第三十四話 ミーアはやさぐれモードに進化した!
こうして情勢を覆せないまま、ついに選挙当日がやってきた。
「う、うう……、どうすれば……」
万策尽きたミーアは脳みそをフル回転して打開策を探っていた。
もう数日前からそんな状態で、慢性的な知恵熱のせいで微妙に熱っぽくてふらふらするぐらいである。
そうして、考えに考えて、考えて、考えた結果……、良いアイデアは出てこなかった。
あとは投票前の最終演説を残すのみ。
逆転の一手は……ない。
その時、ミーアは気が付いた!
――ああ、来てませんわ……! わたくしの周りになんの風も感じられませんわ。
今まではことあるごとにミーアの体を押し上げてくれていた力を、今はまったく感じない。
――無風! まったくの無風ですわ……。
もしかしたら、これは時間転生して以来、最大のピンチなのでは……?
ミーアは遅まきながら思った。
さて、セントノエルにおいて選挙というのは神聖な儀式だ。
先日の開会ミサしかり。今日の投票についても同様である。
今日は特に、会長を選び出す神聖な投票日である。立候補者は慎み深く身を清め、純白の聖衣を身にまとう必要があった。
セントノエル学園の地下には清めの泉と呼ばれる場所がある。
白く磨き抜かれた石が敷き詰められたその空間は、静謐な空気に包まれていた。
広い空間の真ん中には、さらさらと清らかな水の湧き出す泉があり、立候補者はそこで身を清めることが習わしとなっているのだ。
入り口ですべての衣服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿となって、ミーアはその身を泉に浸す。
わずかに湯の混じった水は、震えるほどに冷たいということはなかったが、それでも十分に冷たかった。知恵熱で火照った体には心地よい。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、ふと横を見る。と、
――それにしても、ラフィーナさま、憎らしいぐらいにお美しいですわ……。
そこには、自分と同じく水浴びするラフィーナの姿があった。
白く透き通るような肌、清らかな水にきらめく長く美しい髪は、同性のミーアから見ても、この上なく魅力的に見えてしまって……。
――ぐぬぬ、不公平ですわっ! ズルいですわっ!
ネガティブモードに入っているミーアは、ここにきて容姿でもラフィーナに完膚なきまでに負けていることを悟ってしまう。
「あら? どうかなさったの? ミーアさん」
ミーアの視線に気づいたのか、ラフィーナは小さく首を傾げた。
「い、いえ、なんでもございませんわ。おほほ」
誤魔化すように笑ってから、
「ただ、ずいぶんと、お疲れのご様子ですわね、ラフィーナさま」
ミーアは珍しく皮肉を言った。
なんとミーアはネガティブモードから、やさぐれモードへと進化した!
――水も漏らさぬ完璧な施政は、さぞや疲れるでしょうね!
胸の中で強気な皮肉を口にするミーアである。やさぐれたミーアには怖いものなどないのだ!
――まったく、そんなにお美しくて頭もよいなら、さぞや楽しい人生でしょうね!
まぁ、決して口から出すことはしないが……。
腹立ちまぎれに、ごしごしと布で肌をこすっていると……、
「ねぇ……、ミーアさん」
ふいにラフィーナが話しかけてきた。泉の中に体を沈め、顔だけをミーアの方に向けて、ラフィーナは言った。
「ミーアさん、立候補を取り下げていただけないかしら?」
「ラフィーナさま……、それは、どういうことですの?」
ミーアは硬い表情のまま、ラフィーナを見つめ返す。その視線を涼やかな笑顔で受け流し、ラフィーナは続ける。
「ミーアさんのことだから、もう知っているでしょう? 投票するまでもなく、ミーアさんは私には勝てないわ」
事前の調査でわかるのは、ある程度の票の動きのみである。けれど、それでも確定してしまうほどに、両者の差は大きいものだった。
「結果が出る前に辞退してくれたら、傷は少なくて済むでしょう?」
どのような思惑があったとしても、周囲のミーアへの評価はあまり良いものではない。
身の程知らずのわがまま姫。このままでは、その評価が定着してしまう。けれど、ここで引き際を悟って立候補を辞退すれば、少なくとも時流はきちんと読める者として、多少の名誉は守られるのではないか……。
「ミーアさんはお友達だから……。戦いたくないし傷つけたくもないの。わかってもらえるかしら?」
それは、ラフィーナからお友達に対しての、せめてもの慈悲で……。
だけど……。
「申し訳ありません。ラフィーナさま、それはできませんわ」
ミーアは小さく首を振った。
「わたくしは、負けるわけにはいきませんの……」
破滅の未来を回避するため……、なんとしてでもラフィーナに勝たなければならないのだ。
方法は、まるでわからないけれど……。
ミーアの返事を聞いたラフィーナは、ちょっとだけ悲しそうな顔をして言った。
「……お友達だって、思ってたのに……」
「お友達だからこそ……ではないかしら?」
ミーアは、小さな声でつぶやく。
一瞬、きょとんとした顔をしたラフィーナをミーアは恨みがましい目で見つめる。
――"お友達だからこそ"、少しぐらい譲ってくださってもよろしいの"ではないかしら?"
今のセントノエルに必要そうな政策のすべてをラフィーナは公約でカバーしてしまった。すべてだ。なに一つ、ミーアには残されていなかったから、ミーアたちが作った公約は、ラフィーナのものと大差ないものに過ぎないのだ。
当然のことながら、それでは勝てない。勝ち目すら見当たらない。
――ずるいですわっ! 一人で全部やってしまうなんて……、わたくしにも残しておいてほしかったですわ! お友達なのに、こんなに完膚なきまでにわたくしを叩き潰すなんてっ! ひどいですわ!
ミーアは、やさぐれモード全開で、
「ラフィーナさまは、ぜんぶ一人でしてしまうんですのね!」
いじけた口調で言った。