第百五話 ミーア姫、クライマックスを迎える!(ミーアの中では)
周囲の岩とともに落ちていくミーア。
アベルの腕の中、そのぬくもりにうっとりしつつ……、
――ああ、やっぱり、わたくしこのまま死んじゃうんですわ……。幸せすぎて……。
などと、たわけたことを考えていたミーアであったが、直後、ざぶんっ! と頭から水をかぶって目が覚めた。
否、正確に言えば、頭から水の中に飛び込んで、目が覚めた、というべきだろうか。
がぼぼ、がぼ、っと口の中に、突然、水が入ってきたので、ミーアは大いに慌てふためく。
バタバタと暴れそうになったミーアだが、ギュッと、アベルの腕に力が入るのを感じて、力を抜いた。
――アベルに任せていれば、大丈夫ですわ……。
恋と信頼の混合物のような甘ーい感情が、ミーアの体から、ふにゃあっと力を抜けさせたのだ。
それから、数秒の後……、
「ぷはっ!」
顔の周りから水がなくなったのを察して、ミーアは思いっきり息を吸い込んだ。
「こっ、ここはいったい? ひっ! いっ、痛っ!? 目……、目が! 目が沁みますわ! それに口の中が、しょっぱい。これは……海水?」
片手で目をコシコシこすりつつ、アベルの顔を見上げる。っと、アベルは厳しい顔で、頭上を見上げていた。
つられてミーアも視線を上げると……、そこには、かなり高い位置に岩の天井が見えた。
「あ、あんなところから落ちたんですのね……。水が溜まってなかったら危なかったですわね」
「ああ、ありがたいな。しかし、このまま水に浸かっているのは危険だ。体が冷えてしまう。水から上がれる場所に行こう」
アベルが指さした先は壁際、少し高くなり、ちょうど岸辺のようになっているところだった。
「ミーア、泳げるかい?」
「ふふん、当然ですわ。練習の成果、きっちり見せて差し上げますわ」
そうして、ミーアはくるりと回転して、仰向けに水に浮き……。
背泳ぎ状態のバタ足で泳ぎ始めた。息継ぎが必要なく、顔を水につけなくてもいい。溺れた時には、脱力して、ぐんにょり浮いていればいいという、ミーアの考えた最強の泳ぎ方である。
特に、大した努力をせずに息継ぎができる、という点が素晴らしい。
「あ、ぶつかりそうでしたら、ちゃんと教えてくださいませね」
「ああ、わかった。じゃあ、とりあえず、あそこまで行こう」
そうして、二人は泳ぎだした。
水から上がって、ミーアは安堵の息を吐いた。
「痛むところはないかい?」
「ええ、アベルのおかげですわ。アベルは?」
「ボクも問題ない。下が水面だったから助かったな」
確かに、その通りだ、と思いつつ、ミーアは改めて岩壁を見上げた。
高い。城の三階ぐらいの高さはあるだろうか。
天井に空いた亀裂からは日の光が入ってきているから、一応、地上までは通じているのだろうけれど……。
「ふむ、登るのは……無理ですわね」
岩壁は表面がつるつるしていて、いかにも滑りやすそうだった。掴んで登っていくことなど、普通の人間には無理そうだ。
――まぁ、ディオンさん辺りだったら、余裕で登って行けそうですけど。あれは例外というものですわね……。
少なくとも自分には無理だ、とミーアは判断する。
とすると、仮に落ちて死ななかったとしても、脱出は……。
「アベル、ごめんなさい。あなたのこと、巻き込んでしまいましたわ」
珍しく、しょんぼりと肩を落とすミーア。しかし、そんなミーアにアベルは首を振って見せた。
「いや、むしろボクはこの場所にいることができて、よかったと思っている」
「あら……、どういうことですの?」
「大切な人が危険な時に、そばにいて守ることができない。それはとても口惜しいことだから」
「まぁ……」
ミーアは口に手を当てて、アベルを見つめた。すると、アベルはちょっとだけ気まずそうに、顔を背けた。その頬はやっぱり赤く染まっている。
――ふふ、恥ずかしいならば、言わなければよろしいのに……。
ミーアも、ちょっぴり顔を赤くしているものの、さすがにそこは二十歳過ぎのお姉さんである。
先ほどは不意打ちで赤くなったものの、すでに余裕を取り戻している。
そう、ミーアはすでにアベルの性格を学んでいる。
彼が誠実で、まっすぐな人間で、だから思ったことを正直に口に出すことがあることを、ミーアはすでに知っている。
それゆえに、わずかではあるが心の準備をすることができたのだ。
これこそが、大人のお姉さんの余裕なのである!
