第十七話 未完の小説
「そう、妹さん、エリスさんって言うんですの」
アンヌの案内で二階に上がるミーア。
「はい、ミーア様と同い歳なんですけど、体が弱くって……。ミーア様と同じぐらい元気ならいいんですけど……」
アンヌは寂しげな笑みを浮かべる。
「……大変ですわね」
「いえ、でも、なにか病気というわけではありませんから。ミーア様のおかげで、私のお給金も上がりましたから。栄養のあるものたくさん食べさせてあげられるから、だんだんと元気になって来てるんですよ?」
そう言いながら、アンヌはドアをノックした。
「エリス、起きてる?」
「あっ、お姉ちゃん、どうぞ」
小さな声、それを聞いたアンヌがドアを開ける。
そこは狭い部屋だった。
物であふれたミーアの部屋とは違い、木の机とベッドだけしか家具がない部屋。
机の上には、何度も読んだのであろう、ボロボロになった本が並べられていた。本は貴重品だから、何度も読むのはわかるけれど、それにしたってどの本もよくよく読み込まれた様子だった。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。ごあいさつ出来なくって……」
寝起きだったのだろうか。目元をこすりこすりする赤毛の少女。元気よくあちこちにはねた髪は、いかにも癖が強そうで、アンヌによく似ている。
「もう、姫殿下、帰っちゃったよね……。あーあ、お姫さま、見てみたかったな……」
そう言いながら、少女、エリスは枕元に置いてあった大きなメガネをかけて……、
「はぇ……?」
アンヌの隣に立つミーアの顔を見て、口をぽかーん、と開けた。
「はじめまして、エリスさん。ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ。いつもお姉さんのアンヌさんにはお世話になっておりますの」
「わ、わ、わ、あ、えっと、は、はじめまして。こんな格好で、失礼します、姫殿下さま、私は……」
「聞いておりますわ。エリスさんでしょう。無理せず楽になさって結構ですわ」
起きあがろうとしたエリスをミーアは押しとどめて微笑みを浮かべる。
「で、でも……」
「エリス、お言葉に甘えなさい。ミーア様はとてもお心が広い方だから、このぐらいのご無礼であれば許してもらえるわ」
「うむ、苦しゅうない、ですわ」
褒められるのは得意なミーアである。
それから、しばらくの間、ミーアはエリスと歓談を楽しんだ。
なによりミーアを喜ばせたのは、エリスが氷菓子を辞退したことだった。
「姫殿下から頂いたものをお断りするのは、心苦しいんですが、体が冷えてしまいそうなので」
ものすごくすまなそうに言うエリスが、ミーアは一発で好きになった。
もちろん、念願の氷菓子が自分に回ってきたからである。
ミーア、にっこにこである。上機嫌過ぎて体が弾んでるぐらいだ。
「よかったわね、エリス。あなた、ミーア様にお会いしたいって言ってたものね」
アンヌも、エリスの横で嬉しそうに微笑んでいる。
「あら、そんなにわたくしに会いたかったんですの?」
「はい! あの、えっと、私、物語を書いていて……」
興奮した様子で言ってから、エリスは机の端に置かれていた紙の束を持ってきた。
その表紙には「貧しい王子と黄金の竜」と、タイトルらしいものが書かれていた。
――あら、このタイトル、どこかで……?
ミーアの頭の中に、よみがえってくる記憶があった。
地下牢での生活は、ともかく退屈だった。なにせ、なにもすることはないのだ。
裁判と称して皆の前に連れだされて罵倒されるのも嫌だったが、なにもすることがないのも同じぐらい、ミーアにとって苦痛な時間だった。
そんな折、アンヌが話してくれたのが、貧しい王子と黄金の竜、だった。
それは、ミーアが聞いたこともないようなお話、貧しい人に宝を分け与えて貧乏になってしまった王子さまが、ケガをして動けなくなった竜を助けたところから始まる冒険劇だった。
ティアムーン帝国では、あまり見られないファンタジー小説で、ミーアは気に入っていたのだが、結局、最後まで聞くことはできなかった。
聞く前に処刑されてしまった、というわけではない。
作者であるアンヌの妹が、それを書きあげる前に飢饉で亡くなってしまうのだ。
処刑される前、ミーアの心残りの最たるものの一つが、このお話のエンディングを聞くことができなかったことだった。
――すっかり、忘れていましたわ。
ミーアは、考えこんでしまう。
運命は、少しずつだが、変わってきている。飢饉が起こるかはわからないし、ルードヴィッヒが上手く動けば、それほど悲惨なことにはならないかもしれない。
けれど……。
パラパラと、紙の束をめくった後、ミーアはエリスの方を見た。
「このお話、とても面白いですわ」
「えっ?」
エリスは不思議そうな顔で首を傾げた。
さすがに、こんなにすぐに読めるとは思えなかったのだろう。しかし、彼女の反応に構わず、ミーアは言った。
「あなた、わたくしのお抱え芸術家として仕えなさい」
「……はっ?」




