第百話 呪いの盟約
「これはまた……、意外な大物が釣れたもんだね」
刺客たちを皇女専属近衛団の者たちに任せて、ルードヴィッヒ、ディオン、バノスの三人は部屋を移した。今後のことを相談するために。
「まさか、ガヌドスの王家が関係しているとは思わなかったですな」
バノスはため息混じりに首を振る。
「ここは、まさに敵地といったところですが。さぁて、この先なにがあるやら……」
「んー、なにもないんじゃない? 表立って帝国に敵対したらつぶされるだけだ。まぁ、そう簡単に関与を認めないだろうけどね」
ディオンは言葉を切って、ルードヴィッヒの方を向いた。
「問題は僕たちの方がどうするかってことだろうね。どうする、ルードヴィッヒ殿?」
「そうだな……。相手が敵か味方か、はっきりしているだけで、だいぶやりやすくはなるだろう」
腕組みをしつつ、ルードヴィッヒは言った。
「こちらが暗殺者の雇人の正体に気付いている、少なくとも疑いを持っていると知らせれば、ある種の牽制にはなるだろう。あるいはミーアさまが帰られれば、なんらかの交渉の材料として使われるかもしれない。が……」
その上で……、
「やはり、少し気になるな……。ガヌドス国王とは早いうちに会っておいた方がいいように思う」
イエロームーン公爵家と港湾国との関係性……。そこから浮かび上がる推論……。
その真偽を確かめるためには、どうしても国王からの話を聞いておきたいところだった。
「となると、殴り込みでもかけるかい? まぁ、僕とルードヴィッヒ殿だけならば、忍び込むことも可能だとは思うが……」
「いや、正々堂々と謁見を申し込もう。暗殺者がこちらの手にある以上、無視もできないはずだ」
ティアムーンにとってもガヌドスにとっても、関係がこじれるのは望ましいことではない。ゆえに、可能であれば、ただの会談という形でいろいろと決着をつけたいし、相手もそのはずだ。
そんなルードヴィッヒの読みは当たる。
二日後には謁見の許可が下り、ルードヴィッヒとディオンは揃って城の一角、謁見の間を訪れることになった。
小国とはいえ、相手が国の長たる国王であることを考えれば、これは異例中の異例の出来事と言えるだろう。
「これはこれは、かの帝国の叡智、ミーア皇女殿下の右腕と名高いルードヴィッヒ・ヒューイット殿と、帝国が誇る最強の騎士ディオン・アライア殿。両名とも噂はかねがね聞いておるぞ」
ガヌドス国王は、およそ王族というには相応しからぬ風貌の男だった。
どこか媚びるような卑屈さを感じさせる笑みと口調からは、さながら老齢の文官のような雰囲気さえ感じられた。
「このたびは急な会談に応じていただき、感謝いたします」
「なに、かの帝国の叡智の忠臣を無下にはできんよ。それに聞けば何やら重大な誤解がある様子。帝国と我が港湾国との間に無用なる争いを巻き起こしては互いの得にはなるまい」
穏やかな口調で話す王を、ルードヴィッヒはジッと観察していた。
一見すると小物、臆病で卑屈という印象を受けるガヌドス王であったが……、その瞳には鋭い知恵の輝きが見て取れた。
知恵者で策謀家。決して油断のできる相手ではないとルードヴィッヒは判断する。
ゆえに……自身に御しえない相手でもない、とも。
なぜなら、真の知者であれば……、例えば尊敬する師匠や、忠誠を捧げる主であったなら完全に愚者を演じ切るであろうから。
知性のきらめきの、その一片すらも隠蔽し、相手の油断を誘うだろうから。
それができていない時点で、相手は十分に打ち倒しうる存在と、ルードヴィッヒは見ていた。
「では、さっそく詳しい話を聞こう」
国王のその言葉とともに、ルードヴィッヒは小さく息を吸い、思考を切り替える。
「実は、先日、私は命を狙われまして……」
「ほう。それは、この港湾国内でのことかね?」
「王都の一角、教会のそばの路地において」
「それは大変失礼をした。あの辺りは、確かにあまり治安がいい地域ではないのでな。この港湾国は土地柄ゆえか、どうしても海賊上がりのならず者が絶えなくてな」
――なるほど、無法者が勝手にやったこと、と言い張るつもりか。
ルードヴィッヒは小さく眼鏡を押し上げて、