とはいうものの、さすがに少しは照れ臭い。このまま黙ってしまうのは、ちょっぴり気まずくもある。
ということで……。
「それにしても、これではどうにもできませんわね。助けが来るのを待つか、状況が変化するのを待つか……。いずれにせよ、今は迂闊には動けま……くちゅんっ!」
っと、ミーアは小さくくしゃみをした。
直後、ぶるぶるっと体が震える。
予想よりも体が冷えていたらしく、肌にはいつの間にか鳥肌が立っていた。
「大丈夫かい? ミーア」
「え、ええ。問題ございませんわ。ただ、体が濡れたので、少しだけ寒いだけですから」
くしゃみをしてしまったのが、ちょっぴり恥ずかしかったミーアは照れ隠しに笑みを浮かべた……。けれど、アベルは真剣な顔をしていた。
「そうか。体が冷えると体力を奪われるからな……」
彼は、なにかを躊躇うように黙ってから……、
「すまない。ミーア」
「へ? なんのことで……ぁぇっ?」
ミーアの声が途切れる。
混乱のあまり、声が出なかった。
突然、アベルが、自分のことを、ぎゅっと抱きしめてきたから……。
――え? あ? え? お?
大人のお姉さんの余裕など、粉々に吹き飛んだ!
混乱にぐらんぐらんと目を回しかけるミーアの耳に、アベルの声が聞こえてくる。
「すまない。礼を失することだとは心得ているが……、今はこうして互いの体温で温めあう必要があるんだ」
断固とした声。と同時に、抱きしめる腕にグッと力が入る。
――ああ、これは、たぶんあれですわ……。わたくしに拒絶されてでも、それをする必要があるから、というアベルの判断で……だから、わたくしを逃がさないようにって、力を入れてるのであって……。
などと、若干、現実逃避気味に分析をし始めてしまうミーアである。
けれど、いつまでも逃げ続けてもいられない。
心地よい少年の温もり……。
少しだけ不器用で、力が入りすぎているから、ちょっとだけ痛い抱擁。
静寂の中、かすかに聞こえるアベルの息遣いと自分自身の息遣い。
荒い呼気が、相手の耳元にかかってしまわないように、ミーアは息を鎮めようと我慢する。
どくん、どくん、と高まる心臓の音を聞きながら、ミーアは、ぽーっと熱っぽい頭で考える。
――わっ、わたくし、やっぱり死んでしまったのではないかしら? ここは、きっと噂に聞く天国で……。そうじゃないと説明がつきませんわ! 幸せすぎてっ!!
断頭台から始まったミーアの人生は、今まさにクライマックスを迎えていた!
……まぁ、ミーアの中では、なのだが……。
リクエストにあった地図を作ってみました……。が、ザックリ気味なので、ここ違くない? というところは多めに見ていただけると幸いです。絵は……ダメです。
ミーアの進撃経路は高地などもあって大きく迂回。さらに森を切り開きながらなので、若干時間がかかった。
一方で洞窟は比較的まっすぐだったため、アンヌは浜辺で松明を用意する時間を含めても、ミーアたちの近くまで行くことができた……みたいな感じでしょうか。