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第五十七話 別に逃げてしまっても構わないのでしょう?

 ぱかぽこぱかぽこ、ミーアを乗せた馬車が行く。

 馬車を引く馬は、その主たるミーアのやる気を読み取ったかのように、微妙にやる気のない足取りだ。

 ――あぁ、気が進みませんわ。気が進みませんわ。

 ふぅうっと深い深いため息が馬車の中に響いた。

 ちなみに現在、馬車の中にはミーアとアンヌしかいない。

 ルードヴィッヒはミーアの受け入れ準備を整えるために先行しているし、ベルとリンシャは別行動中だ。

 結果、狭い馬車の中にはミーアのため息だけが響く、微妙に気だるい空間が出来上がってしまっていた。

 ――そもそも、ルードヴィッヒのお師匠さまなのだから、ルードヴィッヒが説得してくれるのでもいいのに……。あー、向こうに着いたら全部、話がついてたりしないかしら……?

 ご存知のこととは思うのだが、ミーアはサボれるものならサボりたいタイプである。

 夜寝ている間に月の妖精がやってきて、問題をすべて解決してくれているのがベストだ。

 ついた瞬間、ルードヴィッヒがやってきて、説得が終わっているのが理想なのだ!

 ……当然ながら、そんなに都合のいい話はない。

「はぁ……ふぅ」

 ミーアが、何度目かになる、切なげなため息を吐いたところで、

「ミーアさま、大丈夫ですか?」

 気づかわしげな顔をして、アンヌが声をかけてきた。

「あら? なぜですの?」

「その……元気がないように感じたので……」

「そんなことございませんわ。心配には及びませんわ」

 そう言って、ミーアは微笑みを浮かべて、はふぅっと深い深いため息を吐く。

 それを見ていたアンヌは、なにやら覚悟を決めたような顔をすると、御者台の方に出て行った。

 と、すぐに戻ってきたアンヌは唐突に言った。

「あの……ミーアさま、せっかくですから、馬に乗りませんか?」

「へ……? 馬に、ですの……?」

 きょとんと首を傾げるミーアに、アンヌは優しい笑みを浮かべた。

「はい。ミーアさま、遠乗りがお好きでしたし。先ほどバノスさんに聞いてきたんですけど、このあたりの道はよく整備されているから、馬にも乗りやすいんじゃないかって……」

「んー、まぁ、気分転換にはいいかもしれませんけれど……、あら? でも、アンヌは乗れないのではなかったかしら?」

 そう尋ねると、アンヌはなぜだか、もじもじしてから、

「実はその……。私も馬に乗れるようになりたくって、この前から空いた時間に練習していたんです」

「まぁ! アンヌが馬に? それは初耳ですわね。いったいなぜ、そのようなことを?」

 首を傾げるミーアに、アンヌは凛々しい顔で言った。

「ミーアさまの足手まといになりたくなかったから、です」

「あら、別にあなたのことを足手まといだなんて思ったことは……」

「レムノ王国の時、連れて行っていただけませんでした。ミーアさまが、一番危険な目に遭われているのに、私は、馬に乗れなかったから……おそばにいることができませんでした」

 悔しげに、小さく震える声でアンヌが言った。

「アンヌ……」

「でも、これでどのような時にでも、ミーアさまのおそばについていくことができます」

 アンヌは、そっと自らの胸に手を当てて、それから小さく微笑んだ。

「だから、ミーアさま、どうぞあまり気負わないでください。ミーアさまであれば、私はどんな問題でも解決できるって信じていますけど、でも、もしもどうにもならなくなったら、逃げてしまえばいいんです。私はいついかなる時でも、たとえ地の果てであろうと、ミーアさまについていきますから」

 だから、そんなに気負わないでほしい……、と。

 そんな思いのこもったアンヌの励ましの言葉だった。

 緊張しすぎて失敗しないようにという気持ちのこもった優しい言葉だった。

 それを聞いたミーアは、いたく感動した。

「あ、ああ、アンヌ……、そう、そうですわよね……」

 感動した上で……、

 ――そうですわ。もう、いっそどこか遠くへ逃げてしまえばよいのですわ。相手があまりに強力ならば、別に逃げてしまっても構わないのですわ。わたくしとしたことが、うっかり正面から真面目に説得することにばかり気を取られていて……大切なことを見逃しておりましたわ。わたくしが逃げてしまったら、きっとルードヴィッヒあたりが何とかしてくれるはずですし。そう、ダメなら逃げてしまってもいいじゃない?

 ……見事に曲解した!

 人間は、自分が聞きたいものだけを聞き、見たいものだけを見る生き物なのだ。

 もっとも、実際にはそう簡単に逃げられるはずもないのだが……。


 暗い鬱々とした気分から解放されたミーアは、軽やかな気持ちで馬車を降りた。

 そこには、すでに近衛の乗っていた馬が二頭用意されていた。

「どうぞ、ミーア姫殿下。こちらの馬をお使いください」

「うふふ、どうもありがとう。それでは、少しお借りしますわね」

 上機嫌に馬に乗るミーア。同じく、隣の馬に乗ったアンヌを見て微笑みを浮かべる。

「うふふ、なかなかさまになってますわよ、アンヌ。では、参りましょうか」

 そうして、馬を歩かせ始めて、ミーアはふと思う。

 ――ああ、そういえば馬に乗るのは久しぶりですわね。

 最初の内は、この揺れや馬の背の高さが怖かったものだが、今ではすっかり慣れてしまった……慣れきってしまった。

 ミーアはすっかり先輩面で、隣を歩くアンヌの方を見た。

 アンヌはアンヌで、どうやらかなり練習したらしく、危なげなく馬に乗りこなしている。

「なかなか上手いですわよ、アンヌ。あ、そうですわ。どうせですし……、あそこの丘まで競争いたしましょう!」

 言うが早いか、ミーアは馬の脇腹を蹴った。

「はいよー! シルバームーン!」

「姫殿下、その馬はそのような名前では……」

 などという近衛のツッコミの声を置き去りに、ミーアを乗せたシルバームーン(仮)が走り出した。

 びゅんっと風が体に吹き付けてくる。

 髪が風に揺られて、ふわふわ、頬をくすぐった。

「うふふ、気持ちいいですわ。ほら、もっと速く速く!」

 ミーアの掛け声に応えるように、ぐんぐん馬が加速していく。草原の草を蹴り上げ、小さな段差をものともせずに、風のように走る! 

