第五十一話 ミーア姫、苦言を呈する
「これは、ミーア姫殿下。お久しゅうございます」
ミーアたちの到来を察したのか、教会から神父が出てきた。
相も変らぬ穏やかで優しげな笑みを浮かべる神父に、ミーアはなんだか少しだけ懐かしさをおぼえる。
「ええ、本当に、ずいぶんとご無沙汰してしまいましたわね」
ミーアはいつも通り、スカートの裾をちょこんと持ち上げて礼を返してから、傍らにいるベルを神父に紹介する。
「ああ、ミーア姫殿下の血縁の方ですか……。たしかに面影が少し似ておいでだ……。はじめまして」
「は、はい。はじめまして」
ベルはちょこんっと頭を下げてから、じっと神父の顔を見つめて……、それからミーアの耳元に顔を寄せた。
「あの、ミーアお姉さま……」
「ん? なんですの?」
「この人……、なんだかあんまり賄賂とかで心が動く人には見えないですけど……」
むしろ、賄賂で心証が悪化するんじゃあ? と心配そうなベルに、ミーアは余裕の笑みを浮かべる。
たしかに、世の中にはそういう人間もいる。
だが……。
「ふふふ、心配ありませんわ。あの方もまた、心持つ人間。であれば誘惑することは十二分に可能ですわ……。そして、賄賂じゃなく手土産ですわ」
賄賂なんて人聞きが悪い、と……悪女のような笑い声をあげてから、ミーアは言った。
「よくおぼえておくといいですわ、ベル。こういったことのほとんどは、事前に相手の情報をいかに得られるかで決まるものですわ」
それからミーアは、神父の方に目を向けた。
「今日は神父さまにお願いしたきことがあり、こうして参りましたの」
「おお、それはわざわざ足を運んでいただいて恐縮です。それでは、どうぞ、お話は私の部屋で……」
そう言って歩き出した神父の後について、孤児院の中を進む。
「そういえば、あの子はお元気かしら。あのルールー族の……、この髪飾りをくれた子ですわ」
そう言って、ミーアは自らの髪に手をやった。ちょっぴりわざとらしく……。
そこには、虹色に輝く髪飾りが、淡い輝きを放っていた。
それはルールー族族長の娘の形見……では、実はない。
例の髪飾りは、すでに族長のもとに返されている。これは先日、新たに贈られたものなのだ。
なんでも、あの少年がはじめて削って作ったものだとか……。
つけておくだけで少年のみならず恐らくは神父の好感度が上がることに加え、つけずに少年と会った場合は大変に気まずい。
ならば、つけない理由はない! というミーアの危機管理能力が光るファッションである。
「はい。先日訪ねてきてくれました。森で採れた果物をたくさん持って……。ふふ、その髪飾りも大切にしていただけているようで、きっとあの子も喜びます」
「会えなくって残念ですわ。ぜひお礼を言いたかったのに。よろしく伝えておいてくださいませね」
「はい。わかりました」
と、その時だった。ふいにミーアは、視界の中に入ってきたものに、足を止めた。
その視線の先にあったもの、それは、広い部屋で子どもたちが書き物をしている光景だった。
真新しい机を囲み、熱心に書き物をする子どもたち。もちろん、退屈そうにしている子もいるが、ほとんどの子はまじめに教師役の修道女の話を聞いている。
「文字を教えているのです、姫殿下」
後ろから、神父が説明してくれる。
「中央正教会では、識字教育に力を入れているんですのね」
「はい。読み書きと計算さえできれば、いろいろな仕事ができます。それに、自分で聖典を読むことができますから」
神父や司祭を通してだけではなく、一人一人が直接に神からの教えを受けることができるように大陸すべての人に識字教育を……。
それは古くからの、中央正教会の方針であった。
――ふむ、この神父さまも、やはり教育には熱心ですのね。衣食住に余裕が出てくれば、今度は子どもの教育にお金を回したんですのね……。
真新しい机とわずかにほつれた神父の服とを見比べて、ミーアは……にやりとほくそ笑む。
