第十八話 聖女ミーア皇女伝
聖女ミーア皇女伝、という本がある。
実話をうたいつつ、内容はミーアを礼賛する高純度の妄想である。
書いたのは、帝国にファンタジーという人気ジャンルを確立した大作家、エリス・リトシュタイン。
ミーア姫のお抱え作家にして、長く彼女に仕えた専属メイド、アンヌ・リトシュタインの妹である。
その本の書き出しは、こんな感じだった。
ミーア皇女殿下と初めて会ったのは、私が十二歳になったばかりのころだった。
そのころの私は体が弱くて、同年代の友だちといっしょに外で遊ぶことができなかった。その欲求を小説とも言えないような物語を書くことで発散させるだけの小娘にすぎなかった。
姫殿下は、そんな私の原稿を軽く流し読んだだけで、私をお抱えの作家にすることを決めてしまった。
しかも、ほんの一瞬で私の物語をすべて理解してしまったのだ。
速読と呼ぶにもあまりに異質な才能、天才にして多才なる姫殿下の、能力の一端がうかがえるエピソードではないだろうか。
……もう一度、確認するが、それはエリスの誤解、否、妄想であって、そこには一片の真実も存在していない。
にもかかわらず、この本、売れに売れまくるのである。
帝国は、いろいろな意味で末期である。
ちなみに、この本のおかげでミーアは窮地を救われることになるのだが、それは、また別のお話である。
「私が、姫殿下の?」
突然のミーアの申し出に、エリスは瞳を瞬かせた。
お抱え芸術家とは、貴族や帝室がスポンサーになり、生活を支える制度だ。
良いスポンサーに恵まれればお金の心配をせずに、自分の創作活動に集中することができるという、芸術家垂涎の立場だ。
これ以上はない、という美味しい話に、けれど、エリスは首を横に振った。
「あの、やめてください」
「へ?」
意外な返事に、ミーアは首を傾げた。
「なぜですの? あなたにとって悪いお話ではないと思いますけど」
ミーアお抱えの作家となれば、城の大図書館だって使うことができる。資料集めだってやりやすいはずなのに……。
「お姉ちゃんの妹だからって、ひいきしないでください」
「エリスっ! あなた、ミーア様になんてことを……」
「私は、自分の作ったお話で勝負したい。お姉ちゃんのおこぼれで、お抱えの作家にはなりたくない」
怒ったように言うエリスに、ミーアは何気ない口調で返す。
「あら、わたくしは、そのつもりですけれど……」
「ウソです。そんなにすぐに読めるはずがありません」
「エリスさん、一つおぼえておくとよろしいですわ」
ミーアはきっぱりとした口調で言った。
「わたくし、ウソって嫌いなんですの。わたくしは、あなたのお話の内容を見て、提案させていただいておりますわ」
そう言って、ミーアは頬に人差し指を当てて、少し上を見つめた。
「そうですわね、このお話のよいところは、まず……」
あの日、地下牢で聞いた物語を思い出す。
自分が気に入っていたところ、印象に残っているところ、面白かったところ……。
ミーアは語った。語り倒した。
まるで、好き勝手に作品批評を語って、いい気分になるおっさん批評家のようなドヤ顔で。
「……すごい」
エリスの顔に驚愕が浮かぶ。が、それが徐々に、怪訝そうなものになっていく。
「あの、姫殿下……?」
ちょうど話がひと段落ついたところで、エリスがおずおずと話しかけてきた。
「ん? なんですの?」
首を傾げるミーアに、エリスは不思議そうな顔で、
「どうして……、まだ書いてないところまで、知ってるんですか?」
「……へ?」
衝撃の事実を告げた。
――し、しまったぁああ、ですわ!
そうなのだ、ミーアが知っている物語は、今から数年後のものなのだ。
当然、今あるものよりも、後まで書かれているわけで……。
――ぜんっぜん、考えないで、気持ちよく語ってしまいましたわ!
痛恨のミスである。
冷や汗をかきつつ、焦るミーア。
そんなミーアに構うことなく、救いの手は伸ばされた。
「べつに、驚くことはないわ、エリス。ミーア様なら、途中まで読めば、話の流れぐらい簡単にわかるのよ」
ルードヴィッヒも大概だが、アンヌの方もかなりの重症だった。
天気が良いのもミーアのおかげだし、雨が降るのも、ミーアが農民を気遣ってのこと……。
そんな風に考えるほど、アンヌはミーア姫殿下びいきになっていた。
「ですよね、ミーア様」
満面の笑みでそう問いかけられ、反射的にミーアはうなずいた。
「そっ、そうですわね。そんな感じですわ」
――って! そんな感じって、どんな感じですのっ!
当人であるミーアから見ても、滅茶苦茶な論理。
けれど、乗っかってしまった以上、行くところまで行くしかない。
強引に、ミーアは話を進める。
「改めて、言いますわ。エリス、わたくしのお抱え作家になりなさい。そして、このお話をしっかりと書きあげなさい」
「……ミーア姫殿下……お姉ちゃん」
エリスは、姉とミーアの無茶苦茶な論理に……、
「ありがとうございます」
コロッと乗せられてしまった。
かくして、熱烈なミーア信者がもう一人、帝国に生まれたのだった。




