第十三話 ミーア姫、やらかす……
ベルの言葉に、ミーアは衝撃を受けた。
彼女の有様からある程度は予想していたとはいえ、衝撃は簡単にはなくせない。
「そんな、いったいどうして? やはり飢饉を乗り切れなかったんですの?」
「飢饉……? たぶんですけど、それは大丈夫だったはずです。ボクが生まれるずっと前というか、ボクのお母さまが生まれるよりも前のことなのでよくは知りませんけど……。ミーアお姉さまの功績を称えるご本に書いてありました。蓄えで十分に乗り切れたし、周辺の困窮している国にも救いの手を伸ばした、と書かれていました」
「そう、ですわね。言われてみれば確かに、あの飢饉が起きるのは今から数年後のこと、ベルには関係ないか……」
ほう、っとミーアが胸を撫でおろしたのもつかの間……、
「あっ、でも、その時にミーアお姉さまの栄誉を称えるために、金の像が立ちます」
「ぇ……? きっ、金の像……ですの?」
「はい、天を衝くがごとくものすごく大きな像だったって、エリス母さまも言ってました」
「てっ、天を衝くがごとく……」
ミーアは、巨大な自らの像が立っているのを想像した。
腕組みして、得意げに笑みを浮かべる自身の姿。そんな金ぴかの像が帝都の広場に聳え立つ姿を思い浮かべて……、ついでにそれが革命軍に引き倒されるシーンまでしっかり想像できてしまった。
――しかも、金の像とか、引き倒された後、ボコボコに解体されて売り飛ばされるに決まってますわ。別に自分がやられてるわけじゃないのに、あれ、結構、ショックなんですのよね……。
前の時間軸において、自身の肖像画がどのように扱われたのか、忘れてはいないミーアである。ルードヴィッヒとともに困窮する民衆のもとを訪問した帰り道、広場で肖像画が山積みにされて焼かれているのを見て、こう、無性に悲しい気持ちになったものである。
「それは、絶対にやめさせなければなりませんわね……。ルードヴィッヒにくれぐれも言っておかなければ……」
「へ? なぜですか? とても素晴らしい出来栄えだったと聞いてますけど……」
「覚えておくといいですわ、ベル。帝室は、税金を自らのお金だと思っては絶対にいけませんわ」
ミーアはキリッとした顔で言った。
「自らの……、血だと思いなさい!」
「血……ですか?」
「そうですわ! それこそが生き残るためのコツですわ!」
ギロチン被害の第一人者であるミーアの言葉に、ベルは神妙な顔で頷いた。
「それで、話を戻しますけど、結局、帝国になにがあったのですの?」
「ボクも直接知っているわけではありません。すべて、ルードヴィッヒ先生から聞いたことです」
そう前置きして、ベルは話し始めた。
「ボクの曽祖父、ミーアお姉さまのお父さまが亡くなった後、ミーアお姉さまは帝位を継ぎませんでした。そのために帝位を継ぐのは、四大公爵家の一つということになったのですが……」
ミーアの一応の友人、エメラルダ・エトワ・グリーンムーンの実家であるグリーンムーン家と莫大な資産を抱えるブルームーン家、軍部に強いコネクションを持つレッドムーン家にイエロームーン家を加えたティアムーン帝国四大公爵家は現皇帝の血族である。すなわち、正当な皇位継承権を持っているのだ。
各家の権勢には若干の差異はあるものの、いずれも皇帝に次ぐ大貴族として知られている。当然のごとくそれぞれの家が貴族社会に派閥を持ち、権力闘争を繰り返していた。
「まさかとは思いますけれど、継承権争いが悪化して内戦……などとは言いませんわよね?」
「さすがはミーアお姉さま。よくおわかりになりましたね。二家同士が互いに手を結び、対立。帝国内の各貴族は、ごく一部を除き、どちらかの陣営に入り、帝国は二つに割れてしまいました」
ベルは、小さくため息を吐いた。
「ルードヴィッヒ先生が嘆いておられました。ミーアさまが、もしも女帝になっていただけていたら、ここまで酷いことにはならなかったって……」
