第二十八話 青月の貴公子の誘い(デストラップ)
図書室にてミーアは、アベルが持ってきてくれたものを参考に、なんとか選挙公約を完成させた。
もちろん、アベルに手伝ってもらったが、ついでにシオンも巻き込んだ。
「俺は中立だから、ミーアの味方はできないんだが……」
などとぶつぶつ言いつつも、なんだかんだで手伝ってくれたシオン。
あら、以前に比べて少しだけ甘くなったかしら? などと思いつつ、微笑ましい気持ちでいたミーアだったのだが……。
すべての作業を終えて知恵熱で頭から湯気を吹くミーアに、シオンはちょっぴり、すまなそうな顔をした。
「すまない、ミーア」
「……はぇ? なんのことですの?」
ぽけーっと答えるミーアに、シオンは言った。
「いや、四大公爵家のことがショックで、普段通りの思考ができなかったんだろう。今日は叡智の冴えがまったくもって見えなかった。情報を持ってくるにしても、もう少し時を選ぶべきだったな」
気づかわしげに言っているが、要はミーアの全力の頭脳活動を一蹴しているわけである。
――なっ! わ、わたくし、かなり頑張りましたのに……。
思わずムッとするミーアではあったが、言い返す気力もなく。
また、シオンの協力が大きかったこともあって、ここはグッと我慢である。大人なミーアなのである。
そのまま部屋に戻ったミーアはベッドの上に倒れこみ、泥のように眠り込んでしまった。
そうして翌日、選挙対策本部として借りている教室にて、ミーアが、ミーア派の面々とともに選挙戦略を練っていた時のこと。
サフィアス・エトワ・ブルームーンが面会を求めてやってきたのだ。
「やぁ、ミーア姫殿下。ごきげん麗しゅう」
「あら、ごきげんよう、サフィアス殿。お父上はご壮健かしら?」
「それはもう。皇帝陛下のご寵愛をいただきまして、ますます励んでおります。いやぁ、それにしても、本日も実にお美しい。このサフィアス、いつも姫殿下の魅力に心を奪われてしまうのですよ」
「まぁ、お上手ですわね……おほほ」
などという歯の浮くようなやり取りをしつつ、ミーアは思っていた。
――来ましたわね……。ついに!
サフィアスが面会に来たと聞いた時……、ミーアはピンと来ていた。
昨日、シオンに聞いたことが脳裏に甦る。
――混沌の蛇……、わたくしを策謀によって飲み込みに来たのでしたら、そうはいきませんわ! 逆に尻尾を掴んで、ラフィーナさまのところに引っ立ててやりますわ!
ふんすっ! と鼻息を荒くするミーアである。
「それで、早速なのですが、姫殿下、お人払いをお願いできます?」
サフィアスは教室内の者たちに、視線を送る。
それだけで、幾人かはいそいそと教室の外に出始める。
帝国四大公爵の権威は、そこらの小国の王族を軽く凌駕するのだ。
「ミーア……」
気づかわしげな視線を送ってきたのはアベルだった。
「大丈夫ですわ、アベル。みんなのことをお願いいたしますわ」
そう言って、それからそのすぐ隣にいたティオーナにも一応は頷いて見せておく。
剣の腕が立つ二人には、ぜひそばにいてもらいたかったが仕方ない。
満足げに教室を出ていく者たちを見守っていたサフィアスだったが、ふと、ミーアの背後に目を向けて首を傾げた。
「あっれー、聞こえなかった? そこのメイド、君もだよ」
その視線を受けて、一瞬、びくんと背を震わせるアンヌ。だったが、そんな彼女をかばうように、ミーアが一歩前に出る。
「この者はわたくしの専属メイド。わたくしの手足であり、わたくしの一部。あなたはこのわたくしの手足をもごうと言うのかしら?」
そう言って、ミーアはサフィアスを睨んだ。
「いえいえ、そんなつもりはありません。姫殿下がそうおっしゃるなら、わたくしめとしては、なにも申すことはありません」
恭しく頭を下げるサフィアスを見て、ミーアは、ふんっと鼻息を吐いた。
――混沌の蛇の構成員と二人きりになるなど、危なくって仕方ありませんわ!