「その者たちを捕らえ、尋問したところ、彼らはあなたの密命を受けてことに及んだと、そのように申しております」
「なんと! 愚かなことを。まさか、貴公、そのような下賤な者どもの言うことを真に受けて、ここにやってきたのではあるまいな?」
大げさに驚いて見せる国王。それをルードヴィッヒは黙って観察していた。
「しかし、ただの無法者の暴挙と思ったが、あるいは我が国と帝国との仲をこじれさせようという策謀やも……。ふむ。どうやら、貴公は、そのならず者どもの言葉を信じているようだな」
「そうですね。彼らの言を信じるに足る確証を得ています」
無論、ただのブラフだが……、ここはあえて踏み込む。
国王からなにがしかの反応を引き出したいと考えてのものだったが……。
「ははは、ならば仕方あるまい。元海賊を訓練してみたのだが、どうやら鍛え方が足りなかったか。なにしろ、我が国は軍隊の整備もままならぬ小国ゆえ、使える手ごまが少なくてな」
「……つまり認める、と?」
わずかばかり驚きつつも、ルードヴィッヒは問いただす。
「わしがいかに否定しても貴公は納得せんであろう。であれば、その前提に乗って話をするも一興。なに、どうせここで何を言っても、どうということもない。そのぐらい、貴公もわかっていよう」
――なるほど、言った言わないの水掛け論にするつもりか……。海賊上がりの者たちを使ったのは、そのためでもあるのだろうな。
いかに、ルードヴィッヒやディオンがガヌドス国王の自白を主張しようとも、王本人が否定してしまえば意味がない。
この国と関係の深いグリーンムーン公爵は平民であるルードヴィッヒより、国王の言葉に信を置くだろう。海賊の証言などあてにならないと主張し、とりなそうとするだろう。
この場にミーアがいれば、決して国王は認めなかったに違いない。
瞬時にそこまで考えて、ルードヴィッヒは頷いた。それなら、それで構わない、と。
そんなことは些末な問題である。むしろ聞きたいのは、その先の部分なのだから。
「では、この場限りのことということで単刀直入にお聞きしますが……、私を狙った理由はやはり、イエロームーン公爵家とガヌドスとの関係を知られないためですか?」
「さて……、なんのことやらわかりかねるな。イエロームーン公爵家とは、確かに古くは付き合いがあったが、それが何か……」
「グリーンムーン公爵家は切りやすい命綱。そういうことではありませんか?」
ルードヴィッヒは推測した。
ガヌドス港湾国の目的……、それはすなわち、ティアムーン帝国を依存させ、時期が来たら餓死させることではないか、と。
現在の帝国の食糧自給率は極めて低い。言い方を変えるならばそれは、かなりの割合を外国からの輸入に頼っているということだ。
当たり前のことだが食べ物が手に入る算段が付かないのに、自領の農地を減らそうなどとは、さすがに貴族たちも思わない。いかに反農思想という馬鹿げた思想にとりつかれていたとしてもだ。
そして、その輸入先の一つがガヌドスであった。
海に面したガヌドス港湾国は海産資源の豊かな国だ。豊富な海の幸は帝国の食の一部を確実に彩るものであり、今やなくてはならないものになりつつある。
ゆえにこそ……、飢饉などにより食料が不足した際に、ガヌドスからの輸入が途絶えれば、帝国にとっての影響は計り知れないものになる。
もしも、その状態を作り出すことがガヌドス港湾国の目的であったとするなら……。
「その場合、避けたいのは早期の帝国の軍事介入だ。疲弊しきる前に帝国に軍を動かされては、港湾国の戦力では抗しようがない。ゆえに、港湾国は一貫して、帝国の友好国であるふりをしなければならない。輸入を制限するのも、あくまでも交渉の不備のせいにしておかなければならない。だから、盟友であるイエロームーン公爵家が交渉役ではいけなかった」
グリーンムーン公爵をそそのかして国外にでも脱出させる。そうしておきながら、表ではグリーンムーン家としか交渉しないと突っぱねる。
さらに万が一、軍を動かされそうになった場合には、四大公爵家の一角、イエロームーン公爵に働きかけてもらい妨害する。帝国内に大貴族の協力者がいれば、なにかと便利だろう。
