第九十四話 トクゥンッ!
「さて、これからどうしたものかな……」
女子チームが水浴びに興じているころ、男子チームは浜辺にやってきていた。
荒れ果てた砂浜に目をやり、シオンは腕組みする。
「一応、見た感じ、船が沈んだような痕跡はない、とは思うけどね……」
アベルの言葉の通り、漂着物の中にエメラルドスター号の残骸などは見当たらない。流れ着いた負傷者や、水死体の類も……だ。
「あの船が沈んでいるかいないかによって、今後の方針が変わるな。もしも、風を避けるためにどこかの島の陰で停泊していただけであれば、戻ってくるのを待てばいい。どこかに損傷があったとしても、航行が可能ならば港湾国に戻るなりして、助けを呼んでくることもできるだろう……が」
シオンの言葉を受けて、キースウッドが頷いた。
「あの嵐でしたからね。エメラルダ嬢は自信満々のようでしたが……」
「あまり信用はできない感じがするね。こういう言い方はどうかと思うが、ありがちな大貴族の思想に染まった人という印象だったよ」
アベルの評価に、シオンが首肯して見せる。
「そうだな。少なくとも彼女の言葉を全面的に信頼して行動をするのは、まぁ、危険だろうな……」
シオンの中でのエメラルダの評価も、おおむねアベルと同じだった。
「あの船が沈んだものとして行動するべきだろう」
エメラルドスターが無事であるならば話は簡単なのだ。ただ、助けが来るまで、ここで生き抜けばいい。それも恐らくそう長くはないだろう。
一週間かそこらで、助けが来ることも期待できるはずである。
一方、エメラルドスター号が沈んでいた場合にはどうなるか?
「自分たちで脱出の手段を探す……のは現実的ではないな」
そのつぶやきに、目の前のアベルが苦笑を浮かべた。
「さすがに船を造るのは難しいだろうね……。まぁでもミーアだったら、なにか思いつくかもしれないけど……」
当人の知らないところで、ミーアの肩に重たい期待が乗せられようとしていた。
それはともかく……、
「より現実的なのはミーア姫殿下の家臣、ないし、グリーンムーン公爵家の誰かが異変に気付いて助けにきてくれることでしょうね。特にルードヴィッヒ殿は、話した感じではかなりの切れ者という印象でしたし……」
「そうだな。その場合、この島の場所を知らせる必要があるだろうな」
「とすると……狼煙かなにかを上げるかい?」
アベルの発案は、意外性はないものの堅実なものだった。
「決まりだな。よし、狼煙を上げて助けを呼ぶことと、食料の確保。当面はこの二つのために行動していこう」
そこで言葉を止めて、シオンは小さく笑みを浮かべた。
「しかし、食料といえば先ほどのミーアの行動には驚いたな……」
主の言葉に、キースウッドが深々と頷いた。
「ええ、まさか何の迷いもなく、自らの食料をあんなにあっさり分配してしまうとは。しかも、我々、従者にまで……」
「ミーアが帝国でやっていた政策を見ると、食料の重要性がわかっていないということは、ないだろう。にもかかわらずだからな……。彼女が人格者であると知ってはいても、驚かずにはいられないな……」
そう言いつつ、シオンは思っていた。
――この島で生活していくには、リーダーを決めるべきだ。俺かミーア、あるいはアベルと思っていたが……。あの思い切りを見せられてしまうと俺が引き受けるのはいささか躊躇われるな……。
ミーアとアンヌは一足早く、男子チームのいる浜辺にやってきた。
ちなみに、ミーアの服はからっからに乾いているが、アンヌの方は若干湿り気味だ。
「着ていれば乾きます」
などと笑って言っているアンヌだったが、空から照り付ける日の光を見ていると、むしろ涼しそうでうらやましいかも、などと思ってしまうミーアであった。
「ああ、ミーア。来たか……ん? エメラルダ嬢はどうした?」
「ニーナさんが服を洗うのを待つと言っておりましたわ」
ミーアの説明に首を傾げるシオンたち。だったが、アンヌの補足説明によって、少しばかり呆れた顔をした。
「なるほど、そうか……」
シオンは小さくため息を吐き、
「少し大切な話だから、彼女たちも待とう」
