第六話 クロエとティオーナとミーア式三段論法
「ゆゆ、幽霊、ですの……?」
尋ねるミーアに重々しく頷いて、ドーラは話し始めた。
「私のお友だちが実際に見たらしいのですけれど、夜、女子寮を歩いていた時、見たっていうんです……」
そこで言葉を切って、上目遣いにミーアを見つめて……、
「ボロボロの格好をした女の子の幽霊を!」
――そっ、そういう無駄な演出はいりませんわっ!
内心で絶叫を上げつつも、ミーアは浮かべた笑みを崩すことはなかった。
注意してみると、その頬が微妙に強張っていることに気が付くだろうが……。幸いなことに、この場にはあまり観察眼に優れた者はいなかった。
「噂では恋敗れて自ら命を絶った女生徒の幽霊とも、湖で溺れた町民の子どもの幽霊とも言われてるようで……」
「まぁ、怖い! ミーアさま、やはり幽霊とかっているのでしょうか?」
きゃあきゃあ言いながら怖がる取り巻きの少女たち。その一人に話を振られたミーアは、
「そうですわねぇ、お話としては楽しいかもしれませんけれど……」
余裕たっぷりの笑みを浮かべて、首を振った。
「残念ですが、それで怖がることができるほど子どもではございませんわ」
それから、優雅な仕草で目の前のサンドイッチをひょいっと口に入れて、
「では失礼、わたくし、次の授業の準備がございますから、先に行きますわね」
ミーアは、ちょこん、とスカートのすそを持ち上げると、そそくさと中庭を後にした。
校舎に入ると、ミーアは小走りになった。
階段を上るころには、全速力になっていた。スカートを軽やかに翻し、貴族の子女としては、ちょっぴりはしたない走り方かもしれないが……、知ったこっちゃないミーアである。
階段を一段抜かしでぴょこぴょこ上り、向かう先は教室だった。
「クロエ、クロエっ!」
入るや否や辺りに視線を走らせる。っと、目当ての人物が、ちょっぴり驚いた顔でミーアの方を見た。
「あれ? ミーアさま? どうかされたんですか?」
どうやら、教室で次の授業の準備をしていたらしいクロエ。そのそばには一緒に談笑を楽しんでいたのか、ティオーナの姿もあった。
ちなみに、ミーアを介して知り合いになったこの二人だが意外と話が合うらしい。
実家の手伝いで農作業もするティオーナにとって、植物にも造詣が深いクロエの知識は、とても有用なものだったとか。
今もそんな話で盛り上がっていたところなのだが……ミーアにそんな空気を読んでいる余裕はなかった。
開口一番、ミーアは尋ねる。
「クロエ、つかぬ事をお聞きしますが……幽霊って、本当にいるんですの?」
基本的に、ミーアは幽霊など信じていない。
そんなものを信じるなんて、いかにも子どもじみていると思っている。
思っているけれど……それでも怖くなってしまうのが、小心者で臆病なミーアという少女なのである。
だからこそ、誰かに否定して保証してもらいたい時があるのだ。
まして、先日見てしまった、アレのことがある。
ミーアの中で図書室での出来事は、ただの見間違いとして処理されているが、それでも現在のミーアはナイーブ乙女モードなのだ。
幽霊なんかいないと、どうしても誰かに保証してもらいたいのである。
この場合、誰でもいいわけではない。
アンヌなどは否定して安心させてくれるだろうけれど、それは、ミーアを安心させるために言っている可能性がある。
かといって、アベルやシオンに聞くわけにもいかない。アベルに「怖がりだなぁ」と笑われつつ、思い切り甘えるというのは一瞬考えないでもなかったが……、
――そ、そ、そんなはしたないことっ、できませんわっ!
