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第九十二話 騒乱の匂いに誘われて……

 中央正教会は古い歴史を持つ宗教組織である。

 その興りは、ティアムーン帝国やガヌドス港湾国よりも古い。組織の形をとる以前の彼らは、神の言葉を受け取る預言者を指導者とした集団だった。

 彼らは、聖典に従って教えを広めていくことで、かの地に道徳的・倫理的な共通基盤を築くと同時に、各国の歴史を編纂、人々の歩みを後世に書き残すことを一つの使命としていた。

 それは、彼らの信仰する神が「人を祝福し、その築き上げたものを自らへの捧げものとして喜ぶ存在」として教えられているためである。

 人の築き上げた歴史、文化、秩序を書き記し、それを神へと捧げることは、神に仕える者たちの大切な使命なのだ。

 そんな中央正教会に属する教会は、ガヌドス港湾国にも当然存在している。

 町の一角、大きくも小さくもなく、また、孤児院なども併設されていないシンプルな建物、その地下にある書物庫にルードヴィッヒらが訪れたのは、昼を過ぎ、日の光が徐々に弱まってくる夕刻近くのことだった。

 この日も、何人かの元老院議員と接触したものの、結果は芳しくなかった。

「まぁ、おおむねそれは予想通りといったところか……」

 特に落胆するでもなく、ルードヴィッヒはつぶやく。

 それはそれとして、今日も白々しいまでに連呼されるグリーンムーン公爵家の名前に、若干のうさん臭さを覚えたぐらいだ。

 教会堂の入り口にて、神父への挨拶を済ませたルードヴィッヒは、早速、ガヌドスの歴史を記した書物を紐解いたのだが……。

「……さて、これは……どうしたものかな……」

 ルードヴィッヒは思わず頭を抱えたくなった。

 目当ての情報がまるで見つからずに途方に暮れたわけではない。逆である。

 ごくごくあっさりと得られてしまったがゆえに、思わず、唖然としてしまったのだ。

 あっさりと目の前に提示されたもの、それはルードヴィッヒの知らない歴史だった。

「イエロームーン公爵はガヌドス港湾国の建国以来、ずっとこの国との友好関係を築いてきた。時に私財を投じて、国への貢献もしてきた。それが、ある時からグリーンムーン公爵に引き継がれた……か」

 確認するように歴史書を目で追ってから、そっと閉じて、天を仰ぐ。

「こんな事実は、少なくとも帝国政府は把握していないぞ。あるいは俺が知らなかっただけなのか……。知らないということを知れ、か。師匠の教えが痛いほど刺さるな……」

 ルードヴィッヒは知っていた。秘密とは、隠蔽しようとすればするほどに目立つのだということを。

 ゆえに、秘密の内容を知ることは難しくとも、そこに重要な何かがあるのだということ自体は察知することができるのだ。

 けれど、目の前にある事実は、別に秘密でもなんでもなかった。

 聞けば出てくる情報で、調べればわかる情報だ。

 にもかかわらず、ルードヴィッヒが知らなかったのは、それが些細なことだから。

 報告に上げるまでもない、どうということもない情報だから。

「隠されるわけでもなく、些細なことだから、もし誰かが知ったとしても気にかけなかったと……そういうことか」

 港湾国自体が小さな国で、せいぜいがガレリア海への通過点に過ぎなくって……だから、誰が交渉の矢面に立っていても気にならなかった。イエロームーン公爵家からグリーンムーン公爵家へと、交渉担当が代わっても、誰も、何も気にしなかった。

 ルードヴィッヒは思考する。

 これは、はたして偶然か? なんの意図もなくできた状況なのだろうか? と。

 一見すると、その可能性は否定できないような気はするが……。

「だが、否だ。これには何者かの意志が働いていると考えるべきだ」

 なぜなら……、そう、ミーアが調べろと言ったから。

 帝国の叡智にして、ルードヴィッヒの主たる姫殿下が、この国には何かがあると感じ、ルードヴィッヒだけでなく、己が動かせる最強の武力、ディオン・アライアまで呼び寄せたのだから……。

 だからこそ、ルードヴィッヒは思考する。

 そこに何者かの意志が、策略が、存在しているものとして……。

「もしも、この状況が作られたものだとして……その目的はなんだ? グリーンムーン公爵家に交渉を一本化する意味は?」

 まず考えられるのは、グリーンムーン公爵が交渉のしやすい相手であるということ。要は手玉に取りやすく、自分たちに有利な条件を押し付けやすいから、代えてくれるなということだろう。

 実際、それは大いにありそうな話だが……。

「しかし、その場合、グリーンムーン公爵に何かがあった際には逆効果になる可能性もある。例えば、グリーンムーン公爵が暗殺されるというようなことがあれば……港湾国との取引は一時的に止まる可能性もあるわけで、その間の利益は……。いや、逆に、それが目的だとしたら……」

