第二十話 ミーア姫、退路を断たれる
「ミーア……、何を言っているのかわかっているのか? 君は」
シオンは大変焦った顔でミーアを見つめた。
それは、そばで話を聞いていたキースウッドも同じことだった。
彼はその真意を窺うようにミーアを見つめていた。
「ラフィーナさまと生徒会長の座をめぐって争えということか?」
「ええ。ですが、そう驚くこともございませんでしょう? 別にヴェールガ公爵家の者が生徒会長を務めるとは決まっていないのですし。皆に名乗り出る権利が与えられてしかるべきですわ」
ミーアのその言葉に、キースウッドは息を呑んだ。
――なるほど……、つまりミーア殿下は、会長選挙が有名無実化しているこの現状に問題を感じているということなのか?
その指摘の意味に気づいた時、久しぶりに彼の脳裏に衝撃が走った。
制度というものは、必ず存在する理由がある。
そして、セントノエルで生徒会長選挙などというものをやっている理由は、極めて単純かつ重要なものだった。
若者の集まる学校という場所では、とかく問題が起こりがちだ。けれど多くの貴族や王族が通うこの学校では問題の処理を誤れば国同士の軋轢にまで発展しかねない。
その調停役こそが生徒会長の重要な役割だ。
では、その役割を果たすために必要なものは何か?
それは、生徒たちからの支持である。
権力を身に帯びた者たちに言うことを聞かせるために、生徒会長は絶対的な支持を得ていなければならない。
そして、それを明らかにするものこそ生徒会長選挙なのである。
けれど、今やその制度は形骸化している。
ラフィーナ・オルカ・ヴェールガが生徒会長をするのは当然のこと。そのように、キースウッドの聡明なる主、シオンですら思い込んでいたのだ。
――生徒会長選挙を経て、自らが選んだ会長であると一人一人が表明したという、その事実を鮮明にする必要がある。今はその時期であると、ミーア姫は考えたのか。
キースウッドは先日のことを思い出した。
秘密結社『混沌の蛇』への共闘を訴えるラフィーナ。このような非常事態にあって、ラフィーナは自らが絶対的な支持を集める存在であることを、証明しなければならない。
自分たちが選んだ人なのだから、支持した人なのだから、その選択の責任は当然負わなければならない。
彼女の言葉に耳を傾けざるを得ない、そのような状況を作り出そうとミーアが考えたのだとしたら……。
――もしそうならば、しっかりとした対抗馬を立てる必要がある。選挙として成立させるために。だからシオン殿下に声をかけたということか。
どうしようもない対抗馬であれば意味がない。
ラフィーナ以外の選択肢をきちんと提供し、その上で選んだという形を作る必要があるのだ。
そうしてこそ自己の選択に責任が生じ、信任を受けた者の言葉に重みが生まれるのだ。
――正式な手順を経て選ばれるのであれば、ラフィーナさまを蹴落としたとしても仕方がないとまで考えているのだろうが……。だが、それならばなぜご自分で立候補しないんだ?
そんなキースウッドの疑問はすぐに氷解することになる。
「大丈夫ですわ、シオン。あなたならばきっとその重責をこなすことができますわ」
ミーアはにっこり優しい笑みを浮かべて言った。まるで、シオンを励ますように。
シオンを立候補させるためにミーアはきちんと作戦を考えていた
それは恋愛軍師、男心を知り尽くした(とミーアが信じる)忠臣アンヌの助言に基づいた作戦である。
以前、ティオーナの弟にも用いた作戦。
――男性は自分の仕事が認められるとうれしいもの。その役割に足る力があると、おだてて差し上げれば乗せられるに決まってますわ!
それは「あなたならできる!」という主張を過剰に修飾した賛辞をシオンにぶつけること、すなわち!
「大丈夫ですわ、シオン。あなたならばきっとその重責をこなすことができますわ」
……ヨイショである。
無論、ただのヨイショではない。
仮にもラフィーナに弓引く行為。生半可なヨイショではシオンの心は動かないだろう。
……ゆえに、今日のミーア、すでに羞恥心を捨てている。
リミッターを解除した、口に出すのもはばかられる全力全開のヨイショを展開すべく、聞いてるだけで体がかゆくなってきそうな美辞麗句の数々を頭の中に用意してきている。
――褒め殺して、断れなくして差し上げますわ!
そうして、ミーアが怒涛のヨイショを繰り広げようとした、まさにその時、
「すまないが、ミーア。その話を受けることはできない」
シオンは真面目腐った顔で言った。
「え、いや、ちょっ……」
「悪いがミーア、君の狙いはわかっている」
――ばっ、バレてる!? わたくしが厄介ごとを押し付けようとしてること、バレてますのっ!?
ミーアの背筋に冷や汗が浮かび上がる。けれど……、
「レムノ王国でのことの挽回をさせようというつもりだろう?」
「はぇ……?」
この人、なに言ってるのかしら? と首を傾げるミーアをよそに、シオンは首を振った。
「生徒会選挙をしっかりと成立させることの意義をわからせた上で、ラフィーナさまの対抗候補という大役を俺に務めさせることで、それをもってあの日の失地を取り戻す機会とする、か。その気遣いには素直に感謝する。けれど、俺にも意地というものがあるんだ」
シオンは静かにミーアの横を通り過ぎる。
「名誉挽回の機会ぐらいは自分で用意するさ。それまで君に用意されては、さすがに立つ瀬がなさすぎる」
――え? え? なんのこと? なんのことですのっ!?
意味がわからず、ぽっかーんとするミーアの目の前を、シオンは颯爽と去っていった。
助けを求めるように、アベルの方を見ると、苦笑しつつ首を振って見せた。
「仕方ないさ。彼は誇り高いサンクランドの王子だからね。でも、ミーアの思いやりの気持ちはしっかり伝わったと思うよ」
――いえ、そういうことではなくって……。
何がどうなっているのかまったくわからず、おろおろと混乱するミーア。
その時点でミーアは気づくべきだった。
天才軍師の軍略が崩れたこと、すでに、戦線の立て直しは困難を通り越して不可能であり、だからこそ、ここは速やかに撤退する必要があることを……。
けれど残念ながら、ミーアは撤退のしどころを誤った。
ゆえに、その退路はすぐに閉ざされる。
「それはそうとミーア。もしも君が立候補するというのなら、ボクは全力で君を応援しよう」
「……はぇ?」
「ラフィーナさまに対抗して立候補をするなら、きっと全校生徒から奇異の目で見られることだろうが、少なくともボクは最後まで君の味方だ」
「あ、アベル……」
ミーアの両手をつかみ、真剣な顔で見つめてくるアベル。その鋭い瞳にミーアは、頭がポーっとしてしまうのだった。
そうして、
「……ああ、アベル、格好いいですわ」
などとキュンキュンしつつ部屋に戻ったミーアは、その日の夜……。
「う、うう……どうしてこんなことに……」
冷静になって、自分が引くに引けないところに到達してしまったことをようやく理解したのだった。
そうしてさらに二日間、枕を涙で濡らしてから、ついにミーアは決意した。
かくてミーアの会長選挙立候補の報が学園内を駆け巡った。
陰謀うごめく生徒会選挙が始まる。