 ――ああ、すごいですわ。なんだかわたくし、天馬にでも乗っているかのよう! やはりこういう体験をエリスに教えてあげないといけませんわね!

 そんな風に、ミーアが自分に酔っていると突如として、

「姫殿下、馬を止めろ! 速すぎる!」

 後ろから、声が追いかけてきた。

「はぇ……?」

 それでようやくミーアは我に返った。

 馬が……いつの間にやら、シャレにならない速度で走っているということに。

「ああ、調子に乗りすぎてしまいましたわ……。おほほ、わたくしとしたことが。ええっと、止めるには……」

 冷静にならなくてはいけないわ、と、ミーアは自分に言い聞かせつつ、手綱を持つ手に力を入れて……引く!

 けれど……この時のミーアはいささか慌てていた。ゆえに、手綱を引く力が強すぎた。

 直後、馬が前脚を振り上げる。

 突然、思い切り手綱を引かれたせいで、驚いてしまったのだ。

「…………はぇ?」

 そんな、ちょっぴり間の抜けた声を上げた瞬間、ミーアの体はびゅんっと空中に投げ出されていた。それも、結構なスピードで、である。

 ――あ、あら? これ、まずいんじゃ……?

 とは思うものの、もはや落馬は避けられない。

「ミーアさまっ!」

 アンヌの悲痛な悲鳴を遠くに聞きながら、ミーアは思い切り地面に叩きつけ――られそうになったところで、突如、お腹のところになにかが巻き付いてきた。

 太くて硬いそれがなにか考える間もなく、お腹がギュッと締め付けられる。

「ぐえっ!」

 まるで、つぶれたカエルのような声を上げるミーア。こみ上げた吐き気をなんとか飲み込みつつ、視線を巡らせる。と、

「ふぅ、間に合ったか。大丈夫ですかい? 姫殿下」

 苦笑いを浮かべるバノスの顔が見えた。

 それで、ようやくミーアは気づく。

 自らの脇腹を締め上げているものがバノスの太い腕で……自身がバノスの小脇に抱えられているということに……。

「危ないところでしたな。間に合ってよかったですよ」

 そう言いつつ、バノスはミーアを自身の馬にまたがらせた。

 ミーアは素直にバノスの前に乗って体勢を落ち着けてから、改めて首を巡らせてバノスの方を見る。

「助かりましたわ、バノスさん。申し訳なかったですわね、調子に乗りすぎてしまいましたわ」

「まったくですぜ、姫殿下。あんたになにかあっちゃあ、ディオン隊長もルードヴィッヒの旦那もガッカリしちまいますぜ。あのメイドのお嬢ちゃんもね」

 ふと後ろを見ると、真っ青な顔をしたアンヌが懸命に馬を操ってこちらに向かってきていた。

「ああ、アンヌにも心配をかけてしまいましたわね……」

 これで万が一にも落ちてケガでもしていたら、アンヌが卒倒していただろう。

「気を付けなければなりませんわね」

「しかし、ミーア姫殿下も俺に無礼者とか言い出さねぇんですね」

「あら? 助けられたのだから、当たり前ではなくって?」

「いやぁ、俺も同意見なんですがね。世の中、そういう貴族の方ばっかりでもなくってね」

 バノスは苦笑いを浮かべる。

「それにしましても、バノスさん、あなた、近くで見るとずいぶんと大きいですわね」

「お? へへ、まぁ、帝国有数を自負してまさぁ。けど、でかいだけと思われるのも、ちょっとシャクだ。さすがに、ディオン隊長には及ばねぇけど、腕前の方もかなり立ちますぜ」

 バノスはガハハと豪快な笑い声を上げる。

「俺よりでかい帝国兵はいるし、俺より強い帝国兵もいるが、俺ぐらいでかくて強い帝国兵ってのはいないんじゃないかって思いますぜ。へへ、だから、まぁ、鎧を着こめば盾にはちょうどいいってね」

「まぁ、それは頼もしいですわね。けれど、ご自分のことを盾だなどと揶揄するのは感心いたしませんわ。あなたは皇女専属近衛になったのですから、胸を張ってわたくしの護衛騎士を名乗ればよろしいですわ」

 そう言って微笑むミーアに、バノスは愉快そうに笑みを返した。

「へへ、姫殿下、やっぱりあんた、気持ちがいいお人だね。それでこそ仕えがいがあるってもんだ」

 そうして顔を見合わせた二人は笑った。

 ミーアは大男と相性がいいのだ。

「ミーアさま! お怪我はありませんか!?」

 そこに、血相を変えたアンヌがやってきた。

 そんなアンヌに、ミーアは平謝りに頭を下げるのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >「俺よりでかい帝国兵はいるし、俺より強い帝国兵もいるが、俺ぐらいでかくて強い帝国兵ってのはいないんじゃないかって思いますぜ。へへ、だから、まぁ、鎧を着こめば盾にはちょうどいいってね」 「…
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