そうして一時間ほどたって、浜辺に狼煙をたくための準備が整ったところで、ようやく、エメラルダとニーナが戻ってきた。
全員が揃ったのを見て、シオンがおもむろに口を開いた。
「この無人島を脱出するまでの間のリーダーを決めておいたほうがいいと思うんだが……」
「なるほど、確かにそうですわね。船長が多いと、船は月に向かう、と言いますし……」
同意するミーアであったが、そこでふと考える。
――ふむ……そういうことでしたら、わたくしが立候補してもよろしいのですけど。
ミーアには自負があった。
このメンバーの中で、最もサバイバルに精通しているのは、恐らく……自分であると。
食べられる山菜だってわかるし、魚も川魚ならばとり方を知っている。
今ならば、難しいと言われているキノコと毒キノコの見極めだってできる自信があるのだ……自信だけは……あるのだ。
さらに、通常は面倒くさがりなミーアであるが、この場面ではそうも言っていられない。これは、我が身の安全に関わるような事態だ。決して手を抜くことなどできない。
――ですけど……、ここでわたくしが立候補すると、いささか面倒なことになりそうですわね。
ちらりとエメラルダの方を見て、ミーアは思った。
そもそも、この船旅のホストはエメラルダだ。本来であれば、彼女がこの場をリードするのは、ごくごく自然な流れのような気がしないではない。けれど……、
――不思議ですわ……。エメラルダさんがリーダーになったりしたら、生きて帰れる気がぜんっぜんいたしませんわ……。
ミーアの危機察知能力が、強力に訴えかけているかのようだった。
エメラルダはやばい。他の誰がリーダーになるにしても、エメラルダよりはマシだ、と。
そして、ミーアはその勘に従うことにする。
「こういったことは、殿方に任せるのがよろしいと思いますわ。エメラルダさんも、そう思うでしょう?」
シレっとした顔で……、エメラルダがリーダーになる流れを一切作り出さぬよう、細心の注意をもって、話し合いを誘導する。
「ええ、確かに、こういった場合には殿方にリードしていただきたいですわね。ミーアさまのおっしゃる通りだと思いますわ」
エメラルダは、感心した様子で頷く。
もともとエメラルダは、どちらかといえば保守的な考え方をしがちな人だった。そこを見越したミーアの見事な誘導である。
「そうか……。そうだな……」
そしてシオンもどうやらそれを察したのか、エメラルダの方にチラッと視線をやってから頷いた。
「わかった。アベルと俺のどちらかで……」
「いや、すまないがシオン、その仕事は君に任せるよ」
「なぜだ? 遠慮する必要などどこにもないんだぞ?」
その問いかけに、アベルは一瞬、複雑そうな顔をしたが、すぐに首を振った。
「別に、適材適所ということだよ。それにボクは、すでに一軍を率いて指揮を執ったこともあるからね。今回はこの場を指揮することで君に経験を積んでもらおうということさ」
肩をすくめつつ、おどけた口調で続ける。
「ボクの方は、今回はミーアを守ることだけに集中するつもりだよ」
そうして笑うアベルの心中は、少しだけ複雑だった。
ここで、シオンに任せるということは彼のプライドに関わることだからだ。
だからこそシオンも気を使って、わざわざ聞いてくれているのだ。
けれど……、
――もしも、ボクが出しゃばることで、ミーアを危険に晒すようなことがあったら、ボクは生涯、ボク自身を許すことができない。
アベルは自分を知っている。
努力を、鍛練を怠るようなことはしないし諦めることもないのだけど、それでも、今はまだ、シオンの優秀さに届かないことを知っている。
だからこそ、この場の指揮をシオンに任せるのだ。
ミーアを守るために、あえて一歩を引く判断をしたのだ。
……けれど、それで悔しくないわけもなく……。そのモヤモヤを呑み込むために、あえておどけて見せたのだ。
「ボクの方は、今回はミーアを守ることだけに集中するつもりだよ」
と。
けれど、そんな彼の複雑な心中など、まったく知らないミーアは、
「まぁ、アベル……」
などと、トクゥンッ! と胸を高鳴らせてしまうのであった……。
恋する乙女なのであった。