それから、慌てた様子で付け足す。
「あっ、もちろん、きっと何か考えがあったんだろうって、言っておられましたけど……」
それを聞いて、ミーアの背中を、だらだらと汗が流れ落ちた。
――あ、ああ、や、やってしまいましたわ。これ、きっとアレですわ。たぶん、わたくし、なぁーんにも考えてませんでしたわ……。
ミーアには未来の自分の思考が手に取るようにわかった。何しろ自分のことだし。
――あ、あの歴史書を読んだせいですわ。あれに八人も子どもができて、国は安泰だって書かれてたものだから……。
ミーアは確信する。絶対に、未来の自分は面倒くさがって、女帝にならなかったのだ。積極的に拒否したのか、それとも消極的になる努力をしなかったのかはわからない。
けれどいずれにせよ、特に理由もなく、深い考えもなく、その椅子を他者に譲ってしまったに違いない。
「それでも、内乱が起きて帝国が割れそうになった時、ルードヴィッヒ先生たちは、ミーアお姉さまを女帝の地位につけようとしたそうです。だけど……」
「だけど……?」
「その矢先に、お姉さまは毒殺されてしまったんです」
「ど……毒殺!?」
それを聞き、ミーアは一瞬、考える。
――ま、まぁ、でも、ギロチンよりはマシなのかしら……?
ミーアの脳裏をよぎるのは、おとぎ話だった。
愛し合う姫と騎士とが報われぬ恋の末、ともに毒をあおって命を落とす物語。
――首を落とされるよりは、だいぶ……。
「お見事なお最後だったそうです。ミーアお姉さまは、三十日の間、猛毒と気高く戦った末……」
ミーアは脳内で、三十日間、毒で苦しんで、と翻訳した。
「その身を深紅の鮮血に沈めながらも、わが人生に一点の曇りなし、と高らかに朗らかに叫ばれた、って」
ミーアは脳内で、全身から血を流しつつ苦しみながら死んだ、と翻訳した。
「ミーア皇女伝に書いてありました」
――ひぃいいっ! 全然マシじゃございませんわ! エリスの脚色がだいぶ入ってますけど、これ、実際にはものすごーく悲惨な死に方ですわ!
リアルに想像してしまい、ミーアは震え上がった。
――しかも、そのお話、なんだかすごく盛られてる気がいたしますわ。
毒で弱っているのに、高らかに朗らかに格好いいことを叫ぶ自分の姿がまったく想像できないミーアである。
キラキラした目で見つめてくるベルを見て、ミーアは、遅まきながら不安になる。
――この子、わたくしのことどんな風に教えられてるのかしら……?
聞いてみたいけれど、怖いから聞かずに棚上げするミーアである。
「それで、ミーアお姉さまのお子様方、ボクから見ると叔父上や叔母上に当たる方たちなのですが、身の危険を感じ、離散の憂き目に逢いました。ボクは、お母さまが亡くなる直前に、アンヌ母さまのもとに預けられたんです」
ベルは、一度言葉を切ってから、少しだけかすれた声で続ける。
「でも、アンヌ母さまはボクをかばうために……。そして、その後、育ててくださったエリス母さまも……」
――ああ……アンヌ……、それにエリス。あなたたちは、わたくしが死んだ後も、忠義を尽くしてくださいましたのね……。でも、エリス、いくら何でも脚色しすぎ……。
ミーアは小さくため息を吐きながら、改めて疑問を口にする。
「ですが、仮にわたくしが死んだとしても、そう簡単に帝国が滅びたりはしませんでしょう? そうですわ、シオン。あのでしゃばりはどうしましたの? あいつが他国のこととはいえ、貴族の愚かな行いで、民が苦しむのを見過ごしにするなんて思えませんわ。それに、ラフィーナさま……、あの方が、そのような帝国の窮状を見過ごしにされたんですの?」
「ラフィーナさま、というのは、司教帝ラフィーナ・オルカ・ヴェールガのことでしょうか?」
「ええ、そう、ですわ……? ん? 司教帝?」
聞きなれない言葉に、ミーアは首を傾げた。