などと、変なプライドが邪魔するのだ。当然、シオンに子ども扱いされて笑われるのは論外である。
また、ラフィーナなどは確かにその手の専門家なのかもしれないが……、それだけに怖いものがある。
「あら? 知らないのかしら? 幽霊はちゃんといますよ。ほら、ミーアさんの後ろにも……」
なーんて言われたりしたら、ミーアの心に回復不能な傷がついてしまう危険性がある。
そう考えた時、一番否定してくれそうで、なおかつ、その言葉に信用が置けそうな人物こそ、クロエであった。
自分などよりもよく本を読むクロエであれば、きっと冷静に、理知的に否定してくれるに違いない……そう信頼して尋ねたミーアであったが……。
クロエは……笑わなかった。
そっとうつむき、何事か考え事をしている様子。メガネに光が反射して瞳が見えなくなって……、その顔が、ちょっとだけ不気味に感じられる。
「あの、ミーアさま、私は幽霊についてはちょっとわからないんですけど……」
かわって口を開いたのは、ティオーナだった。
「でも、悪魔憑きは、領内によく出るから知ってます」
一般的に、悪魔憑きというのは、都会よりは田舎の農村部に出やすいと言われている。
ティオーナの住むルドルフォン辺土伯領は帝都から遠い地域である。当然、そうしたものと接する機会も多かったのかもしれないが……。
「悪魔憑きと幽霊と、どういう関係がございますの?」
首を傾げるミーアに、ティオーナは思いがけないことを言った。
「いえ、悪魔みたいな目に見えない怪物がいるんだったら、幽霊だっていてもおかしくないんじゃないかな、って思って……」
ティオーナの言葉は完全に盲点をついていて……、なおかつミーアを怯え上がらせるのに十分だった。
なぜなら、ミーアもまた、不可思議な現象に巻き込まれた経験があるからである。
時間転生、そのような奇跡を起こせるものは神さま以外にはあり得ないとミーアは素朴に信じていた。
「わたくしは偉大なる神の恩寵を受けた、特別な存在なのですわ……」
……などといささか調子に乗ってたりすることもあるが……、それはともかく。
神が存在するのであれば、当然、神聖典に書かれた他のものだって、存在する可能性は高い。すなわち、神の敵である邪神……、そして、悪魔……。
恐ろしい怪物どもが存在してもおかしくはない。
とすれば、幽霊だっていてもおかしくないのかも……。
ミーア式三段論法の完成である。
――なっ、なっ、なんで、怖くなるようなこと言うんですの!? やっぱり、この子、嫌いですわ!
ティオーナのことを睨みつけるミーア。そんなミーアに追い打ちをかけるように、
「ミーアさま、実は、こんな本があるんですけど……」
静かな声に、振り返ったミーアは思わず悲鳴を上げそうになった。
クロエが……何やら不気味な骸骨の絵が描かれた本を、ミーアに差し出してきたからだ。
「ひぃ? な、なな、なんの、本ですの?」
「うふふ、これはですね、なんと、東の島国に伝わる妖怪図版集と言って、えーっと怖い怪物の絵を集めたものなんです」
そうして、クロエは本を開いた。
そこに見えたのは、首がやたらと長いナニカや、目玉が三つあるナニカや、人間を丸飲みにしているナニカや、他には……。
「う、うーん……」
そこまでだった……。くらーっと、ゆっくりミーアの体が傾いだ。
「きゃあ! み、ミーアさま、どうされたんですかっ!?」
慌てた様子でティオーナが抱き留める。っと、ミーアは真っ青な顔で、小さく首を振った。
「だっ、だっ、大丈夫、ですわ。ちょ、ちょっと、めまいがしただけ……。すぐによく、なりますわ」
「大変。今、アンヌさんを呼んできますね」
そうして、すっかり気分が悪くなってしまったミーアは、その日の午後の授業を休むことにして、部屋で長いお昼寝をすることになった。
回復したのは夕食時のこと。
ティータイムのオヤツを食べ損なってしまったから、と、たくさん食べて、心行くまで飲んだのだが……。
それが、さらなる悲劇を生むことになるとは思いもしないミーアであった。