第八十六話 ミーア姫、とっておきの怪談を披露する
パチパチと火の粉がはぜる音がする。
浜辺に作った巨大な焚火は、ゆらゆら風に揺られながらも、辺りをぼんやり赤く照らしていた。
その炎を見ながら、砂浜に敷いた敷物の上に膝を抱えて座り……ミーアはぼんやりしていた。
昼間の水泳トレーニングによって体力を削られたミーアは、落ちてくるまぶたと懸命に戦っていた。
とはいえ、すでにやるべきことはすべて終えている。海水でベタつく体はすでに清めてあるし、さすがはグリーンムーン公爵家というディナーに舌鼓を打ったので、すでにミーアのお腹は充実していた。
あとは、浜辺から少し離れた場所にある幕屋に戻って寝るばかりではあるのだが……、この寝る前の微睡の時間、焚火の淡い明りに照らされて過ごすこのひと時が、幕屋に入って寝ようというミーアの気持ちを鈍らせるのであった。
――それでも……、そろそろ限界ですわ。戻って休もうかしら……。
などと、ミーアが立ち上がろうとした、まさにその時、
「では、そろそろ始めましょうか」
静寂を破って、エメラルダの少し低い声が響いた。
「始める? はて……なんのことですの?」
きょとんと首を傾げるミーアに、エメラルダは意味深に頷いてから、意地の悪い笑みを浮かべる。
「もちろん、怪談噺、ですわ」
「……はぇ?」
「夏の夜、無人島にバカンス……、とくれば、当然やるべきイベントではありませんの?」
「まぁ! そんな馬鹿なことをするつもりでしたの?」
エメラルダの予想外の返答に驚きの声を上げつつ、ミーアは暗い海を見て、次に、ざわざわ風に揺れる森の方を見た。
……どちらも、なにか得体のしれないバケモノが潜んでいそうな……なんとも不気味な雰囲気だった。
ミーアは、別に幽霊やらオバケやらを信じていない。だから、別に怖くなどない。
――むしろ、そう。怪談などバカバカしいですわ、そんなのが楽しいなんて、とんだお子さま! 別に聞いてるだけならどうということもございませんけど? でも、一緒にされたくありませんし? 反対しておこうかしら? 少し強めに反対しておくのがよろしいのではないかしら?
ミーアは、かすかにひきつった顔で、懸命に笑顔を作り、
「そっ、そんなのが楽しいだなんてエメラルダさんは、とんだお子さま……」
「あら、ミーアさま、もしかして怖いんですの?」
「こここ、怖くなんかないですわ。そんなの、ぜんっぜん怖いなんて思わないですわ」
「では、問題ないですわよね? どうぞ、子どもっぽいお話を聞いて、お笑いになってくださいまし」
「うぐ、ぐぬぬ……」
かるーく丸め込まれてしまうミーアである。
「では、早速ですが提案者である私から。とっておきの恐ろしいものを……」
「お待ちになって、エメラルダさん」
ミーアは慌てて口を挟んだ。
――こんなことを言い出したということは、エメラルダさん、相当、怖い話が好きなはず……。きっと学園の同期生からもとっておきの恐ろしい話を聞いているに違いありませんわ……。そんなもの聞いたら……、眠れなくなってしまいますわ……、アンヌが!
エメラルダは、船の上でもアンヌに辛く当たっていた。きっとこのこわーい話で、アンヌを怖がらせていじめるに違いない。
ミーアは自らの大切な忠臣を守るべく、敢然と立ち上がる。
……決してミーアが怖いから、聞きたくないから……ではない。断じてないのである。
――かといって、他に話を振れそうな者は……。
ミーアはその場の皆の顔を見比べる。
――シオンは、なんでも卒なくこなしますから怪談だって上手いはず。キースウッドさんは……、ふむ、この人もモテそうな顔をしてますわね。女性にせがまれてこういった話をされる機会も多いかもしれませんわ。あとは、アベル……。アベルも、レムノ王国伝来の怪談を知っている可能性がございますわ。
怪談といっても、筋書きを知っているものであればそこまでは怖くない。けれど、未知の恐怖話など聞かされた日には、間違いなく眠れなくなってしまう。
――もちろん、アンヌが……ですけど。でも、アベルも船の上でのことを思い出すに、割と茶目っ気がございますし……。わたくしやエメラルダさんを怖がらせるために、張り切って、すごーく怖い話をするかもしれませんわ。油断できませんわ!
となると、ミーアができることは一つだけである。
「僭越ながら、わたくしがさせていただきますわ」
ミーアが立てた作戦は極めてシンプルだ。
自分の創作怪談を長くすることで、他の者が語る時間を削ること。
さすがに自分で作った話であれば、ミーア自身は怖くない。夜もたっぷり眠れることだろう……もちろん、アンヌが。
……最後の方は若干、論理が破綻しているように感じないではなかったミーアであるが、細かいことは気にしない。器の大きいミーアなのであった。
――でも、困りましたわ。わたくし、怪談なんかあまり聞きませんし……。もちろん、別に怖いわけではなく、あくまでも下らないお話が多いからですけれど……。
ふーむ、としばし悩んだ末、ミーアは静かに話し出した……。
自らの体験談を!
