番外編 十日遅れの誕生日会
コミコ版の完結記念番外編をこちらに移したものです。
本日は番外編と本編一話分の二話投稿となっております。
ミーアの地下牢での生活は基本的にはとても退屈なものだった。
娯楽などは当然与えられないし見張り役は、罵詈雑言が飛んでこないだけマシという者ばかりだったから、楽しい会話など望むべくもない。
結果、ミーアは
「五千六百一、五千六百二……」
地下牢の石に入ったヒビの数を数えるという、いささかヤバイ遊びに没頭するようになっていた。精神的に結構キテいるといっても過言ではないだろう。
ちなみに石の数や石についたシミの数は、すでに数え済みだ。
……いろいろと末期である。
「こんにちは、ミーア姫殿下」
ふいに、地下牢には珍しい可愛い声が聞こえた。
「あら? 幻聴かしら」
などと、ボケーっと顔を上げたミーアの視界に映ったのは自分の身の回りの世話をしてくれている女性、アンヌの姿だった。
「まぁまぁ! アンヌ、よく来ましたわね!」
それは、年末も差し迫った冬の日の出来事だった。
平民は冬の準備に忙しく、ここ七日ほどはアンヌも姿を見せていなかった。
これはいよいよ見捨てられたか? とミーアがさめざめと泣いていたのが今から三日前のこと。
見捨てられてなかった喜びを胸にミーアは、久しぶりの会話相手を満面の笑みで迎え入れる。
っと、その視線が、アンヌの首元に留まった。
「あら、面白いものつけてますわね」
「あ、はい。えへへ、実は今日、私の誕生日なんですよ」
アンヌは、首に巻いた襟巻を指でつまんで見せた。
網目が不ぞろいで、安い毛糸を使っているため決して上等とは言えない代物。けれどアンヌは、とても幸せそうな笑みを浮かべている。
「……良いご家族なんですのね」
小さくつぶやき、ミーアはすでに処刑された父親のことを思い出した。
過保護に自分を甘やかしてくれた父。皇帝としてはどうだったかはわからないけれど、娘であるミーアにはいつでも優しい人だった。
なんだかちょっとだけ、しんみりしそうになったから、ミーアは小さく首を振って、話を変えることにした。
「そう、誕生日。そういえば、わたくしもこの前でしたわね」
「え……?」
アンヌはびっくりした様子で、瞳を瞬かせた。
「み、ミーア様、お誕生日だったんですか?」
「……もう七日も前ですわ」
ミーアは、ちょっとだけ呆れた顔でアンヌの方を見た。
「というか、あなた、帝都に住みながら、わたくしの誕生祭とか行ったことがありませんの?」
皇女ミーアの誕生祭といえば、毎年冬に五日もかけて行われる盛大なお祭りだ。皇帝の大号令のもと、帝国がまだ豊かだった頃には多くの露店が立ち並び帝国中から大勢の人が観光に訪れていたものだったが……。
「すみません。冬の時期は家の手伝いとかいろいろ忙しかったから……」
アンヌは言い訳をするような口調で言った。
「そういえば、妹たちにせがまれて行ったような記憶がありますけど、なんのお祭りだかまでは……」
「まぁ、それも今は昔の話ですわね」
あの頃の賑やかさを思い出し、ミーアは少しだけ寂しげな笑みを浮かべた。
「やっている当時は煩わしいと思ってましたけれど、なくなってしまうと、ちょっとだけ寂しいですわね」
「……そうですね」
アンヌは、何事か考えている様子だったが、結局は短く同意しただけだった。
それから、アンヌの妹が書いていたという物語の話を聞いたり、街の様子を聞いたりして、その日はお開きとなったのだが……。
次にアンヌが訪れたのは三日後のことだった。
こそこそと見張りの方をうかがいつつも、アンヌは素早くミーアの地下牢に入った。
「どうかしましたの? アンヌ」
「しっ。ミーア姫殿下、いつも通りにしてください」
ささやき声でそう言うと、アンヌは見張りに背を向けるようにして、ミーアの方を見た。
「今日は御髪を整えますね。どうぞ、後ろを向いてください」
そう言って、そそくさと、ミーアの向きを変えてしまう。
「ちょっ……、どうしましたの? アンヌ、そんな強引に……え?」
アンヌはミーアの髪を整えるふりをして、さっと、ミーアの手に"あるもの"を手渡した。
「これは……クッキー?」
「はい、たまたま手に入れることができました」
「まぁ!」
ミーアは小さく声を上げた。
大陸全土を大飢饉が襲って以来、帝国の食糧事情は極端に悪化している。皇女であるミーアでも甘い物を口にすることは極めて稀なことであった。
まして地下牢に堕とされて後はなおのことである。
「お早く。見つかったら食べられてしまいます」
「あっ、そうでしたわね。では……」
ミーアは、久しぶりの焼き菓子を大切そうに両手で持った。
