第百五十話 朝日を受けた黄金の波は……
――ああ、実に眼福でしたわ。ふふふ、最高の恋愛劇を間近で見ることができましたわね。
ティオーナの甘い告白を聞いたミーアは、すっかり満足していた。
いつの間にかなくなっていたアップルパイに代わり、追加したアップルパイをぱくり。心なしか、口に放り込んだパイも甘味を増したような感じがする。
見れば、観光気分で過去に来てるんじゃないか疑惑のあるベルも、ご満悦の様子だった。
「これが、天秤王と王妃さまとのラブシーン……」
などと、ほわぁ、っと熱い吐息をこぼしている。
どうでもいいが、こんな感じで未来の世界は大丈夫なのだろうか……。なにか役割があって来たとか、そんなことを言っていたような気がしないでもないが……まぁ、どうでもいいか……。
っと、その時だった。
「ナホルシア……私からも話したいことがあります」
不意に、ルスティラが口を開いた。
先ほどまで、完璧に見に回っていた前大公夫人が、ここでようやく、重たい腰を上げたのだ。
「お母さま……? 私にお話ですか……?」
不思議そうに首を傾げるナホルシアに、ルスティラは深々と頷いた。それからミーアのほうに顔を向け、
「先に、心からのお礼を申し上げます。ミーア姫殿下。このように、我が娘の心の憂いを取り除いてくださったこと、私の言葉が届くようにしてくださったことを、感謝申し上げます」
そう言われ、ミーア、一瞬の硬直。
……はて、なんのことだろうなぁ? と当然思うも、そんなことおくびにも出さずに笑顔を浮かべ、さらに、無言で頷いてみせた!
なにか言葉にするようなことはしない。下手に口を開いては危険だ。ここは笑顔で、お礼なんていいんですのよ、というフレーバーを醸し出すのが正解だ!
そうして、話を進めてと、無言で伝えれば、ルスティラは、もう一度、深々と頭を下げてから……。
「ナホルシア……私は、サンクランドを唯一の正義としてしまうことに危惧を持っていたの。サンクランドは正義の国。民にとって、周囲の国にとってそうあるように努めるべきだし、そうあってほしいと、私は心から願っています。けれどね……」
わずかに視線を鋭くし、ルスティラは言う。
「それは、唯一絶対のものではない。サンクランド以外にも、正しき国があって良いはずなのです。無論、世界中の統治者たちが、どうしようもなく愚かであれば、サンクランド国王の下でというのが正しいこともあるでしょうけど……いついかなる時もサンクランドに倣えと、これこそが唯一であると、そう言ってしまうことに危惧を覚えていたのです」
吐き出すようにそう言って、ルスティラは紅茶を一口。喉を潤してから……。
「それもあって私は、あなたの父上……あの人と婚儀を結んだ。サンクランドの正義に、疑義を差し込む隙間を作るために……」
オリエンス家を王家に近づけ、完璧な自浄の仕組みに疑いの余地を作ること。それにより、凝り固まった保守派貴族に、自分たちを省みさせようとしたのだ。
「あ、でも、一応、伝えておくけれど、愛情ももちろんありましたよ。あの人のことを心から慕っていることは今でも変わらない。政略と打算だけで結婚したのではないと、言っておきます」
手をワタワタさせつつ、付け足すルスティラ。ミーアの作った甘い波の余波を受けていたようだった。
「そう……だったのですか」
愕然とした口調でつぶやくナホルシア。その顔を見て、ルスティラは苦しげに続ける。
「だから、あの婚儀に意味はあった。後悔はない。ただ、あなたが……そのように心の傷を負っていることをどうすることもできなかったことは……母としての痛手です」
その口調には、どうしようもない後悔の念が滲み出ていた。
それから、ルスティラはミーアのほうに目をやった。
「ミーア姫殿下からお聞きしました。この大陸に隠れ潜む破壊者たちのこと……混沌の蛇という者たちのこと……そのような者に、ナホルシア……あなたが毒され歪められて、苦しんでいるのではないか、と……。サンクランドの正義を、唯一絶対のものである、と変質させた者が、この国にいたのではないか、と……」
混沌の蛇、その単語が出た時、ミーアは素早く辺りを見回した。
いつの間にやら、その場にはミーアたち一行とランプロン伯、さらに、オリエンス家の血族の者たちしかいなくなっていた。オリエンス家の従者たちの姿はなく、護衛の兵たちも少し離れた場所にいた。
――人払い……いつの間に……。アップルパイに夢中で全然気づきませんでしたわ。
などと考えつつ、パクリ、ともう一口。少し離れた場所でアンヌが、極めて真剣な顔でジィっと見つめているが……それには気付かずに……。都合の悪いものは視界に入らないのが、帝国の叡智の便利な瞳なのである。
