第七十六話 天秤王とミーアの忠臣
帝都の一角、主に貴族の子弟が乗馬練習をする練馬場「月馬庭」にて。
ミーアは乗馬訓練に勤しんでいた。
「はいよー! シルバームーン!」
ノリで、適当に馬の名前を呼び、手綱を操る。
走り出した馬の背に揺られつつ、ミーアは上機嫌に笑った。
「ああ、なんだか、わたくし、だんだんと馬に乗るのが上手くなってきたように思いますわ。どうかしら?」
馬に話しかけると、ぶふふん、っと馬が鼻を鳴らした。
『くだらないこと言う前に、もう少し軽くなれや』
と言われているように感じて、ミーアはムッとする。
……被害妄想もいいところである。
帝都ルナティアに帰還して以来、ミーアは毎日、乗馬練習を繰り返していた。
一日二時間みっちりと馬に乗り、さらにダンスの鍛練も欠かさない。
かつて、ミーアがこれほど勤勉であったことがあるだろうか……? いや、ない! などと思ってしまいそうなほどに、ミーアは運動の夏を満喫していた。
「ああ、やはり体を動かすのは気持ちいいですわね……あら? あれは……」
ふと、練馬場の入口に目を向けたミーアは、小さく首を傾げた。
そこには、更衣室で待機しているはずのアンヌの姿があった。
「アンヌ、どうかしまして?」
「ミーアさま、サンクランド王国ならびにレムノ王国から使者の方がいらっしゃいました」
「ああ、例の……。やっぱりキースウッドさんでしたでしょう?」
馬から下りつつ、ミーアは言った。アンヌが差し出してきた、ふわふわのタオルで汗をぬぐいつつ、ふぅっとため息を吐く。
「それが……」
アンヌは、困ったような顔で、後ろを振り向いた。
そこにいたのは……旅用のフードを被った三人の者たちだった。
――ふむ……、思っていたよりは小柄ですわね。
ちょっぴり残念そうなミーアである。
ミーアは大男と相性がいいのだ。
――まぁ、キースウッドさんはさほど大柄な方ではないと思っておりましたけど……、他の方も同じぐらいですわね。レムノ王国からは金剛歩兵団の方ではありませんでしたわね。残念……。
などと、余裕を持っていられたのは、けれど最初だけだった。
「ご無沙汰しております。ミーア姫殿下」
先頭の一人がフードを取ると、そこから現れたのは予想の通りキースウッドの顔だった。
「キースウッドさん、ご機嫌よう。この度は感謝いたしますわ。よろしくお願いいたしますわね」
それから、後ろの二人に目をやった。
「そちらの方々は、はじめまして、かしら?」
完全無欠の愛想笑いを浮かべつつ目を向けるミーア。であったが……、
「ふふ、夏休み中も乗馬練習に励んでいるとは、やっぱり君は勤勉だね、ミーア」
聞き覚えのある声に、思わずギョッとする。
「え? え? ど、どういうこと、ですの? これは?」
混乱の声を上げるミーア。その目の前で、フードをとったのは……、
「アベル? それにシオンまで? なぜこんなところに?」
驚くミーアを見て、二人の王子は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「実はボクがシオンに相談したんだ。ミーアが、少し心配だったから、なんとかしたいってね」
「え……? えっと、それは、つまり……え?」
「つまり、ボクらも護衛としてミーアに同行させてもらおうと思ったんだ。いや、こんな風に国を抜け出す方法があるとは思ってもなかったよ」
「だけど……、大丈夫なんですの? そんなことして……」
少しだけ心配そうな顔をするミーアであったが、そんな彼女に、シオンは小さく肩をすくめた。
「もちろんお忍びだが、まぁ、問題はないだろう。君やグリーンムーン公爵令嬢といっしょに、船遊びに行くだけだからな」
悪びれる様子もなく、そう言うシオンの後ろでキースウッドが遠い目をしていた。
「シオン殿下はいろいろやんちゃをやってますからね。お忍びで外国に来るぐらいならば、まぁ……よくあることと言いますか……」
まるで、自分に言い聞かせるように、ぶつぶつ言っている。
――ああ、この方もいろいろと苦労しておりますのね……。お可哀そうに……。まぁ、主がシオンじゃ仕方ありませんわね……。
かつての弁当作りのことなど完全に忘れて、ミーアはキースウッドに同情する。
ミーアは、他人のことはよく見えるのだ。
「失礼いたします。ミーアさま……、お話の最中に申し訳ありません」
その時だった。
ルードヴィッヒが急ぎ足でやってきた。
「ミーアさま、本日のご予定なのですが……」
「やあ、久しぶりだね、ルードヴィッヒ殿。レムノ王国で会って以来だ」
声をかけられたルードヴィッヒは一瞬虚を突かれたように瞳を瞬かせていたが……、
「なっ! し、シオン殿下にアベル殿下……? なぜ、我が帝国に?」
驚愕に固まるルードヴィッヒに、傍らに控えていたキースウッドが説明する。
「ああ、そうでしたか……。ミーアさまのために……」
「まぁ、今回は半ばは遊びのようなものだと思っているが、これからは、ともに戦うこともあるかもしれないから、改めてよろしくお願いする」
快活に言うシオンに、ルードヴィッヒは深々と頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いいたします。名高きお二方の王子殿下が味方にいるというのは、実に心強い」
そんなルードヴィッヒを見て、シオンは不思議そうに首を傾げた。
「ああ、なんだか……。ふふ、君にそう言われるのは、少しだけ感慨深いな。なぜだろうな。レムノ王国で少し顔を合わせただけだと思ったが……、君に認めてもらうのが、なんだか嬉しく感じる」
「それは私としても光栄なことです。どうかこれからもミーア姫殿下のこと、そしてこの帝国のことを、よろしくお願いいたします」
ルードヴィッヒは、シオンとアベルの目を見つめて、再び頭を下げるのだった。
ここに帝国の叡智の忠臣、ルードヴィッヒ・ヒューイットと後の天秤王シオン・ソール・サンクランドとの間に縁が結ばれることになるのだった。
前の時間軸において、ついには交わることのなかった二人が、今、帝国の叡智ミーアのもと、固く結び合わされたのだ!
……ちなみに、その、絆を結び合わせた張本人、ミーアはなにをしていたかというと……。
「あら……? ですけど、護衛として同伴ということは、一緒に船遊びをするということですわね? ということは、あの水着姿も…………あら?」
ミーアは、無意識に自らのお腹に触ってみた……。
……心なしか……、ちょっとだけ! ふにょふにょしてる気がする!
ミーアの乗馬練習とダンスレッスンに一層の熱が入ったことは、言うまでもないことであった。