第八十八話 最弱・最古の最後の公爵
日暮れまでの間、ルードヴィッヒはガヌドスの王都を練り歩いた。
市場や町の商店などで、様々な噂話を聞いて回った後に、宿に戻り、付設された酒場で遅い夕食をとることにした。
席について早々に、バノスはおもむろに手を挙げて二人分の酒を頼んだ。
それから、ふと何事か思い出したように、
「……そういや、姫さんたちは、楽しくやってますかね」
「ん? なにか心配事でもあるのか?」
「いやね、同行した部下が少し……。ああ、誤解しないでくださいよ? 腕っぷしに関しちゃ一級品でさ。ディオン隊長に鍛えられましたからね。戦働きに関しちゃ疑いようがない。あのグリーンムーン公爵のところの護衛なんざ、二人で十分にさばけるぐらいの腕前ですから、賊が現れても問題なく、姫さんを守りおおせますぜ」
ルードヴィッヒは、増強された皇女専属近衛隊の者たちを思い出した。
荒くれ者揃いではあるが、確かに、戦場では頼りになりそうな者たちだった。
「帝国への忠誠に関しちゃちょっと怪しいもんですが、姫殿下には恩義がありますからね。戦いになったら命を張るってことには疑いはないんだが……」
バノスは苦笑いを浮かべた。
「いかんせん、ガラがよろしくないもんでね。姫殿下への忠誠と酒とを比べっちまうと、ちょっと怪しいところがありやしてね」
……お察しである。
「まぁ、それをここで心配しても詮無き事だろうな。ミーアさまのご学友の王子殿下お二人は腕が立つということだし、従者のキースウッド殿もいるのだ。今は我々にできることをしよう」
ルードヴィッヒは小さく肩をすくめてから、少しだけ表情を引き締めた。
「情報を整理しておこう。あくまでも短時間、話を聞いて回っただけの印象だが……グリーンムーン公爵家の評判はあまりよくないようだ」
「ですなぁ。必死でかばわれるようなこともしてねぇみたいだし、これなら、うちの姫殿下の方が人徳があろうってもんです」
腕組みし、うんうん、と頷くバノス。
「にもかかわらず、交渉はすべてグリーンムーン家を通すように、だ。国の上の方はなんらかの利益供与を受けている可能性はあるが、それにしても不自然だ……」
上層部すべてを買収できるほど、グリーンムーン公爵家が太っ腹だとも思いにくい。にもかかわらずのこの状況。これはいったい、どういうことか……。
「おたくさん方、ガレリア海の向こうの国から来なさったんで?」
っと、店の主人が声をかけてきた。わずかに腰の曲がった老人だったが、料理を作る腕前は遠目に見ただけでも熟練のものとわかるほど見事なものだった。
「いや、我々は大陸の……、帝国から来たんだ」
「ああ、帝国の……。したら、今、イエロームーン公爵さまのお家は、どうされておるんかいね?」
老人の問いかけに、ルードヴィッヒは小さく首を傾げた。
「ん? ああ、グリーンムーン公爵家のことでしょうか? それでしたら……」
「違う違う。じゃなくって、イエロームーン公爵さまよ。おいらの婆さまに、大昔に聞いたところじゃ、港湾国は、その昔はお世話になりっぱなしだったんだって話だよ? それがある時期からパッタリ聞かなくなったから、ずーっと心配してたんだ」
「イエロームーン公爵家、ですか……ええ、公爵さまはご壮健ですよ。ご令嬢はセントノエル学園に通っていて……」
などと話しつつも、ルードヴィッヒは戸惑う様子を見せていた。
イエロームーン公爵家とガヌドス港湾国の繋がりなど、今の今まで聞いたことすらなかったからだ。
老人との話を終えた後、考え込んでしまうルードヴィッヒに、バノスは肩をすくめて見せた。
「……妙な話になってきましたな。最古にして最弱の星持ち公爵、イエロームーンの名をここで聞くことになるとはねぇ」
などと言いつつ、バノスはやってきた酒に口をつけた。強い酒精にくぅうっと旨そうな声を上げ、それから、つまみの肴に手を伸ばす。
ガヌドス名物の新鮮な生魚は、近隣に名を轟かすほどに有名なものだった。
舌の上に乗せた瞬間にとろける甘い脂に、バノスは思わず頬をほころばせた。
「旨い……へへ、こいつは役得ですな」
と、そこでバノスは手を止めた。ルードヴィッヒが深い思考に沈み込み、一向に食事に手を付けようとしないからだ。
「なにか、気になることでもありましたかい?」
「気になること、か。そうだな……バノス殿は我らの帝国のルーツについて聞いたことがあるか?」
「いやぁ、あいにくと歴史には詳しくねぇもんで」
「肥沃なる三日月地帯、そこで作物を育てていた農耕民族に、精強な狩猟民族が攻め込んだ。そうして、多くの農奴と領地を確保した。それが帝国の興りだと言われている」
広く世に知られた常識、帝国の始まりを諳んじてから、ルードヴィッヒはわずかにうつむく。
「だが……、実は我々の先祖は海を渡って来たとする説がある。一定の信ぴょう性もあって、すべてではないにしろ、少なくとも民の一部は海の向こう、すなわちガレリア海の向こう側から渡ってきた者たちだというのが有力な説として提唱されているんだ」
「はぁ、まぁ、そいつはわかりましたがね。それが一体なんだっていうんです? 今、関係ないんじゃ?」
疑問の表情を浮かべるバノスにルードヴィッヒは首を振った。
「海を渡ってきたとして……その者たちはどこを通るだろう? ガレリア海から肥沃なる三日月地帯、今の帝都がある場所まで行くのに、どのような進行ルートを通る?」
「ああ、なるほど。つまり、帝国のご先祖さまたちは、このガヌドス港湾国を通ったはずだと、ルードヴィッヒの旦那は、そう言いたいので?」
「ああ。もちろんその頃には、まだ国としての形をとってはいなかっただろう。帝国と港湾国の建国時期は、ほぼ同じころだと言われているからな……。けれど……、帝国とガヌドス港湾国とは建国時から付き合いがあったと考えるべきなのかもしれない。そして、その交渉役を任されていたのは、四大公爵家最古にして最弱と言われている……、イエロームーン公爵家だったとしたら……」
「それがいつの間にかグリーンムーン公爵家が交渉を一手に担うようになっていて、その内に、それが当たり前のことになっている、ねぇ。なるほど、なんだかきな臭いことになってきましたな、ルードヴィッヒの旦那」
「情報が必要だろう。すまないがバノス殿、明日も元老議員との面会の後、少し付き合ってもらうことになりそうだ」
「なにか思いついたので?」
「まだ、何とも言えないんだが……」
腕組みをし、思案顔でルードヴィッヒは続ける。
「俺の知る限り、良からぬことを考えるのは表立って名前の出ている方ではなく、裏で隠れている方だ」
「奇遇ですな。俺の知ってる常識でも、そういうことになってますぜ」
ニヤリ、と笑うバノスにルードヴィッヒは肩をすくめた。
「なんとなくイエロームーン公爵家のことは、この国の中では秘匿されているような感じがするな。だから、それを中心に調べたいんだが……」
「話を聞きに行って、はいそうですか、と教えてはくれなさそうですけど、どうしやすかい?」
「この手の記録をとっている場所というのは通常は二つ。国と教会だ。国の方が信用ならないのだとするなら、別の方を当たってみるまでのことだ」
かくて、翌日、二人は中央正教会の教会堂へと向かうことになった……。