「混沌の蛇、ですか……?」
ナホルシアのつぶやき。許可を得るように、視線を送ってきたルスティラに、ミーアは一つ頷き、説明の手間が減りましたわ、っとちょっぴり喜ぶ。
「それは、秩序を破壊することを目的とした秘密結社のようなもの。それよりは結びつきが緩いと聞きましたが……」
「かの者たちによって、他ならぬ我が国の諜報機関「風鴉」も変容を余儀なくされたのです」
厳しい口調でシオンが説明を引き継ぐ。それを聞き、ナホルシアはハッとした顔をする。
「風鴉を……とすると、もしや、あの白鴉という者たちが……」
「そう。ジェムという蛇により、導かれ、歪められた者たちだ」
「その者たちが、風鴉を……」
許せん、っと怒りの表情を浮かべるイスカーシャ。けれど、ナホルシアは、そんな娘に首を振ってみせた。
「聞く限り、蛇はあくまでもきっかけを与えただけ、とも言えるでしょう。サンクランドを唯一の正義の国とし、他国を我が王の下に置かんとする、その傲慢さを突かれたとも言える。そのような者たちに付け入られる隙を与えてしまったことを、我々は恥じ入るべきでしょうね」
自省の念を湛えたナホルシアの言葉に、シオンは深く頷く。
「レムノ王国の革命事件を巻き起こしたのが風鴉であるというのは、お聞きのことと思うが……。レムノ王家にも反省すべき点がある……と我が友は言ってくれたが、我が国がその優しさにすがるのは筋が違う、と私は思います。間違いなくあれは我が国の罪。我が国のみが正義であるという考えを蛇に利用されてしまった。しかし……」
っとそこで、シオンがこちらを向く。
「それが致命的なことになる前に、そこにいる、ミーアが解決してくれました」
「ああ……そうでしたね……」
改めて実感した、という顔で、ナホルシアが頷く。
「ここ数年でミーアは幾度も蛇と刃を交えてきました。国を破壊しようと画策する彼らの試みをことごとく打ち砕いてきたのです」
ミーア……そのシオンの言葉に、ちょおっぴり不安になる。
――今のシオンの言葉は比喩でしたけど……ちゃんと伝わっているかしら? 物理的に刃を交えてきた、などと誤解されてなければよろしいのですけど……。
「もちろん、俺も協力できることは協力してきたが……常にミーアが主導したことに従ってきたに過ぎないと思っています」
――あ……あら? 妙ですわね。この流れ、なにか、こう……。
唐突に、ミーアの胸に去来したイメージがあった。
それは、ぷかぷーかと夜の海に浮かぶ海月。
波は静かで、空には綺麗に輝く月が見えている。実に、のんびりとした静かな夜だった。理想的な夜だった。
ふと気付けば、水平線の彼方。ぼんやりと光り輝く色が見えた。
それは見る間に黄金の輝きへと変わっていく。
それは夜明け。
水平線から堂々と顔を出した朝日の輝き。
と同時、海月は押し上げる波を感じる。
ぐんっ、ぐぐんっ! っと、強力な力を持って押し上げる波は、朝日に照らされて黄金に輝き、海月を高く、高く! 持ち上げていく!
ミーアは慌てて辺りを見る。っと、ルスティラが、ナホルシアが尊敬のまなざしを向けていた。イスカーシャやロタリアの目も、どこかこう……キラッキラした、純粋な好意が浮かんでいるように見えて……。
黄金のナニカの波動を感じ、ミーアは思わず、ぶるるーふっと身を震わせる。
――し、しかし、これはむしろ……。
ミーア、逃げ出しそうになるのを、ハッと踏みとどまる。
これは逆に……逆に! チャンスなのではないか? っと。
なぜなら、話の向きが、レムノ王国へと向かったからだ。今ならば、もしかしたら、ロタリアのスカウトも可能かもしれない。そういう流れが、きているのかもしれない!
見れば、シオンが、やってやった! みたいな顔をしていた。
――シオンも計算づくで話を振ってきたわけですわね。
今、目の前に大きな流れがあった。
少々、こう、さらさーらと砂金が流れているような、黄金に輝く流れのように見えるのだが……。
ミーアはそっと胸に手を当て、小さく息を吐く。
――これは、乗らないわけにはいきませんわね。
そう、ミーアは海月。目の前に波があるのであれば、乗らなければ……。
それがたとえ、多少キラキラしてても、乗らずにはいられないのだ!
ということで、ミーアは、意を決して、その波に飛び込んでいく!
「実は、そのことで、ロタリアさんにご相談したいことがございましたの」
「……へ? 私、ですか?」
きょとん、と小首を傾げるロタリアに、ミーアはニッコリ笑みを浮かべた。




