第三十九話 扇動者ミーア!
生徒会の陣容が決まると、ミーアは意気揚々とサフィアスのもとを訪れた。
「サフィアスさん、いらっしゃるかしら?」
鼻息荒く扉をノックすると、中からはげっそりした顔のサフィアスが出てきた。
「こっ、これは、ミーア姫殿下……。申し訳ありません。今、部屋が散らかっておりまして、すぐにでも……」
びくびくと応対するサフィアスに威厳たっぷりに首を振った。
「いえ。ここで結構ですわ。サフィアスさん、わたくし、あなたを生徒会の書記補佐に任命いたしましたの」
「…………はぇ?」
きょとん、と首を傾げるサフィアスにミーアは続ける。
「副会長にはラフィーナさまとシオン王子を、会長補佐としてアベル王子を、会計にはわたくしの大切なお友達のクロエを、書記にはティオーナさんを指名いたしましたわ」
混沌の蛇の手の者ならば、レムノ王国でのことはすでに知っているだろう。
シオンとアベルとが、ともに混沌の蛇に敵対していることは知られていることだった。さらに、邪教すべての敵対者たるラフィーナがおり、ミーアのお友達のクロエもいる。
ティオーナは……まぁ、ついでだが、彼女もレムノ王国に同行している。
つまり、ミーアは言っているのだ。
『お前の周りを、反混沌の蛇の者たちで固めて監視してやるから覚悟しとけよ、この野郎!』と。
ちなみに、加えて言うならば、辺土貴族のティオーナの補佐にサフィアスを付けたことも、ミーアの小粋な嫌がらせだったりするのだが。
その上で……、煽る!
「まぁ、いろいろやりづらいこともあるかと思いますから、別に断っていただいてもよろしいですわ。ただ、それでもこれはチャンスだと思いますけれど……」
勝ち誇った笑みを浮かべて、煽る煽るっ!
サフィアスが混沌の蛇だった場合、生徒会は敵地に他ならない。
けれど、逆に言えばそこは、敵対勢力の懐ともいえる場所だった。
獅子の穴に入らねば、獅子の子を捕らえることはできない。であれば、これはチャンスのはず……。
――ふふん、断りづらいでしょう? けれど、もしも生徒会に入ったが最後、くだらない陰謀など企めないように、全員でがっちり監視してやりますわっ!
ミーアは、ふんすっと鼻を鳴らして、サフィアスの部屋を後にした。
「まさか、こんな結果が待っていようとは、思わなかった……」
ミーアを見送ったサフィアスは、へにゃへにゃと床に座り込んだ。
ラフィーナに呼び出されて以来、サフィアスは部屋に閉じこもっていた。ラフィーナにさんざん脅されて以来、外に出るのが恐ろしくなってしまったのだ。
加えて、許嫁への手紙が彼の心を重くした。
サフィアスが生徒会に入れると知った許嫁は、心からサフィアスを祝福し、激励してくれたのだ。
『未来の夫であるサフィアス様が、ミーア姫殿下に厚く用いられていること、嬉しく思います。サフィアス様の資質をきちんと見極めて、評価してくださったミーア姫殿下には感謝の言葉もありません。姫殿下をお支えする大任、どうぞ立派にお勤めくださいませ』
こんな手紙をもらってしまったら、とてもではないが、ダメでしたとは言えない。
それは、あまりにも惨めすぎる。
そんなこんなで、すっかり生きる気力を失いかけていたところで、先ほどのミーアの来訪である。
「ああ、なにはともあれ、手紙だ。愛しのマイハニーに手紙を書かなければ……」
筆を取ったサフィアスだったが、唐突に、その手が止まる。
「……俺の資質を評価した……か」
それが間違いであることは、サフィアス自身がよくわかっていた。
自身が、愚にもつかない小物であることは、ここ一週間のやり取りで、痛いほど実感できていた。
「それでもなお、この俺にチャンスを与えてくださった……そういうことなのだろうか……」
ミーアは言っていた。ラフィーナもいるし、自分が見下していたティオーナもいる。
やりづらい環境だろうが、チャンスでもあると……。
「期待……はされていないだろうが……。いや、それでも、まったく期待がなければ声すらかけてはいただけなかっただろう」
