第百五十一話 もう、あいつはいない……
「ロタリアに相談……? それはいったい……」
怪訝そうな顔をするナホルシアにミーアはゆっくりと頷いて。
「ええ……実は、レムノ王国のことなんですの。かの国の問題について……オリエンス女大公はどの程度ご存じかしら?」
「そうですね。風鴉からいくつか報告を受けています。軍事偏重の政治、民に課された重税のことや、革命が起きた経緯とか……もっとも、白鴉に情報が歪められていたでしょうから、あまりアテにはできないでしょうけど」
「なるほど、そうなのですわね。まぁ、問題はいろいろあると思いますけど、今回、クラリッサおね……王女殿下からレムノ王国の女性教育を改善したいとの要請を受けましたの。国内に女性向けの学校を作りたいと……。レムノ王国では貴族のご令嬢たちですら、あまり良い教育を受けられていないらしくて……」
「え……?」
ミーアの言葉を聞き、ロタリアが驚いた様子で口を開ける。
「貴族令嬢たちもですか……。そんなことが……」
イスカーシャもまた驚愕している。そんな中、ナホルシアが難しい顔で頷いた。
「なるほど……その件もかつて国王陛下との会合で話題に出たことはありましたが……真実でしたか」
「風鴉にも職務に忠実な者はいましたから。正しくレムノ王国の問題を本国に伝わったものもあったのでしょう」
そう口を出したのは、キースウッドだった。
基本的に従者の身分をわきまえている彼だが、ミーアの料理危機に関して大恩のあるモニカの弁護をしたのだろう。
「それもそうですね。サンクランドへの忠義を利用された者たちもいたと聞きますし、情報の取捨選択をすれば、使えないとは言えない、ということか。それに、蛇とやらが、人を騙す術を心得ているなら嘘ばかり送ってくることはしないでしょう。真実の中に小さな致命的な嘘を混ぜるほうが、人は騙されるものですしね」
ナホルシアは納得の表情で頷いてから、ミーアのほうを見た。
「しかし……残念ながらその問題に対しては、サンクランドとしては動けないというのが、当時の結論でした」
「そんな、なぜですか? お母さま、そのような状況を放置していては……」
ロタリアが疑問の声を上げる。それに答えたのはシオンだった。
「恐らく、書簡を送るぐらいはした。ヴェールガ公国も教会を通して咎めることをしたのではありませんか?」
「ええ。共同で書簡を送りました。けれど、聞き届けられることはなかった。そして、それ以上の働きかけは難しかったのです」
ナホルシアは口惜しげに言った。
例えば、王によって、民が理不尽に暴力を受け、殺されているだとか、兵を使って過剰な富を搾取し、民が安らいで生きられない状況にある……なんてことになれば、サンクランドは即座に軍を動かしたかもしれない。
ヴェールガ公国、並びに中央正教会に確認を取ったうえで、権威者の暴虐を咎めるために。
なぜなら、神から与えられた権威を民の平穏のために用いないのは明確な罪であり、場合によっては王の権威を手放す行為だからだ。そして、それを咎めず、放置した王もまた、正しく権威を用いなかった罪を犯すことになるのだ。
他国はまだしも、正義の国サンクランドが、正義の国王が、それを放置することはできない。
されど……貴族令嬢を始めとした多くの女性たちに教育が施されていないというのは、少々微妙なラインだ。
はたして、それは剣をもって正すほどの問題なのか? という問いがどうしても出てくるし、それはその地を統治する者の自由裁量の内にあるのではないか、との問いに直面するわけで。
「しかし……今回の場合はクラリッサ王女殿下が直接、要請を出してきている。であれば、動くことはできますね」
ロタリアが嬉しそうに言った。
そう……現在の状況をレムノ王国の王族が正そうとしているというのであれば、話は変わってくる。助けを求めてきたとあっては、それに応えないわけにはいかないだろう。
正しい働きをせんとする王家を、他国の統治者として助け、その地の民に平和をもたらす。これは、サンクランドとして……オリエンス大公家としても、正しいことと捉えられることだろう。
――これは、思ったよりもスムーズに行けるのではないかしら?
などと、押し上げてくる波を実感しつつ、ミーアは口を開いた。
「そこで、クラリッサ姫殿下が建てようとされている学校で、中心になってくれる教師を探しているのですけど……なかなかなり手がいなかったんですの。そんな時、ロタリアさんを紹介してくださる方がおられまして……」
「え……? わ、私ですか?」
思わぬところで名前を呼ばれた、とばかりに、ロタリアは目を瞬かせる。
「ええ、我が国の星持ち公爵令嬢、エメラルダ・エトワ・グリーンムーン公爵令嬢の推薦なのですけど……ご面識はございましたかしら?」
「ああ……エメラルダさまでしたら、エシャール殿下の帝国留学に際して、当家にもいろいろと話を聞きにいらっしゃいましたから。その時に何度かお話をさせていただきました」
年下の可愛い婚約者(エメラルダの中では……)エシャールのために、マメに動いているらしいエメラルダお姉ちゃんである。
「……でも、どうして私なんかを」
つぶやくロタリアの顔には困惑が色濃く浮かんでいた。一方で、
「ロタリアをレムノ王国に……ですか」
そうつぶやいたのは、彼女の父、セドリックだった。その声は微妙に険しい。
微妙に……というか、ものすごく?
眉間に皺なんか寄せて、すごーく嫌そうな顔をしている!
せっかく娘を王家に嫁がせずに済んだというのに、外国になんて嫌だなぁ、嫌だなぁっ!! みたいなことを思っているに違いない顔だ!
同じく、イスカーシャも難しい顔をしている。
可愛い妹をそんな大変な国に送り込むなんて、絶対、許さん! みたいな顔をしている!
――ふぅむ、まぁ、そうですわよね……。苦労することは目に見えてますし……賛成は得づらいですわ。
オリエンス家の面々の顔を窺いつつ、ミーアは、ふぅむっと考える。
――なにか、説得するのに良いものがあればいいのですけど……。
ミーアはヒントを探すべく、辺りに目をやる。けれど……お皿の上に、アップルパイの姿は……なかった! すでに、ペロリした後だった!
今までずっとミーアを助けてくれた……アップルパイは、もういない。
これからミーアは一人で立って……自分の足で歩いていかなければならないのだ。
そう……歩いていかなければ……ならないのだ。摂取したカロリーを少しでも消費するために……。




