番外編 新月の夜の密会
……新月の夜だった。
暗く闇に沈んだ山野を一騎の馬が駆けていった。
星明りのみを頼りとした、まるで、人目を忍ぶかのごとき道行き、されど、その馬が速度を落とすことはない。さながら夜闇を切り裂く疾風のごとく、人馬は真っ直ぐ駆け抜けていく。
乗り手と馬の練度の高さがうかがい知れる見事な光景は、されど、誰の目にもとまることはない。
やがて、目指す先に揺らめく松明の灯火を見つけ、騎手の男の口元にニヤリ、と笑みが浮かんだ。
ほどなくして男の目の前に現れたのは一つの幕屋だった。
なかなかに大きな幕屋ではあるが、今宵の用が終われば片づけられて、跡形もなくなることだろう。
入口のところには、見張りの者が二人立っていた。
ご苦労、と短く言うと、男は身を屈めて幕屋の中に入った。そこには、険しい顔をした者たちが、すでに集まっていた。
「……どうやら、揃ったようだな」
最も年長の老人が、厳かな口調で言った。
「みな、壮健のようでなによりだ。今宵もこうして共に言葉を交わし合えることを嬉しく思う」
それから、一通り挨拶を済ませて後、一人の男が手を挙げた。
「早速だが……どうやらまたしても、帝国の皇女殿下に、やられてしまったらしいぞ」
口惜しげな重い言葉に、ざわり……っと、周囲に動揺が走った。
「どういうことか?」
司会役を務める老人が眉間に皺を寄せる。
「どうやら、オリエンス大公領を訪れたとか……」
「おお、オリエンス大公領か……だが、あそこには、確か……」
誰かがこぼしたつぶやきに頷き……。
「ああ……あそこには女大公ナホルシア……の愛馬、名馬、明陽がいる!」
男の言葉に、その場の者たち……騎馬王国の族長たちは呻くような声を上げた。
「あの明陽か……? かつて、我が国とオリエンス大公との友好のために贈られたという……。その仔馬たちも劣らずの名馬と聞くが、では、もしやミーア姫殿下は、そこで……乗馬勝負を?」
代表して質問したのは、その場の最年長、長老、風光馬だった。
「ええ。聞くところによれば、単純な乗馬勝負ではなく、オリエンス家のご令嬢と馬上弓術の試合をしたとか……」
おお、馬上弓術……! っと息を呑む音が、辺りに広がる。
「なんと、馬上弓術……。だが、弓はいったい誰が……まさか、ミーア姫ご自身がやったわけではあるまい?」
「いや、わからぬぞ。なにしろ、相手は、かの天馬姫。そのぐらいのことはやってのけても不思議ではない」
騎馬王国の族長たちの間で、ミーアの評判はすこぶるよい。
そもそも、このように、以前よりも頻繁に族長会議を開いて情報交換するようになったのも、ミーアが原因なのである。
そうなのだ……。本日はお休みの火族の族長代理、火慧馬から、以前のミーアピックのことを聞かされた時、彼らは思ったのだ。
すごくすっごぅく……楽しそうだぞぅ!? っと。
自分たちもぜひぜひ、一枚噛みたいぞぅ! っと。
そう思い、こうして、ミーアが企画した馬関係のイベント情報の収集に努めていたのだが……。
「まさか、特に事前準備もなく馬上弓術とは……。ちなみに、結果は?」
「純粋な馬の速さとしては引き分けだったらしい。例の帝国馬でだ」
「テールトルテュエ種で、またしても月兎馬と引き分けるとは……。さすがは天馬姫といったところだな」
天馬姫ミーアは、騎馬王国の者たちにとっては特別な人でもあった。
誰よりも馬を愛し、馬を知り尽くしているはずの自分たちが、忘れてしまっていたことを思い出させてくれた、ある意味では恩人なのだ。
そう、ミーアは教えてくれたのだ。
『天は馬の上に馬を作らず、馬の下にも馬を作らない』という揺るぎなき真理を……。
月兎馬こそ至高と、月兎馬一辺倒になっていた騎馬王国の者たちにとって、テールトルテュエ種で月兎馬に勝利したミーアの姿は、非常に新鮮なものだったのだ。
「しかし……そのような馬に関わる行事に、我ら騎馬王国の者が誰も関われなかったとは、口惜しい。ミーア姫殿下も我らにお声がけくださればいいものを……」
どこかの族長がそう言えば、周りの者たちが、そうだそうだー! ずるいぞー! っと声を上げる。
族長会議は、大いに盛り上がっていた!
