第七十話 ミーア姫、勉強論を熱く語る(圧倒的物量作戦!)
自室に戻り、ミーアは改めて試験の範囲を確認する。
「う、うう、さすがにおぼえることがいっぱいですわ……。ぐっ、これを全部おぼえるのは不可能ですわ」
実のところ……ミーアの試験への向き合い方は勘や運に頼ったものではない。
なにしろミーアは、大帝国たるティアムーン帝国の皇女である。
ゆえに、その戦術は正々堂々、正面から。
圧倒的な物量によって押しつぶす。
そう、すなわち、丸暗記である!
出そうなところも、そうでないところも、一切の区別なく頭の中に叩き込む。
ケーキとクッキーを友として、ともかく、おぼえておぼえて、おぼえまくるのだ。
だが、まぁ……、当たり前の話だが、おぼえまくれるならば苦労はない。
気力が続かず、ついついサボってしまい、いつも大事なところがおぼえきれなくって、いい点が取れないのが前時間軸のミーアであった。
ちなみに、現時間軸においては、アンヌの協力もあり、ミーアは前回のテストで上位四分の一の位置をキープしていた。
けれど、今回に関していえば帝国に帰っていたので、授業に参加できていなかったことが大きい。
「……これは、地獄ですわ」
いい点を取るならば、範囲をすべておぼえなければならない。
ごくり、と生唾を飲むミーアであったが、地獄を見たのはミーアだけではなかった。
ミーアが部屋に戻ると、ベルがうーうー、うなっていた。
セントノエルに無事に編入を果たしたベルであったが、そのレベルの高さに早くも悲鳴を上げていたのだ。
「う、うう、おかしいです。ここは、ルードヴィッヒ先生に教えてもらったはずなのに、全然、記憶にありません。絶対変です」
……お察しである。
「う、うう、ミーアおば……お姉さま、なにか楽におぼえられる勉強法がありませんか? これ、全部おぼえれば、たぶん何とかなるような……」
涙目で訴えかけてくるベルを見て、ミーアは思う。
――ああ、わたくしが目の前にいますわ……。
ミーアは、うぐうぐ泣きべそをかくベルを、死んだ魚のように、まるで感情の宿っていない瞳で見つめた。それから、
「ベル……、普段から勉強してないのが悪いのですから、楽をする方法なんてございませんわ」
実感のこもった重たい一言を伝える。
「それは自業自得というものですわ。人は……自分の蒔いた種を自らで刈り取らなければならないのですわ」
含蓄のこもった言葉を、底なしに暗い目をしたミーアが言う。
「うう、おばあさまは帝国の叡智だから、わからないのでしょうけど、勉強は、嫌いな人にとっては、拷問にも等しい過酷なものなんですよ」
「無論知っておりますわ。それでもね、ベル……」
ミーアは孫の肩をしっかりとつかむ。その手は、何かを堪えるかのように、プルプルと小さく震えていた。
「やらなければならないことがございますの……。戦わなければいけない時が、ございますの……」
それから、ミーアは首を傾げた。
「あら……? というか、ベル……、あなたは別に、そんなにいい点とらなくってもよろしいのではなくって? 結果が貼り出されるわけでもございませんし……」
「この前の点数が十点だったので、次に悪い点を取ってしまうと夏休みなしだって、言われました……。セントノエル始まって以来の悪い点だって……」
「なっ!?」
ベルの言葉に、ミーアは戦慄した。ちなみに、セントノエルのテストは基本的に百点満点だ。
「え? じゅ、十点? なんですの、その点数!?」
勉強が不得手で、なおかつサボリ癖のあるミーアであっても、そのような点数を取ったことはない。
というか、そもそもミーア、テスト期間に完全にサボるということができない性格なのだ。
みなが勉強して良い点を目指すのに、自分だけが寝て過ごす? そんな勇気、あろうはずがない。授業中だってそうだ。適当にではあるが、話を完全に聞かない、なんて勇気はミーアにはないのだ。
ゆえに、テストでも、十点など取れないのだ。
――この子……、わたくしより豪胆ですわ。テストの点数が貼りだされても平然としているんじゃないかしら……。
思わず、ミーアはベルに尊敬のまなざしを向け……ようとして慌てて首を振る。
――って、この子、ラフィーナさまにお願いして、編入させたんでしたわ。また悪い点を取ったりしたら、わたくしが睨まれてしまうかもしれませんわ。
それよりなにより、孫の将来が思わず心配になるミーアでもある。
「ここは、わたくしがなんとかしてあげないとダメですわね……」
そうして、ミーアはベルを連れて部屋を出た。
経験上、ミーアは知っているのだ。
自室、しかもベッドがすぐ近くにあり、息をするように寝転がれる環境にあっては、勉強など到底できないということを……。
さらに頼りになるメイド、アンヌも仕事に出ていて今はいなかった。
見守りの目がない環境で、自室で勉強をすることなどほぼ不可能である。
ここ一番、集中して勉強しようという時には、個室にこもっていてはだめなのだ。
「わたくしが、きっちりお勉強を教えて差し上げますわ。要は物量、どんな問題が出ても対応できるように、ともかくおぼえることが……」
などと、勉強根性論を語りつつ、ミーアが向かったのは図書室だった。
「時々、甘いものを食べながら、テスト範囲をすべておぼえる! それこそが、勝利の……」
その時だった。
「やあ、ミーア、これから図書室で勉強かい?」
突然、話しかけられて、ミーアはそこで立ち止まった。
振り返ると、そこに立っていたのは……。
「まぁ、アベル、ご機嫌よう」
ミーアはニコニコ、明るい笑みを浮かべながら言った。
「わたくしは、ベルにお勉強させようと思ってきましたの。あなたもテスト勉強かしら?」
そう尋ねると、アベルは、なぜか気まずそうに頬をかいて、
「えーっと、まぁ勉強しに来たというのは、そうなのだが……。これを……」
そう言って、数枚の植物紙の束を渡してきた。
「あら、それは?」
「一応、君がいない間に授業でやった内容をまとめたんだ。教本には載ってないものもあったから、念のために……。まぁ、君には必要ないかと思ったんだが……」
気まずそうに、あるいは、照れくさそうにそっぽを向いているアベル……。ミーアはその手をぎゅっと両手でつかんだ。
「ああ……アベル。あなたは……」
感動に瞳を潤ませつつ、上目遣いに見つめる。
「お気遣い、感謝いたしますわ」
「い、いや、気を使わないでくれ。君ならば、そんなものなくたって……」
「気など使っておりませんわ。わたくし、本当に心から感謝しておりますのよ?」
そうして見つめあう二人を……、傍でじっと観察していたベルは、何事かを思いついたのか、わざとらしく、ぽんっと手を打った。
「あ、そうです。ボク、お邪魔みたいなので、失礼して……」
などと、もにゅもにゅ言い訳しつつ、その場から立ち去ろうとするベルの襟首を、ミーアは、がっしとつかんだ。
「変な気を回さなくっても大丈夫ですわよ、ベル。あなたもいっしょにお勉強しないとね」
「う、うう、ミーアお姉さまがルードヴィッヒ先生より厳しいです……うう」
べそべそ泣きべそをかくベルに、なんとなく自身の面影を見てしまい、複雑な気分のミーアなのであった。




