番外編 ヒル充
騎馬王国には二つの都がある。
サンクランドに近い北都とレムノ王国に近い南都である。
帝国侯爵コティヤール家の次男、ヒルデブラントの留学先に立候補したのは、その南都を治める山族の長、山富馬だった。
「帝国貴族のご子息であれば、定住地を持たぬ他の一族の生活は難しかろう。その点、我が山族は南都を守る一族。それに、レムノ王国などから貴族の生活の情報も得ている。騎馬王国に慣れていただくにはちょうどよかろう」
族長会議にて、そう力説する富馬に、他の族長たちは押し切られてしまったのだ。
さて、そんな事情もあって、ヒルデブラントは南都を生活の拠点として、乗馬留学することになったのだが……結論から言うと……実に、楽しかった!
毎日、良い馬に乗り、良い馬の手入れをする。
素晴らしい馬に乗った住民たちとすれ違い、その技術に瞠目する日々。
大変に充実していたのだ!
その日も、彼は朝から、草原に出て馬を走らせていた。
乗馬の練習場所は、町のほど近くにある草原地帯だ。
そこは、山族の子どもたちが馬を遊ばせる場所。のどかな草原は見晴らしがよく、地形的に危険はほとんどない。また、部族の戦士たちの見回りもあって、狼などの危険な獣が近づいてくることもない。ある種の安全地帯だった。
そこで馬を自由に走らせるのだが……。
「違う違う、ですの。もっと馬に合わせる、ですの! そんな乗り方をしてたら、馬に余計な体力を使わせてしまいます、ですの!」
ヒルデブラントの乗馬を見守る小さな影があった。
「ああ、もう、何度言えばわかるんですの? そんなの、騎馬王国の男の子たちなら、十歳ぐらいで覚えてしまうことだ、ですの!」
指を振り振り、手厳しくヒルデブラントを指導するのは、山族の族長の娘、山小驪だった。
おさげ髪をぴょんこぴょんこと揺らしつつ、腰に手を当てる小驪。そんな彼女の指摘を受けて、ヒルデブラントは、
「ははは、確かにそうですね。しかし、そんな小さな頃から馬に慣れ親しんでいるなんて、実にうらやましい」
快活な笑みを浮かべた。怒るでもなく、落ち込むでもなく、やる気に満ち満ちた笑みを浮かべるヒルデブラントに、小驪は呆れて首を振った。
――これだけ言われても侮辱されたと言い返さないなんて、この人、変わってる、ですの。
ヒルデブラントが留学に来て以来、ずっと彼に乗馬を教えているのが小驪だった。
天馬姫ミーアとの馬合わせ以来、すっかり乗馬熱が燃え上がっていた小驪である。自然と、その指導には身が入ってしまうのだが……。そんな厳しい指導にも、ヒルデブラントはついてきた。
早いとは言えないが、ジワジワと実力をつけてもいる。
――乗馬の腕前はまだまだまだまだ、だけど、腐らずに努力してるのは認めないでもない、ですの。
なぁんて優しい気持ちで彼を見守っていた小驪だったが……ある日、唐突に気付いてしまった。
――あれ……でも、このヒルデブラントさんって……。私の好みにピッタリなんじゃ……?
そう、気付いちゃったのだ!
