第三十二話 聖女(なんちゃって)の憂鬱
選挙期間も半ばに差し掛かろうとしている頃のこと。
「ミーアさま、ここまでの選挙戦ですが……劣勢です」
ミーアが選挙対策室として借りている空き教室。
そこに、クロエの重々しい声が響いた。
――ああ、まぁ、ですわよねぇ……。
それを聞いても、ミーアに驚きはない。というか、むしろ納得してしまう。
なにしろ、自分でもラフィーナに勝てるビジョンがまったく思い浮かばないのだ。
選挙公約はアベルとシオンの協力によって、それなりのものを作ったつもりだ。それこそ、ラフィーナにだって引けを取らないぐらいに堅実なものが作れたのだが……。
それだけだ。ラフィーナを大きく凌駕するものは作れていない。それでは、明らかに不足なのだ。
――計算外のことが起こりすぎましたわ……。
そうなのだ、ミーアにも一応の戦略はあったのだ。一応は……。
きちんとした選挙公約を用意し、生徒会長になってもおかしくない状況を表向きでは整える。そして、裏ではティアムーン帝国派、サンクランド王国派、それぞれの票を取りまとめて、ギリギリでラフィーナに勝つ。
けれど、その戦略はすでに瓦解した。
ティオーナが大見栄を切ったせいで、サフィアスのみならず、他の四大公爵家の者たちの協力を得ることも難しくなってしまったのだ。
これには、さすがのミーアも参った。
いくら『混沌の蛇』と関係があるかもしれないとは言っても、帝国の貴族たちをまとめるためには、やはり彼らの協力が不可欠だったわけで。
そして、帝国票が難しいとなれば当然のことながら、サンクランド票の取りまとめだって難しい。自国の貴族たちの支持すら集められない者を、どうして支持できるだろう?
もとより中立の立場をとるとシオンも明言しているわけで……、ミーアとしては手の出しようもない。
結果……事前の調査では、支持の大半はラフィーナへと流れてしまっている。
「現在、支持者的にはラフィーナさま九、ミーアさま一といった割合です」
――まぁ! わたくしに、一割も支持者がいるんですのっ!?
むしろ、その事実に驚きのミーアである。
――よほど、泥船に乗るのがお好きな方がいらっしゃるのね、おほほ!
もはや、自虐に走り出す始末である。
乾いた笑みを浮かべるミーアに、クロエは言った。
「なんとか、挽回するために手を打たなければなりません」
「そうは言いましても……」
ミーアは肌身で、敗戦の気配を感じ取っていた。
部屋に集う面々の顔を見て、ふと思い出す。
――ああ、この顔……、帝国革命末期の近衛兵団たちの顔に似てますわ。
全滅覚悟で革命軍に突貫する兵士たち。彼らの顔に浮かんでいた清々しいほど隠す気のない、諦め顔。
それそっくりの表情をして、ミーアの方を見つめる者たちがいた。
――これ、もしかして、負ける前提で考えて行動したほうがいいんじゃないかしら?
諦めムードにあてられて、ミーアも半ば投げやりである。
まだ勝利を信じていそうなのはアベルとティオーナ、それに……。
「なにか、具体的なアイデアはありませんか?」
今、司会をしてくれているクロエだけだった。ちなみにクロエには各教室を回って、情勢分析などを行ってもらっている。
そんなクロエの問いかけに、静かに手を挙げる者が一人……。
ティオーナ・ルドルフォンが元気よく手を挙げていた。
「イメージカラーを決めるというのはどうでしょうか?」
みんなの疑問の視線を受けて、ティオーナが続ける。
「ミーアさまを応援する者は、同じ色のものを身に着けるんです。お揃いで。服も全部同じ色にするのは難しいかもしれないんですけど……」
「なるほど、わかりやすいイメージ戦略ですね。同じ色のスカーフを揃えて腕に巻きつけるとか、効果はあると思います。見た目は大事ですから」
クロエは頷き、以前にもどこかの国の選挙で、そのような戦略がとられたことを説明してくれる。
「戦場でも有効な手だ。サンクランドには、全身を漆黒で固めた精強無比の騎士団があると聞くし、味方であることをわかりやすく示すことは団結を高める意味にもなるからね。そうすると、問題は何色にするかということか」
アベルの問いかけに、ミーアの取り巻きの一人が答える。
「ラフィーナさまはイメージカラー的には白だから、同じように静かな色で、青系統はどうでしょう?」
「青…………」
それを聞き、ミーアは思わず頬を引きつらせる。
その色は、こう、なんというか……。以前、レムノ王国で革命に敗れた者たちを、ミーアの脳裏に呼び起こした。
――蒼巾党だったかしら……。あれを思い出させますわね。
実に不吉だ。勝てるものも勝てないような気になってくる。
――まぁ、もともと勝てませんけど……。
自虐モードのミーアである。
その後も、黄色、緑、桃色、オレンジ、様々な色のアイデアが出てくるが……。
「染料の都合で、すぐに揃えられる色は、そこまでないと思います」
クロエの現実的な指摘によって、おのずと選択肢は狭められた。
結果、ド派手な黄色か、赤系統か、という話になった。
「赤は、夕焼け野バラという花の染料で染める深い赤ですね。名前はそのまま夕焼け野バラの赤と呼ばれる色です。黄色は、えっと、この色です」
そうして、クロエが差し出したのは一枚のハンカチで……、実に、こう、目が痛くなるような、派手な黄色だった。それは、ミーアであっても、
――これを身に着けるのは、ちょっとバカっぽいですわ……。
などと、若干、引くような色だった。
こんな色を身に着けていたら、軽薄で派手好きなどというよからぬイメージがついてしまいそうだ。
そんなやり取りを経て、ミーア派のイメージカラーが決まる。
「ああ、もう、なんでもいいですわ」
そう投げやりに推移を見守っていたミーアだったが、数日後に出来上がって来たものを見て後悔する。
「こっ、この色は……」
夕焼け野バラの赤、血のように濃い赤色の別名はギロチンレッド……。
ギロチンのなにの赤色かは、あえて言うまい。
けれど、その赤は、ミーアの中の不吉極まりない記憶を喚起するには十分で……。
「ああ、わたくし、やっぱり、もう、おしまいですのね……、う、うーん」
などと、その場で倒れてしまい、アンヌたちを大いに慌てさせることになるのだが……。
かくて、楽しい選挙戦は終盤を迎えていくのだった。