「少し、良いだろうか……?」
と、そこで、一人の男が手を挙げた。
「実は、使える男がいるのだが……」
重々しい口調でそう言ったのは、山族の長、富馬だった。かつてミーアと馬合わせをした小驪の父である。
「使える男……? それは……もしや、山族で預かっているという、あの帝国貴族の……」
「そう。ヒルデブラント・コティヤール殿……かの天馬姫ミーア姫殿下の親戚筋の男だ」
おおっ! っと……驚きの声が上がる。
「なかなかに馬を愛する心を持った良い青年でな……。恥ずかしげもなく、生まれ変わったら馬になりたい、などと言える心根の澄んだ男だ」
「ほう……それは、見どころがある」
「なるほど! 天馬姫の親戚というだけのことはありますな」
「素晴らしい。実に殊勝な心掛けだ」
族長たちの言葉に満足げに頷いてから、富馬は言う。
「どうだろう? 帝国貴族、ヒルデブラント殿と、我が騎馬王国の若い者たちに、例のパライナ祭の出し物を任せてみるというのは……」
「なるほど……」
重々しく頷き、光馬老が目を向けたのは……林族の族長、馬優のほうだった。
「どうかな? 林族にも優秀な若者がいると思うが……」
「そうですな……。パライナ祭の出し物を若い世代に任せるというのは大いに賛成です。そこにティアムーン帝国の優秀な若者が力を貸してくれるというのであれば是非もなし。噂のミーアピックにも参加したと聞くし、ぜひともお手伝いいただくべきでしょうが……」
とそこで、馬優は苦笑いを浮かべる。
「あいにくと我が息子、馬龍は最近、国を空けることが多いので、騎馬王国の者としてパライナ祭をお手伝いするのは難しいかもしれません」
「ああ、そうでしたな。ヴェールガの聖女さまの随員を務めることが多いとか……」
「聖女ラフィーナさまも、最近は騎乗を趣味とされているらしいですな。我ら騎馬王国の民と心を同じくする者が増えつつあるのは喜ばしいことだ」
「これもすべて、天馬姫がこの地を訪れてからのこと。まさに、あの方は天が遣わした馬の姫と呼ぶに相応しいお方ですな」
族長たちの顔に朗らかな笑みが広がる。そんな彼らに、山富馬がパンッと手を打ち鳴らした。
「では、ご一同、ヒルデブラント殿にお声掛けし、騎馬王国の出し物は馬の祭典、第二回ミーアピックとすることで……ご異議のある者はおられますまいな?」
「異議あり」
重く、威厳のある声が響く。一同が驚き、そちらに目を向けると、その場の最年長、光馬老がむっつりした顔で腕組みしていた。
「光馬殿、なにか、気に入らぬことが……?」
「無論、ある。せっかくのパライナ祭なのだ。第二回などと言わず、もっと堂々と……大ミーアピック! のような名前が良いのではないか……?」
「なるほど。名は体を表すもの。ここは堂々と『大』を頭に付けるのも良いかもしれませんな」
続々と賛同者が声を上げ、族長会議は大いに盛り上がるのであった!
ちなみに、若者たちに仕切りを任せる、と言いつつも、彼らの中では、すでにミーアになにかの競技に出てもらうのは決定事項だったりするのだが……。
当のミーアは無論、知る由もないことなのであった。