与えられた生徒会役員という地位、それはサフィアスが自身の力で勝ち取ったものではない。
ミーアの、ただ一方的な温情によって与えられたものだ。
「ミーア姫殿下をお支えする、大任、か」
そんなものは、建前であると思っていた。
けれど……、今の彼には、その言葉が重みをもっているように感じられた。
「我が名誉を保ってくださったミーア姫殿下のために、チャンスを与えてくださったあの方に報いるために……。このご恩を無下にしたりしたら……俺は一生、ダメな男で終わる気がする……」
顔を上げた時、サフィアスの顔は、わずかながら凛々しさを増したように見えた。
ティアムーン帝国四大公爵家によるお茶会。通称「月光会」
定期的に行われるその会合に、珍しい人物が顔を出した。
「あら、珍しい。あなたが来るなんて何回ぶりかしら? ルヴィさん」
エメラルダは、入ってきた人物を見て意外そうな顔をした。
「やぁ、ひさしぶりだね、緑月の姫君」
そう朗らかに笑みを浮かべたのは、四大公爵家の一角、レッドムーン家の令嬢、ルヴィ・エトワ・レッドムーンである。
短く肩のあたりで切り揃えた鮮やかな赤い髪。端整な顔には、男装の麗人という言葉がぴったりで、女子生徒でもついつい見とれてしまいそうな凛々しさがあった。
涼やかな瞳で室内を見回したルヴィは小さく首を傾げる。
「おや? 今日は一人かい? 蒼月の貴公子くんは来てないの?」
そう尋ねると、一転、エメラルダはムスっと不機嫌そうな顔で言った。
「生徒会の仕事が忙しいのだそうよ」
「ああ、そういえば、彼は生徒会に召集されたんだったか。だが、黄月の姫君はどうしたんだい? 確か、今年からセントノエルに通うはずだろう」
「ただ幸運のみによって地位を保ってきたイエロームーンなど知りませんわ。最古で最弱の黄色がいようがいまいが、関係などありませんでしょう」
「それはそうだけど、それでも一人で紅茶を飲むよりはいいと思うけどなぁ」
ルヴィは苦笑しつつ、エメラルダの正面に座った。
「じゃあ、せっかく来たのだし、私ももらおうかな」
「あら? 本当に珍しい。てっきりちょっと顔を出しただけかと思っておりましたわ」
「あまりサボってると、父上に怒られてしまうからね」
肩をすくめて、ルヴィは苦笑する。
「しかし、ミーア姫殿下には驚いたね。まさか、生徒会長に立候補するなんて……。しかも、ラフィーナさまに立候補を辞退させてしまうとは、なかなかどうして……」
目の前に出てきた紅茶を一口すすって、ルヴィは、ほうっと息を吐く。
「ペルージャン農業国産の紅茶だね。いやぁ、さすがに農奴の末裔なだけあって、大した品質だ」
「別に産地なんて知りませんわ」
ぞんざいに言って、エメラルダは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「私のもとに最高の品質のものが届けられる。それさえ徹底されていれば、産地の違いなど些細なこと」
「ん? なんか怒ってないかな? エメラルダ。もしかしてミーア姫殿下が生徒会長になったことが気に入らないとか?」
「ふん、別になんとも思ってませんわ。ただ、見る目がないと思っただけですわ」
「見る目がない?」
「どうして、サフィアスなんて無能者を選んで、私を選ばないのかしら……。しかも、ティオーナ・ルドルフォンなんて、田舎貴族まで選ぶなんて……許せませんわ。どうしてくれようか……」
その手に持つ紅茶が、プルプル震えていた。
「あー、一応言っておくけど、あんまり大きな騒ぎを起こさないようにね。まぁ、止めないけど……」
「あら、止めなくていいの?」
「あはは、だってさ、目をつけてた騎士を引き抜かれてしまったんだよ? そりゃあ、私だって少しは、姫殿下には思うところがあるさ」
笑うルヴィの目は、しかしながら、まったくもって笑っていなかった。
かくして、四大公爵家の跡取りたちは、それぞれの思惑をもって動き出すのだった。