第六十六話 ミーア姫と忠義の者たち
「はぁ……なんだか、すっごく疲れましたわ……」
帝都に戻ったミーアは、ふかふかのベッドの上で気だるい朝を迎えていた。
ルールー族の村からもらってきた、ふわふわもこもこの寝間着に顔をすりすりこすりつけて、ミーアは「うううっ!」とうなる。
「まだ、寝ていたいですわ……」
ヴェールガからティアムーンへの馬車旅、新月地区への訪問、そこからベルマン子爵領に行き、さらにはルールー族の村にまで足を延ばしての強行軍である。
さすがのミーアも、疲労の色を隠せないところだった。
「べっ、別に、森で立って待ってた疲れが数日遅れで来たとか、そういうことではありませんわ! わたくし、まだまだ体も心も十三歳の若者ですし!」
などと……、誰に言うでもなくつぶやくミーアである。
……しかし、心は二十を過ぎているはずなのだが……。
「ミーアさま、朝食の準備ができたとのことなのですが、いかがいたしますか?」
起こしに来たアンヌに、ミーアはぽやーっとした瞳を向けた。
「なんだか、年々、朝が来るのが早くなるような気がいたしますわ」
などと言いつつも、ミーアは起き上がって、伸びをした。
眠気まなこをこすりつつ食堂にずりずり歩いて行こうとして……。
「ミーアさま、お着替えを済ませてしまいましょう。さすがに、その格好で外に出るのは……」
アンヌはミーアを呼び止めると、素早く、その寝間着を脱がせた。露わになった上質な肌着、さらには肌の状態を素早く確認、それほど汗をかいていないと判断すると、すぐさま、今日のドレスをセレクトする。
外に出た際に感じた気温、室内の気温、ミーアの行動範囲を予想し、一日を快適に過ごせるものを、なおかつ、自らの主を飾るのに相応しいドレスをセレクトする。
そうして取り出したるは、華やかな黄色のドレスだ。ゆったりとした室内用のドレスは、コルセットでお腹を締めずに楽に着られる仕立てのものだった。
それをミーアに着させていく。ぽーっと突っ立っているミーアの邪魔をしないよう、丁寧に、けれど、できるだけ素早く。
その動きは、まさに熟練のメイドの技術と言えた。
基本的にあまり器用ではないアンヌが、これほどの技を身に着けたのは、ひとえに反復練習の賜物といえた。
そうなのだ、馬の練習だけではない。
メイドとしての技術はもちろん、セントノエルでの勉学、さらにミーアの役に立つべく料理に至るまで……。
コツコツ努力を積み上げているアンヌは、今や、究極のメイドに至る道を一歩一歩、着実に歩み始めているのだ。
そんなこととは露知らぬミーアであるのだが……、アンヌはそれでいいと思っている。
着替えの時、やり方が上手くなった、下手になったなどと、意識されているようではまだまだなのだ。
自然に、当たり前に、主の身の回りの世話をしてこそのメイド……。
アンヌはそんな風に考えている。でも、だからこそ……。
「ふぁ……、うふふ、今日はすっかり甘えてしまいましたわ。いつもありがとう、アンヌ」
アクビまじりの涙目で、そんな風にお礼を言われてしまうと、なんとも嬉しくなってしまうのだった。
当たり前に自分の仕事をしているだけなのに、それを評価してくれる人がいることが嬉しくって……。
「はい、ありがとうございます、ミーアさま」
ついつい、わけのわからないお礼を返してしまうアンヌなのであった。
さて、黄色のドレスに着替えたミーアは、ずりずりと食堂に向かった。
――あー、もっと寝てたいですわ、だらだらしてたいですわ……。
などという心の声が漏れ聞こえてきそうなぐらいに、だらだら、ぐんにょりしつつ、食堂へ。
大きな机を前に、椅子の上に小さなお尻をちょこんと乗せて、もう一度、ふわぁ、っとあくびをする。
「おはようございます、姫殿下」
「おふぁようございまふわ……」
目尻に浮かんだ涙をこしこしこすりつつ、ミーアは料理長の方に目を向けた。
料理長は眉間にしわを寄せ、気づかわしげな顔で言った。
「だいぶお疲れのご様子ですね」
「そうですわね。皇女の町の視察にいったり、いろいろ忙しかったので、少し疲れてしまいましたわ。だから、今日はちょっとぐらいわたくしに優しくしてもバチは当たらないと思いますわよ?」
「優しく……、といいますと?」
「そうですわね、朝食代わりにお菓子を出すとか……」
そう言うと、料理長はむっつり黙ってしまった。
ミーアの言葉に呆れたのか、料理長はそのまま無言で踵を返した。
それを見送り、ミーアはため息を吐いた。
「ま、さすがに、朝から甘いものは出てきませんわよね。ここのお料理は美味しいんですけど……クッキーとかケーキとか、朝から食べられたら元気が出ますのに……。まぁ、そんなこと、絶対にありえないでしょうけれど……」
などと言っていたミーアであったから……、料理長が手ずから机の上に置いたものを見て、驚愕の悲鳴を上げた!
