第六十八話 ミーア姫、小心者に共感する
――ふぅ、なんとかなりましたわね……。
無事に野菜ケーキのプレゼンを終え、やり切った顔で紅茶に口をつけようとしていたミーアだったが……。
「さて……それじゃあ、ミーアさん。そろそろ本題に入りましょうか……」
ラフィーナの言葉に冷や水をぶっかけられる。
――はて、本題? なんのことですの……?
首を傾げるミーア。それはシオンやアベル、サフィアスも同じで……。けれど、ティオーナとクロエはなぜだか、事情がわかっている様子だった。
みなの視線を受けたラフィーナは、おもむろに一冊の本を取り出した。
「これは、地を這うモノの書の写本……。邪教の秘密結社、混沌の蛇の聖典よ」
「なっ……」
告げられた言葉は衝撃的だった。
ミーアはとっさに、サフィアスの方に目をやる。
「ラフィーナさま、ちょっと、この場でそのお話は……」
大慌てで、アイコンタクトを送る眼力姫!
――ラフィーナさま、正気ですのっ!? その混沌の蛇の一味の者が、そこにっ! そこにっ!
などと……、懸命に訴えかける。と、ラフィーナは納得した様子で頷いた。
「ええ、大丈夫よ、ミーアさん」
その答えに、一瞬、安堵するミーアであったが、、
「この際だから、サフィアスさんにも味方になっていただきましょう」
――ぜっ、全然、わかっておりませんわっ!
ミーアは心の中で悲鳴を上げた。
「サフィアスさんは、ミーアさんがいない間にとっても頑張ってくれたわ。もちろん、まだまだ頑張ってもらいたいけれど……、とりあえず信用してもよろしいのではないかしら。結局のところ、相手が蛇ではないという保証はどこにもないのだから……」
「それは……まぁ、そうかもしれませんけど……」
「ラフィーナさま……、この俺を信用してくださると……うう……」
サフィアスは感動したのか、うるうると瞳を潤ませていたのだが……、ふと首を傾げた。
「はて……? 邪教の秘密結社……、あの、つかぬことをお聞きしますが、それはここ最近、授業が終わってから神聖典の書き取りを山ほどさせられたり、得体のしれぬ男たちとともに、ラフィーナさまの説教を朝昼晩と聞かされたことと、なにか関係が……」
ラフィーナは静かな瞳をサフィアスに向けて、清らかな笑みを浮かべた。
「信用しておりますね、サフィアスさん」
「あ、はい……」
その笑みに、傍で見ていたミーアも震え上がる。
――おっ、恐ろしい。ラフィーナさま、こっそりサフィアスさんのことを、チェックしていたのですわね……。恐らく、身辺調査もきっちりと行っているのではないかしら……。
そんな疑いを、思わず抱いてしまうミーアであった。
「それで、その写本にはどのようなことが?」
気を取り直したように、口を開いたのはシオンだった。
「そう、ね……。簡単に言ってしまえば、国の滅ぼし方が書いてある。どういう手順で、どのように人の心を操って、被害を大きくするのか……とか」
「あ、悪質な本ですわ……」
ミーアは震える声で言った。
実際問題、被害者であるミーアにとって、それはシャレにならない本だ。
帝国の、あのどうしようもない状況の元凶が、まさに、その目の前にあるのだ。
「そして、これはあくまでも写本の一部らしいの。『国崩し』と呼ばれる章を写したもので、写本はほかにも何冊もあるみたい。かつて公国で入手したものとも、今回のものは違っていたから」
シオンは、受け取った本をパラパラとめくりながら、小さくうなる。
「それがすべて手に入れば、蛇の全容が解明できるかもしれない、か……」
一方、アベルとティオーナから説明を受けたサフィアスは、
「混沌の蛇……そんなものが、我が帝国にも潜んでいる……?」
わずかに顔を青くしていた。
本来であれば、それは一笑に付すべき情報だ。現実離れしすぎているし、無条件に信じるには危険すぎるものだ。
けれど……、ここは生徒会だ。
セントノエル学園の生徒会で語られることは、時に小国を滅ぼしかねないほどの重みをもつことがある。
笑い飛ばすことは、決してできない。
それでも、信じられないのか、サフィアスは笑みを浮かべた。
「は、はは……。俺をだまそうとしてるんじゃないでしょうね……」
ひどく怯えた様子を見せるサフィアスに、ミーアは思わずホッとする。
――ですわよねぇ。普通はビビるものですわ。なんだか、みなさん、ごく当たり前みたいな感じで落ち着いてますから勘違いしておりましたけど、やっぱりこれが普通の反応。ここにいる方たちの反応の方がどうかしているのですわ。
ミーアは自分と同じくビビりなサフィアスに、ちょっぴり親近感を覚えた。
「別に気分が乗らなければ、逃げてしまっても構わないと思いますわよ、サフィアスさん。わたくしはそういうわけにはいきませんけど……」
だから、ちょっとだけ優しい気持ちになる。
もともと彼は、混沌の蛇っぽいから、生徒会の役員に誘ったわけで……、別に、一緒に戦うことを期待していたわけではないのだ。
逃げたいならば、逃げてしまっても構わない。
そうだ。逃げたいならば、大好きな王子さまと忠義のメイドと、まぁ、少しばかり小うるさいけど、いろいろ任せられるメガネを連れて……逃げてしまってもいい。
――うう、むしろ、逃げてしまいたいですわ……。
ちょっぴり弱気になるミーアである。
が……、
「逃げる……? ふ、ふふ、侮っていただいては困りますよ、姫殿下」
そう言って、サフィアスは小さく笑みを浮かべた。
「……はぇ?」
予想外の反応に、きょとりんと首を傾げるミーア。
そんなミーアの前で片膝をつきサフィアスは言った。
「ミーア姫殿下が先陣を切って戦おうとされているのに、旗を持ち、民を鼓舞しようとされているのに、四大公爵家の一角たるブルームーン家の者が戦わずして、なんとします! それに、そのような危険な輩が跋扈していては、我が愛しの人も安心できません。ぜひ、その戦列に加わることを認めていただきたい」
それは、堂々たる忠誠の誓い。ミーアの陣営へと加わるという宣言。
帝国四大公爵家の一角、ブルームーン家の嫡男が、ついにミーアの陣営へと加わろうとしていた。
そのような歴史的瞬間に、ミーアは……っ!
――ああ、わたくし、ついに先陣を切って旗を振らなければならなくなったのですわね……。今度は弓で射られて死ぬのかしら……。うう、痛そう……。
死んだ魚のような目で、深い深いため息を吐くのだった。