第百四十九話 真なる知者はアップルパイで語り合う
――ああ、確かに……。ルードヴィッヒ殿のお話は正しかったようですね。
ミーアの言葉を聞き、ルスティラは納得の笑みを浮かべていた。
ミーアが、サンクランドの政治問題で終わらせることなく、娘の真の問題にまで踏み込んでくれたことに、感謝を覚えていた。
ナホルシア・ソール・オリエンスの一番の問題点……。それは、家族のことだった。
彼女にとって愛おしい思い出、大切な家族という存在と、サンクランドの自浄の仕組みが相容れない、と認識してしていることが、一番の傷だった。
それが、いつ頃付けられた傷なのか、ルスティラは知らない。
ただ、ある時期からナホルシアが両親の結婚のことを、サンクランドの自浄を破壊するものと見做し始めたことには気づいていた。
また、事実、その側面はあった。
ルスティラとしても言い分はあったが、サンクランド王家とオリエンス公爵家が接近することは、自浄の仕組みにとって好ましいことではなかった。
だから……ルスティラの言葉は届かなかった。
彼女は当事者であり、彼女が語る言葉は、そのまま言い訳と捉えられかねなかったから。
そして、一度言い訳と受け取られれば、もう、二度と、言葉は届かないだろう。
ルスティラは、自らの感情を優先させて、サンクランドの自浄の仕組みを破壊した者としか思われなくなってしまうのだ。
だからこそ、ルスティラはその点について、一切、ナホルシアに語ることはなくなっていた。
そのせいで、ナホルシアはますます葛藤にはまっていった。
娘が、家族に対して特別に深い愛情を持っていることは察していた。だからこそ、自分は何も言えなかった。
そうして、待ったのだ。
ナホルシアに言葉を届けられる者の存在を……。
――サンクランドとは違う形で、サンクランドと同じぐらい民を安らかに治めている国の統治者……。サンクランドの唯一性、絶対性を否定する存在にして、ナホルシアにはっきりと言葉を届けられる者のどれほど貴重なことか……。
帝国の叡智は、ルスティラが求めるすべてを持っていた。いや、期待以上といってもいいだろう。
――一度は解決しかけた問題を、その形では解決しない、と軌道修正してみせた……。さすがは帝国の叡智ということかしら……。まだお若いのに、鋭い観察眼をお持ちのようね。
ルスティラの中、ルードヴィッヒが上げに上げていた期待値を、ミーアは軽々と跳び越えてみせたのだ。それはもう、ぴょーんっと跳び超えて、むしろ、どっかに飛んでいってしまいそうな軌道で……。
必然的にルスティラのミーアに対する評価は、大いに大いに! 上がっていた!!
――それにしても、ナホルシアを歪めたのは、やはり、混沌の蛇という者たちなのか……。
エシャール王子に接近し、国王の命すら脅かしたという敵。
帝国皇女ミーア・ルーナ・ティアムーン自身も命を狙われたことがあるという敵。
俄かには信じがたい敵なれど、本当にそんな者たちがいるのであれば、当然、オリエンス家も標的になり得るだろう。
――まったく気づかなかったけれど……ナホルシアを狙って接近してきていたことも、あるいはあるのかもしれない。
『地を這うモノの書』は、敗者に寄生する。だから、ナホルシア自身が蛇になることは、あるいはなかったのかもしれないが……その分、敵は彼女の罪悪感を利用した。
――罪悪感を生み出し、それを突いて操る。いや……罪悪感を生じさせた時点で、敵の勝利だったと考えるべきか……。いずれにせよ、私たちの結婚は、敵にとって突くべき隙になり得たのでしょう。
なんにせよ、娘が歪められてしまったことを自覚しつつも、ルスティラにはなにもできなかった。今日まで、長い時間、ずっと……心の底からの言葉をかけることができなかった。
そんな呪いを、ミーアは一言で解いてくれた。
「別にいいのでは?」
たった一言。それにより、オリエンス家に長く巣食っていた呪いを、一掃してくれたのだ。
――感謝しますよ、ミーア姫殿下……。そして、今ならば……。
意を決して、口を開こうとして……けれど、言葉が出ないことに愕然とする。
今ならば、娘に声が届くと……そう思った途端に、何を言えば良いのか、わからなくなってしまったのだ。
――今さら、何を言えば……。
その時だ。ふと見ると、ミーアが……澄まし顔でアップルパイを食べていた! まるで、自分の仕事は終わった、とばかりに……。
それは、自分の出番がまだ先であることを、アップルパイを食べることで伝えようとした、先ほどのルスティラに対する答えのようだった!
自分の仕事はもう終わり。次はあなたの出番だ、と、言っているかのようだった。
――ああ、ええ……そう。ここで逃げることは、できませんね。
老獪な前大公夫人にしては極めて珍しいことに……やや緊張しつつも、ルスティラは口を開いた。
「ナホルシア……私からも話したいことがあります」
小首を傾げる娘に、ルスティラは静かに語りかけた。




