第百七十二話 キー充……?
「さて……楽しい晩餐会でしたが……必要なことはやっておかなければならないでしょう」
ミーア、そしてクラリッサとの会談を終えた後、ナホルシアは自室にいた。ほどなくして、部屋には夫のセドリック、さらに、母ルスティラがやってきた。
オリエンス家の大人たちが揃った部屋に、イスカーシャとロタリアは、呼んでいない。
これは、大人がけじめをつけておくべき問題だからだ。
そうして、彼女はとある人物を呼んだ。
ほどなくしてやってきたのは、メイド服に身を包んだ女性、モニカだった。
「ヴェールガから、遠路はるばるご苦労さまでした。モニカ・ブエンティアさん。ラフィーナさまは、お変わりはないかしら?」
ナホルシアの言葉に、いささか緊張した顔でモニカは頷いた。
「はい。今は、パライナ祭の準備のために、各地を回られています」
「そう。それはなによりのことです」
小さく頷いてから、ナホルシアはそっと息を吐いて……。
「ですが、あなたをお呼びしたのは、聖女ラフィーナのメイドとしてではありません。元風鴉のモニカ」
そう言うと、モニカは若干、顔を強張らせた。その緊張を和らげるため、ナホルシアはわずかに笑みを浮かべて、
「そう身構えることはありません。あなたはすでに、ヴェールガの聖女ラフィーナの庇護の下にある。いかにオリエンス大公と言えど、この場で処断などということはできませんよ」
言いつつも、ミーア一行と会う前だったら、どうだっただろうか……っと、ふと思うナホルシアである。
サンクランドの正義に泥を塗った風鴉。その一人を目の前にし、冷静でいられただろうか……?
答えの出ない問いを胸に、ナホルシアは言葉を続ける。
「ただ、風鴉として、実際にレムノ王国で活動していたあなたの口から聞いておきたかったのです。我が娘ロタリアが行こうとしているレムノ王国のこと……そして、混沌の蛇のことを。直接、見てきた者の口から、ね」
と、そこで、ルスティラがパンッと手を叩いた。
「とりあえず、お茶でも飲みながらお話しするのが良いのではないかしら? 長い話になるでしょうしね」
それから手慣れた様子で、紅茶を淹れ始めた。
さて……。モニカはできるだけリラックスするように努めていた。
オリエンス女大公に呼び出された状況。下手をすれば、この場で首を刎ねられるのでは? という極度の緊張状態にあった彼女であるが、無理やりにでも落ち着かなければ、と……出された紅茶を一口。
――あ、美味しい……。
ラフィーナのところでもらう紅茶と同じ、ヴェールガ産の紅茶だった。もしかしたら、ルスティラに気を使ってもらったのかもしれない。
もう一口、紅茶をすすってから、モニカは、小さく息を吐き……。
「わかりました……。私の知る限りをお話しさせていただきます」
そっと視線を上げた。
ナホルシア・ソール・オリエンス……。サンクランド王国最大の門閥、国境の護り手にして重鎮の中の重鎮、オリエンス女大公……。そんな、圧倒的な権威と迫力を見に纏ったナホルシアを前に、モニカは説明を始める。
「私が風鴉には行った時、すでに白鴉がありましたから、その成り立ちについて詳しいことは知りません」
風鴉のこと、白鴉のこと、ジェムのこと……そして、レムノ王国のこと。
自分が知っている情報を確認するように話してから、そこに推測を加える。
「……ただ、確かに風鴉は、ジェムによって変質させられたようですが……。蛇が彼一人だけだったかというと、疑問が残ります」
「風鴉には、ジェム以外の蛇がいたと?」
ナホルシアの問いかけに、モニカはそっと首を振り、
「その可能性もあるかもしれませんが、それだけではなく……」
モニカは考えていた。
グレアムは蛇ではなかった。ジェムの影響を強く受けてはいたが、あくまでも彼はサンクランドの正義のために行動していた。純粋に蛇の思想に傾倒し、秩序の破壊を目論んでいた、本当の蛇と呼べる者は、モニカの知る限り、風鴉にはジェムだけだった。
しかし、それでは、あの件に関わっていた蛇はジェムだけだったのだろうか……? 蛇は、風鴉の中にいる者だけだったのだろうか? サンクランド王国に縁を持つ者だけだったのだろうか?
