第九十話 形勢逆転! アベル、後の先をとる
キースウッドの言葉通り、洞窟は思ったより広く深かった。
入口がすぼまったように小さくなっているし、わずかに曲がっているから風も入ってこない。少し奥まで行くと快適だった。
それは良いのだが……。
洞窟の途中で、キースウッドはシオンに耳打ちした。
「シオン殿下、この洞窟……少し妙な感じがしますね」
「ん? どういう意味だ?」
「確実なことは言えませんけど、人の手が入っているんじゃないかな、と」
それからキースウッドは洞窟の壁を手の平でなでる。
「……警戒が必要か?」
「どうでしょうね。人がいるという感じではないですが……。どちらかというと、いるのは骸骨とか歩く死者とか、そういう類じゃないかと思いますよ」
新しい痕跡という感じではない。ここまで来るにも道らしい道もなかったし、もし人がいたとしても、かなり昔のことではないか。
おどけて見せるキースウッドに、シオンは外に目をやった。
「そうだな……。どちらかというとこの嵐の方が難敵か……。いや、だが、警戒するに越したことはないだろう。なにしろ、俺たちは帝国の叡智を守り奉らなければならないからな」
そう言って、シオンは洞窟の入り口近くで、外の様子をうかがうミーアの方に目を向けた。
「そうですね。全員に情報を共有しておきましょう。それと単独行動は避けるべきですね」
などと、シリアスな会話が繰り広げられる一方……、洞窟の入り口の方では……。
「すごい豪雨でしたわね。びしょ濡れになってしまいましたわ」
そう言って、ミーアは水を吸った服をぎゅっと絞った。
ボタボタ、音を立てて垂れる水に、先ほどの雨のすさまじさがうかがえた。
「夏とはいえ、風邪でもひいてしまいそうですわね」
「……ああ、そうだね」
「……ん?」
ふと、ミーアは違和感を覚えた。アベルの返事があるまでの、微妙な間に……。
ちらりとアベルの方に視線を送ったミーアは……、微妙に頬を赤くして、目をそらすアベルを見つけた。
それから、改めて自らの体を見下ろす。肌に張り付いて、ちょっぴり肌着が透けてしまっている服を見て……、ミーアはピンときた!
――あらあら、もしかしてアベル、照れてますのね? わたくしの姿に、ちょっぴりときめいてしまってますのね?
にんまり、と小悪魔めいた笑みを浮かべるミーア。先ほどとは打って変わって、余裕の態度である。
それもそのはず、ミーアにとって水着は水に入るための下着である。いくらデザインがもさーっとしてても、露出が少なくても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
けれど、現在のミーアは服を身に着けている。若干、肌が透けていようが関係ない。余裕の態度をとることができる。そうなのだ、ミーアの中身はお姉さん!
アベルが少しだけ成長して、体が引き締まって凛々しくなってきてはいても……それはそれ。
まだまだ、年上のアドバンテージというものがあるのだ。
ということで……、
――うふふ、もう、アベルったら、なかなか可愛らしいですわね。
ミーアはちょっぴり、アベルをからかってみることにした。
そう、ミーアお姉さんはからかい上手なのだ!
それはもう完全なる優位。
大人のお姉さんが、ウブな反応を見せる可愛い少年をからかうという完全無欠な上から目線で……、ミーアは、からかってみようと口を開きかけた……のだが……。
「少し失礼するよ」
そう言ってアベルは、とてもとってーも優しい手つきで……、自らの羽織っていた薄手の上着をミーアの肩にかけた。
「………………はぇ?」
突然のことに、ぽっかーんと口を開け、首を傾げるミーア。
その一瞬の隙に、アベル、気合の踏み込み!
「先ほどから、その……、ふ、服が透けていたからね。ボクの服も濡れていて申し訳ないんだが……」
極めて紳士的に、上着のボタンを留めていき、それから実に生真面目な顔をしてから、
「ミーア、君は……少し自分の魅力を自覚するべきだ。君の美しい肌は、すごく魅力的だから、無防備でいてもらうと……その、困るんだ」
そう言って、アベルは、再び気まずそうに目をそらした。
「………………はぇ?」
ミーアはなんとも間の抜けた声を上げて……、それから、アベルの姿を改めて見た。
上着を脱ぎ、半袖のシャツ一枚になったアベル、剣術で引き締まった二の腕がちらりと覗く。
実に凛々しく、たくましくって……もう、ともかく格好良かった!
なので、ミーアは思わずキュンとしてしまった!
余裕ぶっていたミーアお姉さんは、アベルの返す刀で見事に撃退されてしまったのだ。
完全なる形勢逆転である!
――なっ、なっ、なっ、なんなんですの、アベル、ほんとにもう、なんなんですのっ!? そ、そそ、そんなキザで恥ずかしいこと、なに、サラッとやってくれちゃってますのっ! もうっ、もうっ!!
頬を真っ赤に染め、あわあわと口を震わせるミーア。であったのだが、幸いなことに、アベルはすでにシオンたちの方に行ってしまっていて、それに気づいていない。
羞恥に染まった顔を見られずに済んだミーアは一安心である。
そう、一安心ではあるのだが……。
――っていうか、アベル!? なんで、わたくしのことをシレっと恥ずかしがらせて、そのまま放置しておりますのっ!? こっ、この、心のモヤモヤをわたくしは、どうすればいいんですのっ!?
胸の奥、なんともこそばゆい感情を持て余し、ミーアは、うがーっと叫びたくなるのを懸命に我慢するのだった。
そんな中で、
「あら、湿気がこもってるからかしら? この洞窟、なんだか入り口と奥の方とで温度差がありますわね。ねぇ、ニー……、じゃない。あなたもそう思わない?」
エメラルダの声がのんきに響くのだった。