第百五十二話 アップルパイにジャムを塗る
ミーアはヒントを求めて、じっくりとオリエンス家の面々の顔を観察する。
――カギとなるのは、やはりナホルシアさまと、ルスティラさまかしら……。ふぅむ、なにか、お二人を説得できるようなものがあるかどうか、うーぬ……。難問ですわ。
とりあえず、口寂しかったのでカップに手を伸ばし、三分の一ぐらい残っていた紅茶を飲もうとして……。
「ああ、ミーア姫殿下。紅茶が冷めてしまったのではないかしら。淹れ直しましょうか? 実は、とても美味しいジャムをお持ちしていますのよ。甘くて香りが素晴らしいものなのだけど、一緒にいかがかしら?」
ルスティラの言葉に、ミーア、ハッと目を見開く。
「まぁ、美味しいジャム……?」
思わず、ルスティラの顔を見つめる。その穏やかな笑みに、先ほどの美味しいアップルパイが思い出された。
あの大変に美味しいアップルパイを持ってきた人物が「とても美味しい」「あまぁい」とお墨付きを出したジャムである。
そんなもの……ジャムに紅茶を入れて、飲まないわけにはいかないではないか! ジャムに紅茶を入れて! 飲まないわけにはいかないではないか!!
ということで、ミーアはにっこ―りと笑みを浮かべて……。
「ああ、それは……」
ぜひ……と言いかけ、そこで気付く。自身に突き刺さるようにして向いている……強い視線を……。
――あ、あら、なにかしら……? これは……あっ!
辺りをキョロキョロして、そこで、ミーアは見つけてしまう。
こちらをジロリっと睨むようにして見つめる、忠義の専属メイドの視線を。
アンヌが、じっと、じぃいっとミーアを見つめている。じぃいいっ! と見つめている!
『ああ、ミーアさま……紅茶にジャムなんか入れたら、もう……』
などと言う、アンヌの声が聞こえてくるかのようだった。いや、これ、本当に聞こえてない? というぐらい、はっきりと頭の中に響いた。
ちなみに「もう……」の後が、なんなのかはあえて考えない。怖いので……。
そうして、ミーアはようやく……ようやく自らの行いを省みることにした。そうして、自覚する。
ほんのちょっぴりだけど、食べ過ぎてしまったことを……。そう、本当に、ほんのちょっぴりと、だけど……。
――ああ、そうですわね。さすがにアップルパイをペロリし過ぎましたわね……。甘いお紅茶もとても魅力的ですし、ジャムもすごぅく美味しそうではありますけど、くぅっ、さすがにここで踏みとどまらねば、アンヌに怒られてしまいますわね。
いささか、遅きに失した感は否めないが……それでもミーアは踏みとどまった。見事に踏みとどまったのだ! 本当に、そうだろうか……? という疑問はさておき……。
ということで、ここはジャムの代わりに涙を呑んで、紅茶のスイーツ化を断念する。
そうしてミーアはルスティラに笑みを向けて……。
「ええ。それは……非常に魅力的なご提案ですけれど……今回は遠慮いたしますわ」
「あら、そうですか?」
「ええ。先ほど食べたアップルパイの余韻が口の中に残っておりますので、それを大切にしたいと思いますの……」
あのシャク、っというリンゴの素敵な歯応え。心地よい香草の香りとサクサクのパイ生地。しっとりとした生地から湧き出るあまぁいシロップの味……。それらを思い出しつつも、ミーアはゆっくりと首を振る。
「それに、今は、そのジャムの甘味を十全に楽しめないようにも感じますわ。今、紅茶にジャムを入れることは、甘いアップルパイにジャムを塗ることに似た、無駄を感じてしまいますの」
無論、本心ではない。ただ、食べなくていい理由を、それっぽく考えて、自分に言い聞かせているだけである。
「甘いパイに甘いジャムを塗るのは、少しもったいないですわ。無駄になってしまいますもの。ジャムは、渋いもの、甘くないものに塗らねば、その真価を発揮できないものですから」
革命期を知るミーアは無駄を嫌うのだ。
ジャムは、できるだけ美味しくいただかないと、もったいないと感じてしまう、まっとうな感性の持ち主だったのだ。
あの、一切の甘いものを食べられなかった、辛い日々を思い出せ……っと自分に言い聞かせるミーアである。
っと、そんなミーアのその言葉に、反応を示す者がいた……。
それは、ジッと黙って話を聞いていた、イスカーシャだった!
「……灯火が必要なのは日の光輝く朝昼にあらず……宵闇の中でこそ、その輝きは道を照らし、人々の助けとならん」
彼女が厳かに諳んじたのは、神聖典の一節だった。それから彼女は、ミーアに顔を向け……。
「すなわち、我がオリエンス家の者が……いえ、ロタリアが……力を発揮できるのは、サンクランド国内ではない。夜闇のようなレムノ王国である、と、そうおっしゃっているのでしょうか?」
ミーア、その言葉に、はて? っと一瞬、小首を傾げそうになるも、ふんぬっと気合で踏みとどまる。それから、傾げそうになった首をぐりん、っと縦の頷きに軌道修正し……。
「ええ……まぁ、そんな感じですわ……」
たぶん……っと心の中に付け足す。っと、イスカーシャは納得した顔で……。
「なるほど。つまり、未だに厳しい男尊女卑が残った国……レムノ王国でこそ、ロタリアの光のような働きは真に生かされると……ミーア姫殿下はそうおっしゃっているのですね」
重ねての問い、今度は意味をしっかりと捉えたうえで、ミーアは、しかつめらしい顔を作ってから、もっともらしく、ゆーっくりと首肯してみせた。