「ミーアさま……」
そんなミーアを感動に瞳をウルウルさせながら、アンヌが見つめていた。
「それで、ご用件はなにかしら?」
改めて問うミーアに、サフィアスは愛想のよい笑みを浮かべた。
「我がブルームーン家は姫殿下の会長選挙を全面的に支持し、応援させていただきます」
「まぁ、それはとても良いお話ですわね。今日は、わざわざそれを言いに来てくださったの?」
「いえ、それだけではありません。姫殿下に勝つための策を準備してきました」
「……ほう?」
ミーア、少しだけ前のめりになる。
なにしろ現在、ラフィーナに勝利するプランはないのだ。
「そんな方法があるんですの?」
「ええ、簡単なことです。ラフィーナさまの欠点を徹底的に突けばいいのです」
「欠点……ですの?」
それは、いわゆるネガティブキャンペーンと呼ばれる手法だ。
自身の政策の出来の良さではなく、相手のあらを探して攻撃の材料とする。
確かに有効な手段ではあるかもしれないが……。
「ですが、凡百の貴族ならばいざ知らず、ラフィーナさまに、そのような欠点がございますかしら?」
「なぁに、なければ作れば良いのです」
「は?」
「ラフィーナ・オルカ・ヴェールガは高潔な聖女。ゆえに、ちょっとした汚点をつけてやれば、それだけで大きな痛手となる。簡単な裏工作です。造作もないことだ。ぜひ、この俺にお任せいただきたい」
サフィアスは狡猾な笑みを浮かべて言った。
それを聞いてミーアは……、
――なっ、なるほど、盲点でしたわ……!
素直に感心していた!
ラフィーナの政策の隙のなさを知っているミーアにとって、欠点がなければ欠点を作ってやれというのは、まさに画期的。革新的! 目から鱗の体験であった。
――でも、思い返してみると、わたくしも帝国革命の時にものすごくやられたんでしたわね……。ちまたに流布したわたくしの批判の八割は流言飛語の類でしたし。
……大嘘である。少なくとも六割強は、真実の批判であった。
しかしながら……確かにそのすべてが真実ではなかった。そして……、
――あの類のものは、わたくし自身が偽りだと申し開きしても、信じてもらえないことが多かったですわね……。
サフィアスの策謀は、ミーアの目には実に理にかなって見えた。ゆえに、ミーアの心は一瞬揺らぎかける。でも……。ミーアの中のなにかが……警告を発していた。それは……。
――あれ、やられるとすごく腹が立つんですのよね。
そう、端的に言って……身に覚えのないことで罵詈雑言を浴びせられるのは、かなりイライラすることなのである。相手の強い恨みを買ってしまうのだ。
――温厚で寛大なわたくしですらムカついたのですから、ラフィーナさまの逆鱗に触れてしまうことは間違いありませんわ。もしそうなると……。
ミーアは想像してみた。
ラフィーナが、冷たい怒りの表情で自分を見つめている場面を…………想像……して……。
その後につながる断頭台に至る道が、ミーアの目にはっきりと映った!
――ひぃいいっ! ヤバイですわっ! これ、なんの脈絡もなくギロチンにかけられるパターンですわ!
そう……かつてのミーアであればともかく、今のミーアは数多の経験を経て知っている。
自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならないということを。
そして、恐らくサフィアスの蒔こうとしている種は、一時的には綺麗な花を咲かせたとしても、実った果実は苦く、毒を持ったものであるということを。
「ヴェールガのような小国の公爵令嬢ごとき、我ら偉大なる帝国貴族の手にかかれば一ひねりですよ。はっは」
などと偉そうにふんぞり返って笑っているサフィアスを見て、不意にミーアはピンと来た。
――ははぁん、なるほど。わかりましたわ。つまり混沌の蛇は、わたくしとラフィーナさまとを分断するつもりなのですわね……? そうはいくものですかっ!