第四十三話 帝都への帰還
アンヌが持ってきたのは、ルードヴィッヒからの知らせだった。
曰く、
『学園都市計画のことでご相談したきことがあり。至急、帝国に戻られたし』
とのことだった。
「まぁ、珍しいですわね、ルードヴィッヒからの呼び出しなんて……」
基本的に、優秀なルードヴィッヒがミーアの手を煩わすことはほとんどない。
時折、名前を貸してくれとかなんとか言ってくるので、その都度よく考えもせずに許可を出しているミーアである。
ミーアは昔からイエスマンなのである!
……悪い男に騙されないか、少しばかり心配だ。
それはともかく……。
手際よく、文とともに皇女専属近衛部隊も派遣されてきていたらしい。
湖畔に部隊が待機中とのことで、翌日、早々にミーアは帝国に戻ることになった。
同伴者はアンヌとベル、それに、ベルの従者であるリンシャだった。
「ごめんなさいね、リンシャさん。せっかくのセントノエルで勉学の機会を……」
ミーアの謝罪に、リンシャは肩をすくめて見せた。
「仕事ですから気にしないでください。それに、ティアムーン帝国には行ったことがないので、後学のためです」
そうして四人を乗せた馬車は護衛の小部隊を引き連れて、帝国への道を急いだ。
「それにしても、学園都市計画のこと……、なんですのね。たしか建物の方はすでに建設が始まってて、夏ぐらいから生徒たちの勉強を始める予定と聞いておりましたけれど……」
さて、なにが起きたのだろう、などと首をひねりつつ、ミーアは持参した「ミーア皇女伝」を取り出した。
馬車に乗っている間は時間があるし、今のうちに検証作業を進めておきたい、と考えたのだ。
あまり他人に見せてよいものでもないが、まぁ、この三人なら適当に誤魔化せばいいか、という適当な判断である。
「あら? ミーアさま、なにをお読みですか?」
早速、尋ねてきたのはリンシャだった。興味深げに、本を覗き込もうとする。
「ああ、これはですわね……」
図書室で借りた外国の本……などと口から出まかせを吐こうとした、まさにその時!
「うっふっふ、それはですねぇ。ミーアお姉さまの功績を讃えるために書かれた『ミーア皇女伝』なのです!」
ベルが、得意げに言った。
「なっ!?」
衝撃に、思わず声を失うミーア。その間にも話がどんどん進んでいく。
「ミーア皇女伝って……。ああ、もしかして、どこかの国の誰かが勝手に書いて出版されたのを入手して、分析してる、とか? 世間の評価を知ることは王族にとっても益になるでしょうしね、うん……」
などと納得して頷いているリンシャに、
「書いたのは、ミーアお姉さまのお抱え作家のエリスかあ……、エリスさんなのです」
ベルはペラペラと説明する。
「まぁ、エリス、いつの間にそんなもの書いたのかしら……?」
不思議そうな顔をするアンヌ。
その隣でリンシャが、しらーっとした目で、ミーアの方を見ていた。
『あんた、自分のお抱え作家に、自分の功績を褒めたたえる本を書かせたの? っていうか、それを馬車の中で読むの? 私たちに見せびらかしながら……? え? 正気?』そんな気持ちがありありと感じられるような目で見られたミーアは……、
「う、うう……。やっ、やめて、見ないでっ! そんな目でわたくしを見ないでくださいましっ!」
顔を両手で覆い、ぶんぶんっと頭を振る。
羞恥心は姫をも殺す、恐ろしいものなのだ。
――や、やっぱり、この本は危険ですわ!
リンシャの前で読むのは心が持たないと判断したミーアは、アンヌとリンシャに言って、御者台の方に移ってもらった。
幸い、今夜の宿営場所や夕食の手配のことなど、近衛騎士たちと打ち合わせることもあったので、二人にはそれをしてもらうことにした。
さて、ベルと二人きりになったミーアは、しっかりとベルに注意した後、改めて『ミーア皇女伝』を開いて…………違和感を覚える。
――なんだか……変ですわね。これ、この前、読んだ時と記述が微妙に異なっているような……あっ!
その時、ミーアは見つけてしまう。
ある記述の欠落……それは。
「……ベル、つかぬことをお聞きしますけれど、わたくしはティアムーン帝国内に学園都市を築きますわよね?」
「はい。聖ミーア学園のことですね?」
……不穏な名前が聞こえて、ミーアは思わず固まる。
「えーっと、今、なんと……?」
「聖ミーア学園です。静海の森のすぐそばの皇女直轄領にある、ティアムーン帝国で最も格式高い学校で、様々な学問の研究をしてます」
「あー……まぁ、名前はちょっとどうかと思いますけど、それで間違いないですわね」
どこのどいつだ、そんな名前をつけやがったのは! などと思いつつ、ミーアは、小さく首を傾げた。
「だとしたら、余計におかしいですわ。この皇女伝に……その学校のことが全然載ってませんわ」
その名前の学校であるならば、まず間違いなく、この本に載っているはず。にもかかわらず……、ミーア皇女伝には、その学校のことが一切書かれていないのだった。
「え……? そんなはずないです。だって、ボク、読んだことありますよ」
本を覗き込んだベルは、あれ? と声を上げる。
「え? え? そんな……どうして? これ、変です」
混乱した様子のベルを見て、ミーアはなにが起きたのかを察する。
――恐らく、あの日記帳や歴史書の記述と同じ……なのでしょうね。なにかのきっかけで記述が書き換わったんですわ……。あら? でも、ベルの記憶自体は変わっていない? つまり記憶は書き換わらないか、それとも時間差で書き換わるということかしら?
文字とは違い、記憶というのは、確かに書き換えるのに時間がかかりそうな印象があった。
――うーん、わからないことが多いですわね……。
ミーアは首を傾げる。
――いったい、これはどういうことなんですの?
首をひねり、ミーアは考える。考える。考え、考え……、ミーアは一つの真理にたどり着いた。
――そうですわ。ベルはわたくしが求めた導としてここに来たんでしたっけ? ということは、この皇女伝の変化する記述と、変化しないベルの記憶とを比較することで、いろいろなことがわかるようになる。そのために、このようになっているのですわ!
それは、「なぜ、そのようになるのか」という、現象に対する分析ではない。
ベルと『皇女伝』がここにそろったことに「どのような意味があるのか?」と問う、まったく別の視点であり、アプローチだ。
……断じて「難しいことをこれ以上考えるの面倒臭いですわ!」という手抜きではない。
……決して「考えてもわからないことを考えても疲れるだけですし、誰かに聞くことでもないから、なにがわかってて、なにがわかってないかとか、別に考える必要ないですし……とりあえず、そう思っとけばいいですわ」という思考の放棄ではない。それは大きな誤解である!
まぁ、それはさておき……。
「うーん、それに新型の小麦のことも」
「へ? 新型小麦……? それは、えっと……なんのことですか? ミーアお姉さま」
ベルの表情を見て、ミーアは思わずうなった。
――なるほど……つまり、ベルのいた未来では、学園都市はあっても新型小麦は開発されなかったんですわね……。まぁ、飢饉は食料の備蓄とクロエの商会のおかげで乗り越えられるって話なのでしょうけれど……。
ミーアの深い深い思索は続いていくのだった。