 ティアムーン帝国は、食料自給率が低い。ゆえに、外国からの輸入に、かなりの部分を依存している。そして、港湾国は重要な供給源の一つでもある。

「しかし、それは極めて限定的な影響に過ぎないんじゃないか?」

 さすがに、輸入を止められたからと言って、すぐに国が傾くようなことにはならない。

 代理の者を立てる時間的余裕は十分にあるし、なんだったら、港湾国を切ってしまっても、なんとかやっていくことができてしまうわけで……。

 ふいに、ルードヴィッヒの脳裏に、雷が走ったような気がした。

 出会って以来、一貫してミーアが気にしていたこと……。近い将来に起こる危機として警戒しておいて欲しいと、何度も言われたこと。

 それは……。

「……ああ、それで、飢饉なのか」

 ガチっと、頭の中で何かがはまったような気がした。

 もしも飢饉が起き、帝国内部での食料自給率が極端に下がり、なおかつ、港湾国からの食糧の流れも断たれてしまったら……。

 今でこそミーアの指導のもと、食料の備蓄も進み、フォークロード商会という新たな供給源を確保できてはいるものの、もしも何の備えもなく、そのような事態に陥っていたら、帝国はどうなるのか。

「とするならば、その場合はグリーンムーン公爵には死ぬよりも生きていてもらう方がいいな。ミーアさまがおっしゃるような飢饉があったら、グリーンムーン公爵が国外に脱出しても何ら不思議ではない。港湾国としては、裏で脱出の手引きをしつつ、彼の代理として立てられた者に対しては、グリーンムーンを通せの一点張りで突っぱねる。暗殺したならば、代理の者が立ってしまうが、国外脱出の場合には一応はごねることができる。そして、それだけのことで、ガヌドスは帝国に多大なダメージを与えることができる」

 依存させておいて、それを断つ。

 直接軍事力に頼るわけでもなく、ガヌドスは帝国に強大なダメージを与えることができる、そうした体制が築かれているのだ。

「どうかしやしたかい? ルードヴィッヒの旦那、なんだか、顔色が優れないご様子だが……」

 心配そうに尋ねてきたバノスに、ルードヴィッヒは厳しい顔で言った。

「大丈夫だ。欲しいものは手に入った。行こう」


 教会堂から出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 どうやら、かなりの時間、思考に沈んでいたらしい。

「俺も師匠っぽくなってきてしまったか……」

 苦笑いをしつつ、ルードヴィッヒは首を振った。

「それで、なにがわかったので?」

 宿への道すがら、ルードヴィッヒは自身の推理をバノスに語って聞かせる。ふんふん、と熱心に頷いていたバノスであったが……、

「だいたいわかりやしたが……、その戦略には一つ欠けがあるんじゃないですかね?」

「ああ、実は、そうなんだ。それがまだ考えがまとまっていな……」

「ちょいと失礼!」

 直後、バノスがルードヴィッヒの肩を引く。と同時に、腰に下げていた剣を一息に抜き放った。

 ガィン、と硬質な金属のぶつかり合う音。

 薄闇に散る火花に目を凝らせば、闇に溶け込むような、黒装束の男たちが立っているのが見えた。

 その数は五人。その手には曲線を描く片手剣があった。

「これは……」

「ちぃっ! こいつら、いつの間に……」

 剣を構えつつ、バノスは刺客たちを睨みつける。

「ガヌドスの刺客か?」

「さてね。武器的にゃあ、海賊上がりって感じだが……」

 睨みあいは二呼吸、その後、刺客たちが動き出す。

 左右からの連携、それを熟練の剣技でさばきつつも、バノスは舌打ちする。

「なかなかどうして、隙がねぇな。ただの海賊ってわけでもなさそうだ」

「厳しそうか?」

「じり貧になりますからね。やるんなら、捨て身で仕留めるのがいいんですが、俺の命に代えても三人ってとこですね。もう一人行けるかなぁ……、へへ、あんまり捨て身ってのは好きじゃねぇんですがね」

 バノスの鍛え抜かれた太い腕、その筋肉が力強く盛り上がる。

 凶悪そうな笑みを浮かべて、バノスは言った。

「まぁ、できる限りのことはしますんで、あとは上手く逃げてくださいや。ルードヴィッヒ殿。もし生きて逃げられたら、姫殿下にもよろしくお伝えくださいよ」

「バノス殿!」

 ルードヴィッヒの制止の声を合図に、バノスは走り出す。

 爆発的な突進、一気に間合いを詰める。

 それを迎え打つべく、刺客たちは剣を構える。その独特の曲線を描く刃に、刹那、横合いから一陣の風がぶち当たった。

 直後に響くは、何かが割れるような硬質な音。

 パキャアアン、という、ちょっぴり滑稽ですらある音に、刺客たちは驚愕の声を上げた。

「なっ!」

 いっせいに自らの得物に目を落とした彼らは、手の中の剣の刃が、根元で断ち切られていることに気付いた。

 慌てて背後を振り返ろうとして……、

「あはは、振り返ったら、殺すよ」

 軽薄そうな声……、けれど、叩き付けられた殺気は彼らを震え上がらせるのには、十分すぎた。

 直後、肩の上に乗せられた重たい刃に、刺客の一人が小さく悲鳴を上げる。

「あー、前に、ジェムが姫さんにやってたけど、なるほど、確かにこれは楽しいかもしれないな。びくびく震えるのが見てて楽しい」

 などと、ぽんぽんっと刃の横腹で賊の肩を叩いている男。それは……、

「やぁ、危なかった、ルードヴィッヒ殿」

 帝国最強の騎士、ディオン・アライアだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] タツジン! [一言] 一つ一つは小さな一手でも、同時に起こすと大惨事ってことですか…
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