「これは、そう、ギロチンにかけられて殺されたお姫様のお話ですの」
若干の脚色を交えつつ、過去の自身の経験を語る。
長く語らなければならないため、懸命に思い出して、語る、語る。
お城に現れる首なし幽霊が語る物語。
その幽霊が残した血まみれの日記帳。
ギロチンにかけられるまでの恐怖と、ギロチンにかけられた瞬間の絶望感……。
時に哀しげに、時に恐ろしげに……。
語っている内にミーアは気づいた。
その場に集う一同の顔が、一様に恐怖にひきつっていることに。
――あら、わたくしの話を聞いて、みなさん怖がってるみたいですわね。うふふ……。
そうとわかってしまうと、ミーアは興が乗ってきた。なんというか、他の人を怖がらせることが、なんだかちょっぴり楽しくなってきてしまったのだ。
より一層、感情をこめに込めて、語る、語る。
やがて、話し終わった時、その場は静まり返っていた。
――ああ、わたくしのお話、よっぽど怖かったのですわね……。
などと、満足感に浸っているミーア。だったのだが、
「まるで、実際にギロチンにかけられたことがあるような話しぶりだな……」
シオンの指摘にハッとさせられる。
それから、改めてみなの顔を見て、ミーアは自身の勘違いに気づいた。
そう……彼らは恐怖していたのではない。引いていたのだ!
それも、どん引きである!
なにせ、ミーアの話したギロチン体験記はどこまでも真実なのである。
刃が落ちる瞬間の気持ち、その音や匂い、処刑場の空気感などなど。あまりにもリアル過ぎて、若干、えげつなくって、高貴なる者たちはいささか以上に引いていた。
「ま、まぁ、ミーアさまは物語がお好きということでしたし……。想像力が豊かなのですわね」
その場を取り繕うような、エメラルダの声が響いた。
――ああ、なるほど。ミーア姫殿下は、たとえ話をされているのか。
ミーアの語る怪談と呼べるか微妙な話。それを脇で聞いていたキースウッドは、最初、首を傾げていたのだが、何のことはない。ミーアはいつも通りのことをやっているだけだった。
――エメラルダさまの行動を諫めるために、怪談の形でたとえ話を創って、語りかけているのか。
理解力のない相手に、難しい諭しを行う際、有効な手段の一つがたとえ話だ。
中央正教会の神父やラフィーナも、神の教えを説く際には、よくたとえを用いているが、ミーアもまた、エメラルダを諭すために、それを使ったのだ。
そもそも、すべての人間を見捨てず、その可能性を伸ばそうというのがミーアの本質である(とキースウッドは思っている)のだから、友人であるエメラルダの行動を見ていられなかったというのは、十分に理解できることだった。
――高慢なる姫君、あの話の愚かな姫のように民衆を顧みずにいると、いずれこうなると、そういうことが言いたいのか。ふふ、それにしても、ミーア姫殿下もなかなか辛らつだな。いくらエメラルダさまとはいっても、パンが手に入らないのにケーキをよこせ、なんて言わないだろうに。一応、国が傾いた後は努力しているという部分で、善性をアピールしてバランスをとっているのだろうが……。
ミーアの話を興味深げに聞いていたキースウッドはエメラルダの方に目を向けた。
――問題は、この話をエメラルダさまが自分のこととして聞いてくれるかどうかだが。
彼が視線を向けた先、エメラルダは意気揚々と声を上げた。
「では、次は、不肖この私が。そうですわね、島にまつわるこわーいお話をいたしますわ」
胸に手を当ててエメラルダは、嬉しそうに話し出す。
……どうやら、ミーアの思惑は外れてしまったらしい……とキースウッドは苦笑して、肩をすくめるのだった。
一方、別の意味で思惑を外されてしまったミーアは、頭を抱えたくなるのを懸命に堪えていた。
時間配分を間違ってしまったために、エメラルダが怪談を話すことを阻止できなかったのだ。
――う、うう、痛恨の失敗ですわ。
などと思うものの、もうエメラルダを止めることはできなかった。
「題して……、さ迷い歩く邪教徒の幽霊……これは、ガヌドス港湾国に古くから伝わるお話なのですけれど……」
そうして、エメラルダは話し始めた。
「昔、それはもう、私たちの帝国ができるよりも前のお話。海の向こうのさる国を追われた邪教の徒がおりましたの。国を憎み、人々を憎みながら彼らは、今、私たちがいるような無人島に隠れ住みましたの。そうして、密かに、その島の地下に邪神の神殿を築きましたの。いつの日にか国に戻ることを、憎い者たちに復讐をすることを心に誓って、日々を過ごしておりましたの……。けれど」
ここで、エメラルダは言葉を切った。それから、全員の顔をじろぉり、と見つめてから……。
「残念ながら、戻ることはできなかった。深い恨みを残して死に絶えた彼らは、未だに島をさ迷い歩いているんですの……。その島、もしかしたら、今、私たちのいるこの島かもしれませんわ」
瞬間、ひょおお、っと悲しげな悲鳴のような声が聞こえた。
煽られた焚火がぼおおっと勢いを強くし、それに驚いたミーアが、
「ひぃいっ!」
っと、小さく息を呑んだ。
それから、こっそりと、すぐ後ろに控えていたアンヌのスカートの裾をつかんだ。
アンヌが眠れなくならないように、配慮してのことだ。アンヌもミーアの行動に気づいたのか、そっとミーアの手に自らの手を添えた。
「どうやら、風がだいぶ強くなってきたようだね」
少しだけ心配そうなアベルの声。護衛の者たちも心なしか不安げな顔をして、あたりを見回していた。
「この分だと海の方も荒れるだろうが、君の船は大丈夫なのか?」
「御心配には及びませんわ、シオン王子。あの船は、ちょっとやそっとでは沈みませんし、船長も熟練の者を乗せておりますのよ」
そう言って胸を張るエメラルダだった。