第八十四話 忠臣たち、暗躍する
ガヌドス港湾国は、一つの首都といくつかの小さな漁村によってなる、ごくごく小さな国である。
一応の王家はあるものの、貴族はおらず。代わりに、いくつかの商工業組合の長による議会、元老院を設けている。
ギルドの中でも海運ギルドと船舶職人ギルドは規模が大きく、グリーンムーン公爵家との関係も深い。
ゆえに、ルードヴィッヒはその二つを避け、別の元老議員にコンタクトを取ろうとしたのだが……。
「困りますな。ルードヴィッヒ殿。そういうお話は、グリーンムーン公爵を通していただかなければ」
結果は散々なものだった。さすがに面会自体はかなうものの、反応はまるで芳しくない。
――いや、散々というよりは、これはむしろ……。
「どうでしたかい? ルードヴィッヒの旦那」
館の主の部屋を出たルードヴィッヒにバノスが尋ねてくる。それに、ルードヴィッヒはただただ苦笑を浮かべて肩をすくめた。
「ダメだな。取りつく島もない」
グリーンムーン公爵家への配慮もあり、できるだけ彼らとの繋がりの薄そうな、味方に引き入れることができそうな者たちを選んだはずであったが。
それにも拘らず、まともに話ができた者はほとんどいなかった。
「そいつはまた……。よほど、グリーンムーン公爵の影響がデカいってことですかい」
そうつぶやいたバノスだったが、すぐに思案げな表情を浮かべた。
「……いや、しかし、そいつはちっと妙な話か」
「やはり、そう思うか?」
眼鏡の位置を直しつつ、ルードヴィッヒは、バノスの顔を眺めやる。
「そりゃあそうでしょう。なにせ、うちらは非公式にしろ皇女殿下の遣いだ。どこぞの弱小貴族ならばともかく、皇帝の一人娘の使者を軽く扱うのは、ちょいと引っかかりますな」
帝国四大公爵家の一角、グリーンムーン公爵家。
保有する財力も、武力も、小国にとっては敵に回したくない存在ではあるだろう。だがそれを言うならば、ミーアも同じことなのだ。
皇帝の娘たるミーアの影響力は計り知れない。ゆえに腹の中ではどうであれ、表面上は友好的な関係を築いておいた方がよいはずなのである。
にもかかわらず……、この扱いなのだ。
さすがに奇妙と言わざるを得ないところではあるのだが。
「……しかし、まぁ、絶対にありえないとも言えないんだ。それは」
「へぇ? そうなんですかい?」
「保守的な政治家はいるわけだしね。今現在、利益を得ている者は現状を変えることを望まない。グリーンムーン公爵との関係で利益を受けている者は、当然、その状況を変化させたくはないはずだから、我々は歓迎されないだろう。下手をすると公爵の怒りを呼ぶ結果になるからね……。だが……」
「だが……?」
「それでも、ここまで強硬に拒絶されるのは、やはり不自然だ。帝国とのつながりをグリーンムーン家のみに絞ることの危険性に気づかぬ者ばかりではないだろう」
現在のガヌドス港湾国は、グリーンムーン家の気分次第で帝国との繋がりが絶たれるという、極めて不安定な状況にあるのである。
足元を見られて、不利な取引を持ち掛けられることだとて、きっとあったはずなのに。
「ガヌドス港湾国にとって、帝国はよい取引先のはずだ。にもかかわらず、この状況を放置していることは気になるな……」
ルードヴィッヒは、瞳を閉じて顎に手を添える。
「これは……、取引の維持、あるいはそこから得られる利益自体が目的ではない、ということか? グリーンムーンのみに取引を集中させる、その意味は……」
ぶつぶつと、つぶやいていたルードヴィッヒだったが、やがて、小さく首を振った。
「ダメだな……。これは、なにかのパラダイムシフトが必要だ」
つぶやいて、ルードヴィッヒは歩き出した。
その後を追いながら、バノスが首を傾げる。
「それで、どうしますかい? 宿に戻って明日に備えますかい?」
「いや、このままでは明日も同じことだろう。だから、そうだな……。とりあえず、いろいろと調べてみるのがいいだろうか……。皇女専属近衛隊の他の者たちは?」
ミーアに随伴して来た近衛の数はバノスを合わせて三十名。二人がミーアと共に船遊びに同行しているため、残りは二十八名だ。
「全員、宿で休ませてまさ。旦那の護衛は俺がしっかりやらせていただきますんで、ご安心を」
どんと胸を叩くバノスに、ルードヴィッヒは苦笑を浮かべた。
「そうか。付き合わせてすまない。本来ならば、バノス殿にも、休んでいてもらってもいいのだが。都でなにかあるとも思えないしね……」
「けど、ミーア姫殿下がディオンの旦那を呼べって言ったんでしょう?」
バノスは、ヒゲをじょりじょり撫でながら言った。
「そんじゃあ、警戒の必要はあるんじゃねぇですかい? なんせ、ルードヴィッヒの旦那も、ミーア姫殿下にとっちゃ替えの利かないお人でしょう?」
「どうだろうな……。ミーア姫殿下にとっては、バノス殿もディオン殿も、近衛の一人ひとりも、すべてかけがえのない存在なのではないかな?」
そう言ってから、ルードヴィッヒは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そういうお方なんだよ。あの方は……」
「なるほど。確かに、そうでしたな。まったく仕えがいのあるお姫さまですな。はは」
バノスは豪快な笑い声を上げるのだった。