第九十六話 ルードヴィッヒ、妄想させる……
ディオンによって、からくも刺客の手を逃れた……というか、刺客を返り討ちにしたうえで、全員拘束したルードヴィッヒたちは、その捕らえた刺客を連れて宿に戻った。
「お、お客さん、この方たちは……」
「ああ、ルードヴィッヒ殿、任せるよ」
などと軽く言うディオン。ルードヴィッヒは、やれやれと首を振りつつ、宿屋の主人の相手をする。
一方、刺客たちは後ろ手に縛られたまま、宿の一室に連れてこられた。
そこには、すでに皇女専属近衛部隊の者たちが詰めていた。
強面な者、忠義に厚い者……、様々な者たちがひしめき合っている。
そんな中にあっても、刺客たちは一切動じた様子は見せなかったのだが……。
「さて、と、じゃあ、いろいろ聞かせてもらおうかな」
聞こえよがしにそう言って、ディオンが剣を抜いたところで、空気が一変する。
先ほどディオンが見せた圧倒的な剣技を思い出し……、恐怖が甦ってきたのだ。
「ディオン隊長、この部屋に全員集めてよかったんですか?」
暗に、こういう尋問は一人ずつやるものでは? と問われたディオンは肩をすくめた。
「僕はもう君たちの隊長でもないんだけどね。まぁいいや。いいんだ、その方が。だってみんな一緒にいた方が仲間が殺されたり、痛めつけられてたりする姿が見えて、怖いだろ」
「そっ、そんな脅迫、俺たちに効くとでも思ってんのか?」
「そうだ。ミーア姫は寛大で、拷問とか嫌いなんだと聞いてるぞ」
口々に抗議する刺客たち。それに答えたのは、ディオンではなく、遅れて入ってきたルードヴィッヒだった。
「そうだな。お前たちの言うことは正しい。ミーア姫殿下はとても寛大な方だ」
それから、彼はわずかばかり微笑んで続けた。
「これは、公表はされていないことなんだが、以前、レムノ王国でミーアさまに敵対した者たちがいたんだ。さる国の間諜の者たちでな、一人はミーアさまに剣を突き付けた大罪人だった」
突然、始まった無関係な話に、刺客たちは戸惑った様子を見せた。
「その者たちは、全員生きて捕らえられたのだが……、今、どうなってると思う?」
「はんっ、なんだ? そこのおっかねぇ兄さんに首でも切り落とされたかい? それとも拷問の果てに牢獄で死んじまったとか……」
ルードヴィッヒは静かに首を振って答える。
「全員生きている。今はラフィーナさまのもとで、毎日、説教を聞き、聖典を書写し、奉仕に従事しているとのことだ。とても模範的にな」
それを聞き、刺客たちは一瞬、目を点にした後、口々にミーアを嘲笑った。
「なんだそりゃ。どんだけ甘いんだ、お前たちのお姫さまはよ。まったく、お笑い草だぜ!」
…………けれど、それも長くは続かなかった。
刺客たちの中のリーダー格の男が唐突に、笑うのを止めたからだ。
その顔が真剣そのもののものになり、徐々に、頬から血の気が失われていく……。
「あん? おい、どうしたんだよ? なに黙ってんだ?」
仲間の問いかけには答えず、男がルードヴィッヒの方を見て、問うた。
「そいつらは……、本当に間諜だったのかい? ただの一般兵とかじゃなく……」
「いずれも間者として優秀な、厳しい訓練を受けた者たちだった。他人の命も、自分の命も、目的のためならば、何の感慨もなく刈り取れるような者たちで、拷問に対する耐え方も、しっかりと叩き込まれた者たちだった」
それを聞き、男は再び黙り込んだ。
その様子に、仲間たちも異変を察知する。
「な、なんだよ、おい。一体どうしたってんだよ?」
「俺の言うことが間違ってたら言ってもらいたいんだが……、優秀な間者が、人の命を命とも思わないような連中が、毎日、説教を聞き、聖典を書写して奉仕に従事する清廉潔白な人間になっちまう……、一体全体なにがどうなれば……そんなことになる?」
その問いかけに、その場がしぃん、と静まり返る。
みな、気づいてしまったのだ。
そうなのだ……実際問題として、騒乱を起こし、なおかつ大国の姫に刃を突き付けた者がなんのお咎めもなくいられるなどということは……ありえないことなのだ。
であるならば、恐らくなにがしかの罰を受けたはずなのだ。
そう……彼らはそのナニカを経験し……「熱心に神を求める人間」になったのだ。
ならされてしまったのだ……。
では、いったいナニガあれば、人を人とも思わないような連中が、そのような清廉潔白な人間になるだろう?
