第九十九話 エメラルダとミーアの眠れない夜
――まったく、納得がいきませんわ!
不満たっぷりにエメラルダは、ニーナ特製海鮮鍋を口に入れる。
満月ヤシの汁のコクと海水の塩気、さらにニーナの魔法の粉(香辛料)のおかげで、ポッと体が温まる素晴らしい味だった。
ミーアたちのとってきた野草の類も程よい茹で加減で、ちょっとした町の宿屋の食事より美味な鍋料理が出来上がっている。
それはいい。グリーンムーン公爵家のメイドとして、このぐらいのものが作れなければ話にならない。
けれど、不満なのは……、
――どうして、みなさん、私を褒めたたえませんの?
ということだった。
従者の手柄は主の手柄。であれば、ニーナが美味しい料理を作ったのは、エメラルダの功績として讃えられなければならないはず。
にもかかわらず、ミーアたちはニーナの料理の腕を褒めるばかりだった。
――こんなの納得いきませんわ!
ちなみに、エメラルダも実は仕事を手伝っていた。
男子である王子殿下たちはまだしも、ミーアまで働いているとあっては、まさかサボるわけにもいかない。もしもミーアがサボっていれば、
「高貴な身分の者がそのような仕事をするなど……」
「力仕事は殿方にお任せいたしますわ!」
などと言うこともできたのだが……。
自分より高貴な身分かつ年下で女子なミーアが働いていては、自分が働かない理由はない。
それゆえ不満の矛先は、自然、ミーアの方に向いていく。
――昔からミーアさまはこうでしたわ。私たち、高貴なる血を持つ者たちは、堂々と平民が働くのを見ていればよろしいのですわ。それが伝統というものですわ!
格式と伝統、大貴族とはかくあるべしという教えは、エメラルダの思考の根底にあるものだった。
そんなエメラルダにとって、ミーアの行動はまるで理解できなかった。
いちいち従者の名前をおぼえ、つまらない疲れる仕事でも積極的に自分からしようとする。そんなミーアの行動は、エメラルダから見ると常識を大きく逸脱した、皇女にあるまじき行動に見えたのだ。
――ミーアさまのせいで、私まで……。まったく迷惑な話。
そのムカムカは、その日の夜まで続いた。
みなが慣れない島での生活に疲れて深い眠りに落ちる中、エメラルダ一人が、腹立ちのせいで眠れずにいたのだ。
「……ぜんっぜん、眠れませんわ……。少し散歩でもしてこようかしら……」
むくりと体を起こしたエメラルダは、暗い中に目を凝らす。
ぐっすりと眠っていて、起きだしてくる気配が一切ない面々を見て満足げに頷いてから、エメラルダは立ち上がった。それから洞窟の出口の方に向かおうとして、はたと立ち止まる。
「……そういえば、この洞窟の奥には行くなって、言ってましたわね……」
シオンとキースウッドが言っていたことを思い出し、エメラルダはにんまり笑みを浮かべた。
「そういうことであれば……行かないわけにはいきませんわね。誰もこの私を縛ることなど、できなくってよ」
ちなみに森の奥の岩場にも行くなと言われていたが、さすがに夜の森を抜けようなどとは思わない。だって怖いし……。
だから、せいぜい洞窟の入り口から出てすぐのところをウロウロするだけのつもりだったが、洞窟の中であれば話は別だ。
ということで、エメラルダはこっそり足音を潜ませつつ、洞窟の奥の方へと足を踏み入れた。
壁に手をつき、ある程度ミーアたちから離れたところまで来ると、
「ふっふっふ、この暗さでは行けないと油断しましたわね」
そっと胸元のペンダントを取り出した。
蓋を開けると、暗闇の中に、ぼんやりとかすかな明かりが灯った。
そのペンダントには、月灯石と呼ばれる、とても貴重な石が使われていた。
日光を吸収し、夜になると光りだすその石は海外から取り寄せたものだった。
「それにしましても……、この洞窟、かなり深いですわね。奥はどうなっているのかしら?」
エメラルダは首を傾げつつ、ずんずん洞窟の奥に向かっていく。
行くなと言われると余計に行きたくなるのは、恐らくは血筋だろうか。徐々に狭くなっていく洞窟に構うことなく、身を屈めながら進む。
進んで、進んで行く……のだが、一向に何もない。
面白いものもないし、変わったものも見当たらない。
「ふむ、なにがあるのかと思えば……、特になにもないのではございませんの」
飽きたから、そろそろ帰ろうかしら……などと思った時だった。
かすかに上り坂になっているところを越えると、その先にあったのは……。
「あら? この先は、下り坂になってますわね」
近場にあった、ちょうど握りやすい太さの鍾乳石を掴みつつ、坂の下はどうなってるのかしら……、と灯りをかざしながら身を乗り出したところで……。
「あら……」
ボコッと言う嫌な音を手の平に感じる。
「あ……あらっ!? あらあらっ!?」
などと間抜けな声を上げながら、エメラルダは坂を転がり落ちていった。
その日の夜、ミーアは遠くで女の人の悲鳴のような声を聞いてしまったような気がした。
もしや幽霊なんじゃ? と想像力をたくましくしてしまったミーアは、すっかり眠れなくなってしまって。
「お、おほほ、いやですわ。邪教徒の幽霊とか、そんなの作り話にきまってますわ。あれは、風の音、風の音に決まってますわ。それ以外にありませんわ……。あ、アンヌ、アンヌぅ……」
結局はアンヌに抱き着いて寝たのだが、まぁ、どうでもいい話なのであった。