第二十一話 血税の無駄遣い
湖に浮かぶ豪奢な船、数十台の馬車を載せることができる巨大なそれを見あげて、アンヌが首を傾げた。
「それにしても、ミーア様、どうして島に橋をかけるなりしないんでしょうか? 船にしても、馬車ごと運ばなくっても良いような気がするんですが……」
「なんでも、昔は橋だったそうですが、入学書類のチェックや、随伴する使用人の確認なんかで、もめたらしいですわよ」
橋の場合、どれだけ幅を広くしようと、あるいは本数を増やそうと渋滞は発生する。
そもそも、学生すべてが同じ日に、全員馬車で運ばれてくるのだ。渋滞しても仕方ない。にもかかわらず、乗っているのは、待たされることに慣れていない王侯貴族の子弟である。
もめれば、担当の首が飛びかねないし、かといって、絶対に渋滞が起きないぐらい橋の幅を広くしたり、本数を増やすのは、使用頻度から言って無駄以外のなにものでもない。
「それに、船で学生を運んでいた時には、船室の場所でもめた方がいらっしゃったとか」
王侯貴族の子弟は、基本的にプライドが高い。
自分より家格が落ちる者や同等の者が、自分の船室より上に部屋をとることが許せない。自分より広い部屋を使うことも許せないのだ。
それらの事情をすべて踏まえたうえで部屋割りなど、担当者の胃に穴が開くこと請け合いだ。
「まったく、くだらないですわね。そんなことでもめるなんて……」
おほほ、と笑うのは、前の時間軸で、どの馬車を先に乗せるかで大もめにもめた、モンスタークレーマー姫殿下である。どの口が、そんなことを言うのだろうか……?
だが、そんなことを露とも知らぬアンヌは、
――さすがはミーア様、お心が広いわ!
などと、よりいっそう、忠誠心を厚くしてしまうのだ。
そんなこんなで、たどり着いた港。
そこで送迎用の馬車と、警護についていた近衛騎士団とはお別れとなる。
「みなの者、警護の任ご苦労さまですわ。道中気をつけてお帰りなさい」
「はっ、ミーア姫殿下の、学園生活が神の祝福にあふれますよう、国民一同お祈りしております」
頭を下げる近衛騎士団長に、ミーアはもう一度、丁寧なねぎらいの言葉をかける。
革命の際、ほとんどの帝国軍が裏切る中で、彼ら近衛騎士団は最後まで、ミーアたちを守って散っていった忠義の者たちである。
ミーアとしては“仲良くしておきたい部類”の人たちであるから、対応が丁寧になるのも当たり前のことだった。
「……姫殿下」
自分たちの仕える姫君からの、温かなねぎらいの言葉に、近衛騎士たちは思わず感動する。
なにしろ、はじめてだったのだ。こんなに気遣ってもらったのは。
皇帝一族の警護を勤め、時に暗殺すら未然に防ぐ腕利きの彼らだが、その働きはしょせんは仕事である。
それで怪我をしようと、命を落とそうと、警護対象者が気にすることではない。それが仕事だから、任務だから、当たり前だから……。
だというのに、目の前の幼き姫君は、帰りの心配までしてくれているのだ。ほのかな感動と、ミーアに対する揺るぎなき忠誠心を胸に、彼らは帰還の途についたのだった。
「さて……、それでは、学園に向かいましょうか」
それからミーアは改めて、決戦の地、セントノエル学園へと視線を向けた。
セントノエル学園のある湖中の島は、一つの町としての機能を備えた、いわゆる学園都市というものであった。
そこには、レストランや、洋服の仕立て屋、靴屋、鍛冶屋、宝飾品店に文具屋など、さまざまな商店が軒を連ねている。
しかも、貴族の子弟を満足させるために、そのすべてが超高級店だ。
「うわぁ……」
その近寄りがたいオーラに、アンヌが若干ひきつった顔をする。
「はっ、入るのが怖いお店がたくさん……」
「ふふ、そうですわね。ですが、それも表通りだけですわ。この島に住んでいる一般の方たち向けの、安いお店もきちんとありますのよ? 学校の中にも購買部があるのですが、そちらならば、そこそこのお値段で生活に必要なものは揃えられますわ」
――よかった。それなら私が使うものは、そちらで済ませれば……。
「なので、アンヌ、あなたは明日からしばらくの間、このあたりのお店を調べてみてもらえるかしら?」
「……へ?」
「そして、手ごろな価格で、それなりの品質のものが買えるお店を、すべてチェックしておいてもらいますわ」
ミーアは何でもないことのような口調で言った。
「で、ですが、ミーア様、生活には困らないように仕送りは十分に送られてくるって……」
「むろん、帝国の姫として、威信を守るための必要経費というのはありますわ。でも……」
あたりを見回して、眉をひそめる。
「血税を無駄遣いしているようで、気が引けますの」
「ミーア様……」
アンヌは、思わず感動に声を震わせたのだが……。
「無駄遣いなど、できませんわ。絶対に……」
ミーアにとって、税とは、文字通り自分の「血」につながるものだ。
金貨一枚の分、ギロチンが迫ってくると思えば、無駄遣いなんかとてもする気にはならない。
「仕送りの半分は、ルードヴィッヒに送って有効に使ってもらうことにいたしますわ」
その時、ふいにミーアが立ち止まった。
「ミーア様?」
「……あれは」
その視線の先、立っていたのは……。