「まぁっ! こっ、これは、けっ、ケーキっ!?」
ミーアの前に置かれたもの、それは、ふかふかとした黄色い生地のケーキだったのだ!
立ち上るのは甘い香り。食欲をそそる果物の酸味と、香ばしい焼き菓子のような匂いがまじりあい、ミーアの嗅覚を刺激する。
思わず、じゅるり、と高貴な身分にあるまじき音を口から鳴らしつつ、
「こんな朝から、よろしいんですのっ!?」
ミーアは瞳をまん丸くしつつ、料理長を見つめた。
「はい。姫殿下がお疲れのご様子でしたから……、その、作ってまいりました」
あまりにミーアが喜んでくれたので、少々照れくさくなったのか……熊のような料理長は気まずげに頬をかいた。
「で、でも、確か以前に、お菓子ばかり食べていては体を壊すと、あなたは言ってなかったかしら?」
そう言いつつ、ミーアはケーキ皿を抱え込む。
気が変わって、持っていかれては大変と警戒しつつも、それでも疑問は拭えなかった。
そんなミーアに、料理長は柔らかな笑みを浮かべた。
「ああ、おぼえていていただけましたか……。はい、その通りでございます。あまり甘いものばかり食べていては、お体にさわります。ゆえに……」
そうして料理長は、少しだけ胸を張って言った。
「新しいメニューに挑戦してみました。そのケーキは野菜でできているのです」
「なっ、やっ、野菜で、ですのっ!?」
ミーアは不思議そうに、そのケーキを眺めた。
見た感じ、どこからどう見てもケーキにしか見えない。野菜感はゼロである。
ミーアは恐々とした様子でフォークをつかむと、その先っぽでつんつん、とつついてみる。それから、小さな切れ端を思い切って口の中に入れてみて……。
「ほわぁ……」
その顔が見る見る幸せそうにとろけた。
「甘くてとっても美味しい……。ああ、たまりませんわ」
幸せそうな吐息をこぼした後、ミーアは料理長の方を見た。
「もう、冗談がお上手ですわね、料理長。このケーキとっても甘いですわよ? これが野菜でできているとおっしゃるんですの?」
「野菜とは、本来、とても甘いものなのです。このケーキは黄月トマトと黄月キャロット、さらにミニカボチャなどで甘みと酸味を出しています」
「まぁ、そのような野菜で、こんなに美味しいケーキができるなんて……」
感心のため息を吐くミーアであったが、次の料理長の一言には感動を禁じえなかった。
すなわち、
「そして、野菜で作ってあるため、健康のためにもなります」
「なっ!? そっ、それはつまり、このケーキならばいくら食べても大丈夫ということですのっ!?」
そんな夢のようなものがっ!? と、ミーアは驚愕の視線をケーキに向ける。
「いえ、さすがにいくらでも、というわけにはいきませんが……。それであれば、朝から食べても問題はございません」
苦笑しつつ答える料理長だったが、すでにミーアは聞いちゃあいなかった。
素早い動作でケーキを切り分けると、ひょいひょいと口の中に放り込んでいく。
ミーアにとって、ケーキは飲み物なのだ!
「ああ、素晴らしい……。素晴らしい仕事ですわ、料理長。あなたの腕前にわたくし敬意を表しますわ!」
と、フォークを握る手が不意に止まった。
「もしかして、ですけど、料理長……このケーキ、わたくしのために考えてくださったんですの?」
「皇帝陛下とミーア姫殿下のご健康を守るのも、臣下たる我々の務めなれば……」
静かに頭を下げる料理長に、ミーアは感動した!
「それは、ご苦労なことでした。改めてお礼を言わせていただきますわ、料理長。わたくし、心の底からあなたのお料理に感服いたしました」
ミーアは改めて料理長を労い、その勢いとドサクサに紛れてケーキを三回おかわりしようとして……、さすがにアンヌに止められることになるのだが……。
それもこれも、すべて穏やかなミーアの日常の一幕なのであった。