――これならば学園計画に協力していただけそうですわ。手土産で上手く心をつかむことができれば……。
神父の部屋に入り、ちょっぴり固い椅子にお尻を落ち着けたところで、
「あっ、そうでした。忘れておりましたわ」
ミーアはわざとらしく、ぽんっと手を打つと、ミーアは持ってきていた手土産を神父の前に置いた。
お願いする立場である以上、こうした気遣いは不可欠である。それは言うなれば潤滑油のようなものなのだ。
なくても話は通るかもしれないが、あればよりスムーズに話を進めることができる。
「これ、お願いされていたものですわ」
そのミーアの言葉に、神父の目の色が変わる。
「そっ、それは、まさかっ!?」
震える手で、神父が持ち上げたもの……それは一枚の肖像画だった。
「以前、お願いされたラフィーナさまの肖像画にサインをしていただきましたわ」
「ああ、ありがとうございます。ミーア姫殿下……。無理なお願いを聞いていただきまして……」
感動に、わずかばかり声を震わせる神父に、ここぞとばかりにミーアは追い打ちをかける。
「ふふ、それだけではございませんわ。実はもう一枚あるんですの」
「……もう一枚?」
きょとんと首を傾げる神父に、ミーアは会心の笑みを浮かべて、
「これですわ!」
どどーんっと効果音付きで、こっそり背後に隠しておいたものを差し出す!
それはっ!
「先日、セントノエル学園で売っていたものに、ラフィーナさまにサインしていただきましたの。どうかしら? これって珍しいものなのではないかしら?」
得意げに微笑むミーア。だったが、神父は無反応だった……否、そうではなかった!
その体が、かすかに、震えていて……。
やがて!
「お、おおおっ! そっ! そそ、それはっ! まさかっ!」
地の底から響くような声を上げ、神父はその肖像画を手に取った。
「まさか、ヴェールガ公国内はおろか、セントノエル学園においても期間限定でしか買えない……特別限定伝説級版、生徒会長選挙Verっ!?」
さらに、彼はその下の部分に書かれたラフィーナのサインと自らの名前、さらに、
「いつもお仕事お疲れさまです。あなたに神の祝福がございますように」
との、ありがたいメッセージまで見つけてしまい……、「ひょーっ!」と悲鳴を上げた。
……ちょっと怖い。
「……とっ、特別限定伝説級版? そっ、そうなんですのね? 正直、詳しいことはわかりませんが……」
神父の食いつき加減に、若干引き気味なミーアである。
まぁ、それでも喜んでもらえたのだからよかったのだろう、と気を取り直して……。
「とっ、ところで、肝心の今日ここに来た件なのですが……」
「はい。それはもう。ルードヴィッヒ殿からすでにお話を聞いております。少し検討させていただきたいとお答えしておりましたが、ぜひ喜んで、最大限、協力させていただきます!」
「はぇ……?」
さすがに想定外の事態に、ミーアは目を白黒させる。
一方ベルの方はといえば……。
「こ、これが、賄賂の力……」
潤滑油……どころか、摩擦係数がマイナスになって、空の彼方にすっ飛んでいきそうなぐらいの勢いに、ごくりと喉を鳴らすのであった。
――これは……もしかして賄賂……じゃなかった。お土産、必要なかったかしら……?
などと思わなくもないミーアではあったが、まぁ、それでも神父が喜んでくれたのでよしとしておく。
――この方も、蒔いた種に相応しくたまには報われてしかるべきですわ。
そんなことを思いつつ、ミーアはそっと心の中で、快くサインしてくれたラフィーナに感謝するのだった。
「こっ、これは寝室に飾らせていただきます!」
「どうぞ、ご自由に……」
「ベッドの上の天井に飾るとよい夢が見られると、仲間内で評判でして……」
「……あなたへの敬意が薄れてしまいそうですので、具体的に言わなくっても結構ですわ」
ラフィーナには使い道を黙っておこう、などと思いながら、 珍しくまっとうな苦言を呈するミーアであった。