もともと小驪は、都会での暮らしを希望していた。
どちらかというと、騎馬王国の、馬! 馬!! 馬命!!! みたいな男たちより、町の垢抜けた男の子に憧れを持つ少女だったのだ。
馬合わせ以来、馬に対する熱意は甦っていたし、やっぱり馬に乗れない男なんて、っと騎馬王国の娘らしいことを思ってもいたが、それでも、垢抜けた都会の雰囲気に対する、幼き日からの憧れは拭い難いものがあり……。
そんな彼女にとって、ヒルデブラントは……理想も理想! 好みのど真ん中を射抜く男だった。
それに、よくよく考えると、どれだけ厳しくしても笑顔で努力を重ねるヒルデブラントのことは、どうしたって好ましく感じずにはいられなくって……。
――え? えええ? いやいや、でも……そんなこと……。
思わず、頭が、ぽーっと熱くなる。
「うん? どうかしただろうか? 私の顔になにか?」
「な、なんでもない、ですの。あっ、でも、綺麗なお鼻……じゃない! 鼻の頭に泥がついててみっともない、ですの」
「おっと、これは失礼。ふふふ、乗るのに夢中でまったく気づいていなかった」
まるで少年のように、人差し指で鼻先をこすって、ヒルデブラントは快活な笑みを浮かべる。その笑顔が、また実に、こう輝いて見えてしまって! 小驪は思わず目を逸らす。
「それにしても、楽しかった。やはり、さすがは月兎馬ですね。小驪嬢」
ヒルデブラントが乗るのは、山族最高の馬、落露ではない。それよりも劣る月兎馬だった。それでも、その速さは、他の種の追随を許すものではない。っと……かつての小驪は思っていたが……。
「それは違う、ですの。帝国のテールトルテュエ種もとても良い馬だと思う、ですの」
なにしろ、馬合わせで小驪は負けた身だ。
そして、実際に戦ってみてわかった。馬に貴賎はあらじ。ただ、得手不得手があるのみである、と。
「なるほど、そういうものですか。ふふふ、ありがとうございます。我が帝国の馬を、騎馬王国のご令嬢にお褒めいただけるとは……。なんだか、嬉しくなってしまいますね」
ヒルデブラントは爽やかな、垢抜けた笑みを浮かべた。
その顔を見て、小驪は、トックゥン! としてしまう。
そうなのだ。どちらかというと、貴族らしからぬ破天荒さをまとった彼ではあるが、それでも、隠しきれない洗練された雰囲気が、チラリと見える瞬間があるのだ。
それは都会暮らしに憧れる小驪に、見事にフィットするような洒落た空気で……。
都会育ちで、馬にも乗れて、その技術を高めるべく努力を厭わない人……。あれ、やっぱり、私、この人のこと、好きなんじゃ? なぁんて、改めて思ってしまう小驪だったが……。
――でも……この人は、火族の慧馬さんに……。
そうなのだ。ヒルデブラントは火慧馬に恋をし、認められるために乗馬の腕を磨きにきたのだ。
ここに来て早々に、彼がそう言っていたのを思い出して、なんだか、胸がキュウッとしてしまう小驪だった。
さて、そんな二人のもとに、山族の長、富馬がやってきたのは、その日の午後のことだった。
「これは、富馬殿、ご機嫌麗しゅう」
華麗な礼をするヒルデブラントに、ジロリっと威厳たっぷりに目を向ける富馬。けれど、娘である小驪から見ると、その態度はいささか作っているように見えた。なにしろ……。
『帝国との人脈……それも、あの天馬姫の親戚筋の青年……しかも馬好きで乗馬の向上心も上々……。実にいい……!』
などと……。父が馬以外を褒めているのを久しぶりに聞いてしまった小驪である。
半ば呆れながら見守っていると、おもむろに富馬は話し出した。
「ヒルデブラント殿、実はお願いがあってきたのだが……」
「お願いですか? 無論、私にできることであれば何なりとお聞きするが……」
眉をひそめるヒルデブラントに、富馬はもったいぶった口調で説明する。
パライナ祭への騎馬王国の出し物に協力してもらいたい、と。
「なるほど。あのミーアピックの再現を、この騎馬王国の出し物とする、ですか」
ヒルデブラントのつぶやき。けれど、富馬ははっきりと首を振り、
「違う。そうではない」
威厳たっぷりに腕組みして……。
「大・ミーアピックだ」
「……天馬姫杯とかのほうが格好良かった気がする、ですの」
父の言葉に、ぽつり、っとツッコミを入れる小驪だった。