「……そ、そいつは、つまり……毎日、聖典の書き取りをしたり、司祭に頼らなけりゃいけないほどの恐怖を味わっちまったってことか?」
人が神に頼るのはいつか?
考えるまでもなく、耐え難い恐怖を経験した時だ。
先ほどディオンと対峙した際に、彼ら全員が等しく神に助けを求めたように。
では、これから先、ずっとその助けに期待しなければならないほどの恐怖というのは……、果たしてどのようなものか……?
されど、追い打ちをかけるようにルードヴィッヒは首を振った。
「別に、彼らは恐怖から逃れるために、それをしているわけではないということだ」
しぃん……、とその場が静まり返った。
恐怖ならば……理解はできる。
肉体の痛み、精神的な痛み、死への恐れ……。人に恐れを与えるための方法は想像できるがゆえに、彼らの抱く恐怖の上限は決まっている。
既知のものに落とし込むことで、なんとか呑み込み耐えることだってできるかもしれない。
けれど……、それが恐怖から逃れるためではないと言われてしまったら……どうなるか?
間者たちになにがあったのかは、完全に「未知のもの」へと変貌する。
一体、どのようなことがあれば間者たちが、清廉で生真面目な信徒へと変貌するというのだろうか? そんなことはあり得ない。
それこそ人格が書き換わってしまうような、ナニカがなければ、そんなことはあり得ないのではないか?
では……、そのナニカとはなにか?
既知の恐怖には上限があるが、未知の恐怖には上限がない。
際限なく広がっていく恐怖の妄想に、刺客たちは黙り込んでしまう。
そんな彼らに、ルードヴィッヒはいっそ優しげとも言えるような笑みを浮かべた。
「だから、大丈夫さ。拷問も処刑も行われない。お前たちも同じようになるだけだから」
そうして、彼は一番近くにいた刺客の肩に、ポンっと手を置いた。
「ひぃっ!」
瞬間、刺客は体を震わせた。
彼は考えざるを得ないのだ。
自分がこれから経験する恐ろしいナニカを。否、恐ろしいとさえ規定することのできない、想像もできないようなナニカを……。
「そう怯えることはないさ。ミーア様はとてもお優しい方だ」
無論、そのルードヴィッヒの言葉を額面通りに受け取る者は一人もいない。
「乱暴な手段をとらずとも、君たちの心を開かれるだろう」
心を開かれるが「心を切り開かれる」に聞こえてしまう刺客たちである。
ひぃいっと悲鳴が上がる。
「喉が渇いたんじゃないか? 酒でも用意させようか……」
もう二度と酒を楽しむことなどできなくなるのだから……と、ルードヴィッヒが言外に言っているように聞こえてしまって……。
さらに、舞台装置も極めて効果的に働いていた。
先ほどから、すぐ近くでディオンが絶望的なまでの殺気を放っているのだ。
その後に出てくるであろう、彼よりも恐ろしいミーア・ルーナ・ティアムーンという少女に対する恐怖は効果的に膨らんでいき……、そして!
「お、俺たちに命令したのは……、こ、港湾国の国王陛下だ……」
刺客たちは、あっさり折れたのだった。
あるホラー作家さん曰く、怪現象が起きた際、それが幽霊の仕業であると原因がわかってしまっては恐ろしくないそうです。怪現象が起こるアパートで過去に凄惨な殺人事件があった、みたいなことがわかってしまっては恐ろしさが減ってしまうと……。
なにも事件などなく、原因が全くないはずのに、そんな怪現象が起こるはずがないのに、なぜか怪現象が起こる方が恐ろしいと……。
既知の恐怖より未知の恐怖……というお話でした。