「サンクランドに蛇が潜んでいたように、レムノ王国にも蛇がいたのではないか、ということですか?」
ナホルシアの問いかけは簡にして要を得るものだった。
それこそ、まさにモニカの持っていた疑いでもあった。
蛇の巫女姫、ヴァレンティナ・レムノは、レムノ王国由来の蛇と言えるかもしれないが、彼女の軸足は騎馬王国火の一族にあった。そして、それ以外に、レムノ王国の蛇は見つかっていない。
過度な軍事偏重と女性蔑視、レムノ王国の奇妙で極端な歪み方に、蛇が無関係であったとは考え難い。であれば、当然、指導層に蛇が隠れ潜んでいると考えるのが自然ではないだろうか。
「もしも、レムノ王国の思想が、蛇によって形成されたものであるとするならば……クラリッサ姫殿下の女学園構想は、彼らを刺激するものになるでしょう。そうなれば……」
「レムノに古くから潜み、国の秩序を崩さんとする者たちが、蠢動を始めるかもしれない、ということか……」
そっと腕組みをし、難しい顔をするナホルシアに、母ルスティラが問いかける。
「ロタリアを止めるのですか? ナホルシア」
ゆっくりと首を振ってから、ナホルシアは、はニコリと笑みを浮かべ、
「もしもロタリアに仇なす者がいるならば……オリエンス家の総力を挙げて介入することにいたします。もっとも、あの子も、我がオリエンスの娘。そう簡単に折られはしないでしょうけど」
躊躇なく言うナホルシアに、
「私は娘が危険なことに首を突っ込むようなことは……止めたいんだけど……」
ちょっぴり情けない声を出す夫、セドリックであった。
ナホルシアの部屋を出たところで、モニカは一つため息を吐く。っと……。
「今回は、助かりました、モニカ嬢」
突如、話しかけられて、思わず跳び上がる。素早く視線を巡らして、そこに立っていた人物の姿を確認して、脱力。
「キースウッド殿、あまり、淑女を驚かせるのは感心しませんね」
「はは、特に気配を断っていたつもりはないんですが。珍しいですね、あなたにしては、注意力が落ちているようだ。それほど、ナホルシアさまとの会談は緊張しましたか?」
問いかけに、モニカはそっと肩をすくめて。
「それもありますが、どちらかというと、肩の荷が下りた、といったところでしょうか……」
「肩の荷?」
「ええ。当時の風鴉のこと、じっくりとお話しすることができましたから」
確かに、風鴉は間違いを犯した。
されど、確かに、そこには誇りがあったのだ。
母国に対する思いがあったはずで、サンクランドのために、本気で活動していた者たちがいたのだ。
それすら認められず、ただの悪しき組織として解体されてしまったことが、モニカの中で小さなしこりになっていた。
「風鴉のこと、弁明する機会を作っていただいたお心遣いに感謝します」
「さて……なんのことやら、わかりかねますが……」
とぼけた顔をするキースウッドに、モニカは苦笑を浮かべて、
「それにしても、今回は上手くミーア姫殿下をコントロールすることができたようですね。キノコ狩りにしても、料理にしても、まったく介入する余地を与えていなかったようですし」
「事前にいただいていた地図が非常に役に立ちました。元風鴉のみなさまにも感謝をお伝えください」
「ふふふ、了解しました。それにしても……もうお教えすることも無いのかもしれませんね」
実際、今回のキースウッドの動きは見事だった。
ミーアに変なことをまったくさせていなかった。
本当に見事で……見事すぎて……。そこで、モニカは眉をひそめた。
「すべてが……あまりにも上手くいきすぎている気がする……。私の口から、直接、レムノ王国のことを話し、クラリッサ姫殿下に援護を与えようとお考えだったとするなら……」
ハッと顔を上げ、モニカは言った。
「相手が喜んで罠に飛び込んでくるようにするのが最上の戦略。さらに、罠にかかったことにすら気付かせないのはその上……。あるいは、もしかすると、すべてミーア姫殿下の思惑によるものだったのかも……」
すべては、かの帝国の叡智の手のひらの上……。
その言葉に、キースウッドは思わず、ぶるるーふっと背筋を震わせる。
彼の戦略的な動きですら……すべて計算の内。こうしてモニカをこの場所に呼び寄せることまで読み切ってのことだったとしたら……。すべてわかっていて、自分の思惑を通しただけなのだとしたら……。
もしそうだったとするなら、彼女がその気になれば、いつでもヤベェキノコ狩りに出かけられることになってしまう。試しに作ってみたヤベェ料理を、簡単に主君たるシオンにお出しすることもあり得てしまうかもしれないわけで……。
さすがにそれは……いや、しかし……。
一抹の不安を覚えつつも、キースウッドは、
「は、はは、まっさかぁ……」
乾いた笑いで、不安を吹き飛ばすのであった。
「そ、それよりも、こうしてわざわざ助っ人に来ていただいたわけですし、一杯奢りますよ。モニカ嬢」
「あら……。ふふふ、そうですね。では、せっかくですし、お言葉に甘えますね」
ちなみに……今回のキースウッドの働きは、忠勤にしっかり答えることを信条とするミーアによって、しっかりとエイブラム王やナホルシアに伝えられた。
そうして、オリエンス大公領のキノコ繁殖地の第一人者になったキースウッドは、ナホルシア女大公から一目置かれるようになり、ミーアが訪れる際には決まって召集されるようになってしまうのだが……。
こうして、色々な面でますます人生が充実してしまうキースウッドなのであった。
めでたし、めでたし!
さて、第十一部なのですが……実は予定より大幅に伸びておりまして……。ミーアがキノコ狩りとか乗馬とか勝手にやるものだから、本来なら三分の一ぐらいで終わるはずが、こんなことに……。
ということで、章題的に祭りの終わりまでやらねばならないので、まだ結構続いてしまいます。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。