それから、わずかばかり震える口に、それを入れる。舌の上に乗せた瞬間、それはカサカサの乾いた土のような感触を返した。
けれど、かみ砕いた途端、それは甘味へと姿を変える。どこか安っぽい、けれど、まぎれもなくそれは甘味。香ばしい焼いた麦の香りと、わずかにまぶされた香料の花のような香り……。
「ああ…………」
思わず息を吐く。この地下牢にきて以来、それは一番のご馳走だった。
「お誕生日、おめでとうございます」
ふいに、アンヌが声をかけてきた。
「これは、そのために……?」
「はい。十日も遅くなってしまい、申し訳ありません」
「……手に入れるの、大変だったのではなくって?」
このお菓子を手に入れるのが、どれだけ大変だったことか、ミーアにだって察しが付く。
それを家族でもない自分に渡してしまってよかったのか……。ミーアはとても気になった。
「はい。特別です。ミーア様、お誕生日だったから」
「だからって……」
「だって、やっぱり寂しいじゃないですか? お誕生日をお祝いしないのって。この世界に生まれてきたことを誰だって祝ってもらう権利があるって私は思うんです」
鼻息荒くいってから、アンヌはちらっと舌を出して、
「えへへ、ちょっと偉そうに言ってしまいましたね。無礼をお許しください、ミーア姫殿下」
かしこまった口調で、頭を下げるアンヌにミーアは思わず吹き出すのだった。
その十日遅れの誕生日のことを、ミーアは、ずっと忘れなかった。
断頭台の上でも……その先の時間でも。
かくて、時は流転して……。
「ああ、疲れ、ましたわ」
国をあげての誕生祭、それに続く四公爵家でのパーティー。
九日にも及ぶ外出で、ずっと愛想笑いを続けていたためミーアの顔はすっかり筋肉痛になっていた。
「なくなってしまうと寂しいと思っておりましたけれど、やっぱり煩わしいですわ」
ミーアは夏に冬が恋しくなり冬に夏が恋しくなってしまうタイプである。秋と春は、食べ物が美味しいので、恋しくなったりはしない。
幸せな性格なのである。
ドレスを脱ぎ捨てて、ベッドに横たわるミーア。ぐでーっと脱力して、そのまま寝てしまいそうになるが……。
「そんな格好で寝てはお風邪をひいてしまいますよ。せめて、部屋着に着替えましょう」
アンヌは苦笑しつつ、ミーアのそばに歩み寄る。
ミーアは、彼女が持っているお盆に目を向けた。
「あら、それは?」
「料理長からです。お疲れだろうから、って。牛の乳を温かくしたものみたいですよ」
「……美味しいんですの?」
「わかりませんけど、ハチミツで甘みもつけてあるとか」
「いただきますわ!」
ミーアは、甘味がついていれば大抵のものは美味しく感じる。
幸せな味覚なのである。
ベッドのふちに腰かけ、アンヌから陶器の器を受け取る。白くホカホカのミルクからは、あまーい匂いが漂ってきて……ミーアは、ほわぁっと満足そうなため息を吐いた。
「ところで、ミーアさま、今日これからのことなんですけど……」
「ああ、そういえば、アンヌのお誕生日でしたわね」
今、気づきました、とばかりにパンと手を叩くミーア。実にくさい演技である。
それからミーアは、隠しておいたプレゼントをアンヌに差し出した。
「え? あの……それは?」
「プレゼントですわ」
中身は、高級なお菓子である。
「あっ、ありがとうございます」
お礼を言うアンヌ……だったが、ミーアは彼女が、なにか言いたげな顔をしていることに気が付いた。
「どうかなさいましたの? ああ、ご家族でお誕生日会をするから今日は帰りたいとか、そういうことかしら?」
「いえ、違うんです。えっと」
アンヌは、もじもじ、ソワソワしてから、
「すごく失礼なことだとはわかっているのですが、ミーア様にも来ていただけないかと……」
「はぇ?」
口をぽかーんと開けるミーア。
「あ、あの、妹たちが、その……ミーア様にも一緒にお祝いするんだって張り切ってしまって……」
アンヌは、ちらっとミーアの顔を見て、それから誤魔化すように微笑んで、
「あ、はは、でも、お疲れのようですし……ダメですよね。申し訳ありません。変なことを言ってしまって……」
「あなたは、いつも十日遅れで誕生日をお祝いしてくださるんですのね」
ミーアは、ぎゅっとアンヌの手を握りしめた。
「へ? あの、み、ミーア様?」
「もちろん、行かせていただきますわ、アンヌ。ええ、喜んで」
そうして顔を上げたミーアは輝くような笑みを浮かべていた。
その数日後。
ミーアはアンヌにセントノエル学園に一緒に行ってほしいと切り出すことになる。
その先に、どんな冒険が待っているのか、今はまだ知らないミーアであった。
本日、告知したいことがあり、活動報告を更新いたしました。
お手数ですが御覧いただけると幸いです。