無論、グリーンムーン公爵が計算通りに動くかはわからないが、もしも上手く行かなくても暗殺して、死体を隠して行方不明にしてしまえば良いのだ。
グリーンムーン家の家督の継承など、ごたついている間にも時間は稼げる。
ルードヴィッヒの考えは、そのような形のものだった。
「あなたたちは帝国に敵対して、勝てるつもりだったのか?」
「さて……敵対?」
国王は、口元を穏やかに微笑ませて言った。
「我が国が帝国に敵対するなど思いもよらぬこと。そうではないかな? 港湾国には海賊を取り締まるための治安維持軍はあるが、強大なる帝国軍と比べればそれは微々たるもの。ろくな武力を持たぬ我々が強大無比な帝国に敵対するなど悪い冗談だ」
その物言いに、ルードヴィッヒは慄然とした。
まさか、軍隊の弱さを自国の潔白に利用しようなどと……、陰謀を覆い隠すベールにしようなどとは思いつきもしなかったから。
「飢饉が起きた時に帝国への食糧輸出を止めること、仮にそのような企みがあるとして……それを理由に戦端を開くような真似ができるとお思いか?」
それが軍事行動であったなら……。帝国への軍隊による侵攻計画を掴んだというのであれば、それは立派な開戦の理由になるのだろう。なぜなら、それは明確な攻撃であるからだ。
けれども将来「もしも飢饉が起きた」ならば「食料を売ることを止める」ということは攻撃とは言い難い。
あまりにも婉曲的に過ぎて、危機感をいまいち実感しづらいのだ。
その計画は、そもそも飢饉が起きなければ発動しないわけで……。
つまるところ、ガヌドス港湾国の陰謀は積極性にも攻撃性にも欠けるものなのだ。
極めて曖昧で、そもそも陰謀とすら呼べないような、それゆえに存在の確認も糾弾も難しいものなのだ。
ルードヴィッヒは自身の推論に、ある程度の自信を持ってはいるのだが、あくまでもそれは推論の範囲を出るものではない。
夢物語であると言われてしまえば、言い返すことのできないものであり、それを理由に港湾国に戦争を仕掛けられるとは思えなかった。
蛮族の住まう国であるならばいざ知らず、同じ中央正教会の神を信仰する者同士、大義名分もなく戦端を開いては、他国に糾弾する隙を与えることになるからだ。
――そもそも帝国がしっかりと食料自給の体制を整えさえすれば、ガヌドスの行動は攻撃にはならない。
悪しき反農思想……、それさえなければ、ガヌドスの企むようなことは起こりえないことなのだ。
ルードヴィッヒが違和感を覚えるのは、むしろそこだった。
――気が遠くなるほど長い年月をかけて執拗に計画されてきたにもかかわらず、相手国の失敗や天候に頼る要素が大きすぎる。飢饉に関して言うならば、数十年に一度は起こるものということができるが、帝国の失政については、下手をするとあっさり覆されてしまうことだってあるだろう。
反農思想自体が、ガヌドスの盟友イエロームーン公爵家が広めたものと考えられなくもないが、どこか引っかかるものを感じる。
いかに四大公爵家の一角とはいえ、果たしてそこまでの影響力を行使できるものだろうか。貴族には、ほかの四大公爵家の派閥の者もいるのだが。
そこまで考えたところで、ルードヴィッヒは小さく首を振った。
「いずれにせよ……、我々はミーアさまのもと、帝国を改革していきます。食料自給の体制がきちんと整えば、ガヌドス港湾国の計略も形を成さなくなることでしょう」
そう告げられても、ガヌドス王は特に取り乱すこともなかった。
「そうか。友好国の問題が改善されるのは我が国としても喜ばしいこと。我が国との食料の取引が減ってしまうかもしれぬのは少しばかり残念ではあるが、まぁ、帝国内のことには、なにも口は出せぬな。我が国は弱小国なのだから」
その言葉を聞き、ルードヴィッヒは得体の知れない不安を覚えるのだった。
ルードヴィッヒらを見送った後で、王は穏やかな笑みを浮かべた。
「最古の忠臣イエロームーン公爵家と、皇帝の寵愛を受けし皇女とが対立するか。なるほど、我ながら面白い時代に生まれたものだ……」
帝国を縛る呪いの盟約、それが今、明らかになろうとしていた。