第十六話 分岐点
「まぁ、わたくしに生徒会に?」
ミーアは、思わず驚きの声を上げていた。
セントノエル学園生徒会――それは、単純な学生の自治組織ではない。
なぜなら、この学園に通う者は選ばれた者たちだから。
次世代の権力者たちが集うこの学園において、生徒会に入ることは大変な名誉であり、それ以上に、実質的な発言力を得ることでもある。
前の時間軸のミーアも当然のごとく、この生徒会の役職を狙っていた。
けれど、会長こそ自由投票によって決まるものの、それ以下、副会長二名と、書記二名に関しては、生徒会長に選出された者の推挙によって決められるようになっている。
ラフィーナに蛇蝎のごとく嫌われていた、というか、そもそも存在の認識すらされていなかったミーアは、当然のことながら役職に選ばれることはなかった。選択肢に入ることすらなかった。
かといって、ラフィーナを蹴落として生徒会長になろう、などと大それたことを考えるはずもなく。
結局、ミーアは、ラフィーナに票を入れつつ、自分にお声がかからないかしら? などとソワソワしつつ、この選挙期間を過ごしていたのだ。
まぁ、ただの一度も声がかかることはなかったのだが……。
そんなミーアだから、このお誘いは素直に嬉しかった……かというと、実はそうではない。正直、どちらかというと、面倒くさいと思ってしまったのだ。
そうなのだ、ミーアは、あの頃のミーアとは違うのだ。
無上の権威を誉れとし、純粋無垢に喜びを覚える、うぶな小娘ではない。
二十歳を過ぎた、色々知っている大人の女なのだ。
ミーアは知っているのだ。権威や名誉には、必ず強大な責任がついて回るということを。
そして、もしもラフィーナから推薦を受けておきながら、サボったり手を抜いたりしたが最後、ラフィーナの不興を買うことを。
ただでさえ、混沌の蛇やベルのことで、いろいろ頭を使わなければならないのだ。
そんな面倒ごとを引き受けるのは、ミーアとしては遠慮したいところだった。
なんとか穏便に断れないかしら? と頭をひねったミーアはとりあえず無難な言い訳を使ってみる。
「ですが、ラフィーナ様、わたくしはティアムーンの皇女ですのよ?」
セントノエル学園生徒会には、不文律が存在している。
それは、ティアムーンとサンクランド、および、その陣営に属する国の貴族を役職に就けないこと。
生徒会の持つ絶大な権威を求めて、かつて、数多の工作がなされてきた。大国の者たちを中心に、熾烈で、けれど極めて不毛な派閥工作が行われ、やがては学園生活にまで支障をきたすようになった。
そのような過去の反省から、生徒会には、両大国とその息のかかった者たちは招いてはいけない、というルールが生まれた。
ラフィーナの誘いは、そのルールを逸脱するものであった。のだけれど……、
「あら、別に明文化されたルールではないわ。それに、学園に通う誰しもに開かれた生徒会というのは理想ではないかしら? ミーアさんなら、一緒に理想を追求できるのではないかと思っているのだけど……」
ラフィーナは澄んだ瞳で、ミーアを見つめた。
「あなたは、家柄や血筋に惑わされずに、人を見ることができる人でしょう?」
その言葉でミーアの脳裏に、いくつかの記憶が過ぎる。
――そういえば、わたくしがアンヌやクロエ、それにティオーナさんと仲良くしてるのを見て、なんだか嬉しそうにされてましたわね。ラフィーナ様……。うう、信頼が重たいですわ。
その時だった。
「生徒会…………?」
小さなつぶやきが耳に届いた。その声は、弱弱しく、かすかに震えていた。
声の方に視線を転じれば、ケーキに手を伸ばしかけていたベルが、真っ青な顔をして、ラフィーナの方を見つめていた。
――一体、どうしたというんですの? ベル……、この話になにか……?
唐突に、ミーアは思い出す。
……ベルが何者であったのかを。
彼女はミーアの孫娘だ。しかし、それ以前に彼女は……、彼女は。
――導、ベルは、わたくしの行動指針。
ミーアの願いに応えて送られてきた存在、仮にそれがミーアの思い過ごしであったとしても、未来を知るベルが青ざめた顔をしているのは、ただ事ではない。
――これは、慎重に考える必要がありますわね……。
チリチリとした、なにかアブない兆候をとらえ、ミーアの、小心者の心臓が高鳴る。
――なにやら、この答えを間違うと大変なことになりそうな、そんな気がいたしますわ。
直感の告げるまま、ミーアは口を開いた。
「とても……ええ、とても光栄なことですわ。ですが、わたくしにその重責が担えるかどうか、少し心配ですわ。考えさせていただいても?」
ミーアの答えを聞いて、ラフィーナは微笑みを浮かべた。
「もちろんよ。答えはそこまで急いでいないから」
紅茶に口をつけてから、ラフィーナは涼しい笑みを浮かべた。
「それにしても、権力や名誉に飛びつかないのは、さすがね。ミーアさん」
「いえいえ、ラフィーナ様にご迷惑を掛けたら大変ですから」
ミーアもまた、ティーカップを持ち上げる。
今まで気づかなかったが、のどがカラカラに乾いていた。