われているからね。どんな状況であっても、女の子には優しくするように、と」
「はて? お姉さま……というと……」
前の時間軸に関していえば、ミーアにはレムノ王家の記憶はあまりない。せいぜいアベルを知っているぐらいだった。なにせ、シオンが声をかけてくるのをひたすらに待ち続けていたのだから、レムノ王国になど関心はなかったのだ。
けれど、今のミーアは違う。当然、調べている。
なぜか? アベルを婚儀を結ぶ相手として、ターゲッティングしていたからである。恋愛戦略家のミーアなのである。
「確か……、クラリッサ王女殿下、だったかしら?」
アベルより三つ年上だったはずである。
ミーアが持っている情報だと、つつましくて、どちらかというと内向的な人ということだったが……。
――少しイメージが違いますわね……。
首を傾げるミーアに、アベルは小さく首を振った。
「いや、これをボクに言ったのは、一番上の姉でね」
「一番上のお姉さま? まぁ、そのような方が……」
「知らなくても無理ないよ。亡くなったんだ、五年前にね……」
アベルは少しだけ寂しそうな顔をした。
「ボクは、大好きだったんだ。姉さまのこと……。優しくて、だけどそれ以上に強くて、格好いい人だった。その人が言ったんだ。レムノ王国のみんなの考えはおかしいんだって。だからボクだけは、女の子に優しくしてほしいって……」
男尊女卑の傾向の強いレムノ王国。
「恥ずかしながら、ボク自身も忘れていた。なぜ、女性に優しくするのか……。ちょっとした気まぐれでそうするようになったんだと思っていたけど、違ったんだ。ずっと、姉さまの与えてくれた指針を胸に生きてきたんだ……ボクは」
――アベルに、そんな大きな影響を与えた人がいたんですのね……。会ってみたかったですわ……。
なんとなく、そんなことを思いつつ、ミーアは問うた。
「その方のお名前は……、なんというんですの?」
「ヴァレンティナ・レムノ。レムノ王国の第一王女だった人だ」
「そう、ヴァレンティナさん……」
その名をミーアが思い出すことになるのは、少し先のことになる。