第百四十七話 ミーア姫、アップルパイの味がしそうな甘い理論を口にする
――まっ、またしても、わたくしのもとに波が返ってきてしまいましたわ。ぐぬぬ、せっかくアップルパイを食べながら、優雅に恋愛劇を見てようと思いましたのに……。
などと思うミーアは、未練たらしくリンゴを一口パクリする。っと、お皿の上には、リンゴ一切れ分のくぼみができたアップルパイが残された。
――あのくぼみのしっとりした部分が美味しいのですわよね。パイのサクサクした食感としっとり、じゅわっと甘味が出るあの部分が最高の組み合わせ……。
っと、一瞬、現実逃避して気分をリフレッシュしてから、気合を入れ直す。
そもそも……思い返してみると、弓の達人、リオラから、ティオーナのことをよろしくされているのである。どれだけ離れていても、物陰に隠れていても、矢を当ててきそうな、あのリオラ・ルールーから「よろしくお願いするです!」されているのである。
万が一のことがあったら……大変だ! 一大事である! 手を抜ける案件ではない。
――弓術でティオーナさんたちが力を存分に発揮した以上、わたくしも、上手いこと事態を治めるために頭を働かせなければなりませんわね。ふぅむ……。
ということで、ミーアは再び、脳みそを回転させ始めた。
――王が、個人の想いで判断をしても良いかどうか……ですわね。ふむ……。これは、よくよく考えてみると、適当に流して良いことでもなさそうですわ。
なにしろそれは、シオンたちだけでなく、ミーアや帝国にケチを付けるのにも使える要素だ。
ミーアの父、皇帝マティアスは、私情を優先させる統治者筆頭だし、ミーア自身も恋に重きを置いている自覚がないこともない。
ここは慎重に答えを……っとミーアはじっくり……じぃっくりと考えた後……。
「……あら? 別に良いのでは?」
かるーく結論を導き出した!
「王が常に感情を押し込めて判断をしなければならない、などということはないと思いますけれど……」
「我らは、人を率いる権威を委託された者です。その力がどれほど大きなものなのか、あなたが、ご存じないはずがないでしょう? それなのに、感情を優先させても構わない、と……?」
「無論、それはそうですけど……」
大きな権威を委託されている以上、責任は課せられている。
好き勝手に、感情任せに、その力を振るうことは、もちろん許されてはいない。ミーアは再び、獅子の着ぐるみの頭をすっぽりと被る。
「我らは神より権威と義務を課せられた者。それは確かですわ。されど、同じ神聖典には人の歴史が綴られておりますわ。人の想いが、その歴史を作ってきた。想い合う男女が結ばれ、子を成し、その子も伴侶を得て子を成していく、と。人の歴史とは、そのようなもの。であるのなら、王の感情の発露も、それ自体は、別に批判されるべきではない、とわたくしは思いますわ。人間はそのように作られたと、神聖典が認めているのですから。まぁ、無論、道徳的に問題なければ、ですけど……」
好き勝手に、感情の赴くままに振る舞ってよいわけでは、もちろんない。大嫌いな野菜を出されたからといって、気分で料理長をクビにするなど、もってのほか!! であることは確かである。
そんなことするヤツは、普通はいないのである! いないのであるっ!!
……とはいうものの、だ。それでは、王の心は全て無視されるべきだろうか?
常に、その感情を飲み込み、我慢し続けることを王は強いられるべきなのだろうか?
それもまた、違うのではないか、とミーアは思う。というか、違っていてもらわないと、他ならぬミーアが困るわけで……。
「人は、心の生き物ですわ。心を殺し続けることは健全ではないですし、その歪みはいつしか、国王を蝕んでいく。そして、国のトップが歪めば、国全体が蝕まれていく。常に感情に左右されず、ただただ正しい判断を下すことができるモノ……そんなものは、人ではありませんわ。人は、心の生き物なのですから」
ミーアの中には、揺らぐことのない、確固たる自信があった。
静かに思い出すのは、自らの家族のことだった。
「わたくしは、ティアムーン帝国唯一の皇女ですわ。わたくしの母、皇妃を早くに亡くした皇帝陛下は、それ以降、新しい妻を迎えようとはしませんでしたの」
思い出す光景があった。
以前、ミーアは言ってやったことがあったのだ。
「お父さま、わたくしに気を遣わずに、新しい皇妃をお迎えになってもよろしいんですのよ?」
っと。そうしたら、父は、いつもとは違い、少しばかり寂しげな顔で……。
「そうすると、なんだか……アデラのことを忘れてしまいそうでな……」
そんなことを言ったのだ。
思い出しただけで、口の中にじゅじゅわっと甘味が広がるような、あまぁい発言である。
思わず口をモゴモゴさせ、その甘酸っぱさを、ごっくんと飲み下してから、
「世の習いに従うならば、後妻を取り、世継ぎを設けるべきだったかもしれませんわ。皇帝の子が一人であることは、国の安定を損なうことだ、と、宰相にも言われたみたいですけど……陛下はそれを聞き入れることはなかった。自分の想いを貫き通しましたの」
ミーアはナホルシアのほうを見つめて言った。
「これは、裁かれるべき罪と思われますかしら? 正されるべき悪である、と、ナホルシアさまはお思いになりますの?」
あるいは……アベルがレムノ王国を放逐された場合はどうか?
レムノ王国の王子でなくなり、国益にかなわなくなったら、彼と結婚しないという選択はあり得るだろうか?
ミーアの答えは決まっている。否である、と。
「国は人の集まり。そして、人の集まりの最小のものが夫婦であるとするなら、愛という感情を否定することは、国民の繋がり自体を否定することになりはしないかしら? 我ら、民の上に立つ者たちが、そのように振る舞っても良いものかしら?」
ここで、さりげなく王の『感情』を、より否定しづらい『愛』へと言い換える。補充したアップルパイの糖分が脳内に溢れ出し、脳みその回転速度を上げていく!
そんなミーアの言葉を聞き、ルスティラが愉快そうに笑った。
「ミーア姫殿下は、ずいぶん、情熱的な方なのですね」
「ふふふ、時折、言われますわ」
笑いつつ、ミーアは口の中に甘味を感じる。愛だの夫婦の絆だのと、甘いことを言ったから、口の中が甘くなってしまったらしい。紅茶を一口、口を漱ぎ……。
「無論、わたくしとて、自身の恋愛を優先するあまり、民に混乱をもたらそう、などとは思いませんわ。そうならぬよう、努力し、できる限り状況は整えますわ。けれど……それらの一切を考慮せず、常に王は感情を抑え、呑み込むべき、というのは間違いであると思いますわ」
それから、改めて、ミーアはナホルシアに言った。
「王であっても、貴族であっても、統治者であっても、我らは感情を持って良いのですわ。愛を持っても良いのですわ。愛を否定する理はない。人は愛し合い、その愛を子や孫に繋いでいくものである、と神聖典も認めているのですから」
それから、ミーアは、残しておいたアップルパイを食べようとお皿の上に目を落とした。
けれど……不思議なことに、アップルパイの姿はどこにも残っていなかった!
――まぁ、いったい誰が……?
などと思いつつ、無意識に口元をナプキンで拭うミーアであった。




