第百四十三話 立ち返るべき威光
ミーアの言葉を受けて、ナホルシアがスッと瞳を細めた。
「それは……どうでしょうか?」
刃のように鋭い視線を受け流すように、ミーアは静かにアップルパイに目を落とす。
フォークでサクリと切り、パクリと一口。
甘いシロップ漬けされたリンゴをシャクシャク、しっとりとしたパイ生地をモグモグ。
存分にお茶菓子を楽しみつつ、紅茶を一口。
――とりあえず、話を振ってみましたけれど、ルスティラさまは……。
っと、そちらに目を向けてみれば……澄まし顔で紅茶を飲んで……あっ! アップルパイのお替りなんかしてるっ!
――まっ、まだ、会話に参加するつもりがなさそうですわ……! ということは、しばし、ナホルシアさまのお相手はわたくしがすることに……。
まるで、湖のヌシの前に釣り竿を落としたのに、まぁったく相手にされなかった釣り人のような気分を味わっている間にも、ナホルシアの言葉は続く。
「様々な勝ち方があるのは、そのとおりです。しかし、国の在りようが多様であっても良いというのはどうでしょうか。もしもそれを認めてしまえば、それぞれの国が互いに正しさを主張し、正義と正義が戦う、そのような世界になりはしないでしょうか?」
そこで言葉を切り、何事か考えるように黙ってから……。
「そんなことになっては、何が正しく、何が間違っているのかが不明確になる。国が……我ら王侯貴族がそのように振る舞えば、民たちもそれに倣って、個々人の正しさを訴え合い、互いに自己の正義を掲げて相争う……そのような混沌が生じるのではありませんか?」
混沌という言葉に、ミーアはピクリと反応する。
紅茶カップに手を伸ばし、香りを楽しむ振りをしつつ、静かに紅茶と、ナホルシアの言葉を吟味して……思うっ!
――たっ……確かに! ナホルシアさまのおっしゃるとおりですわ!
正しさが定まっていないのであれば、それぞれが好き勝手に正しさを訴え、それぞれが信じた……あるいは信じたい正しさの下に集うかもしれない。
仮に、相反する“それっぽい正しさ”を二つ考え付けば、簡単に対立を生み出すことだってできる。実に、蛇が躍動しやすい世界になってしまいそうだ。
これはもしや、ルスティラこそが蛇の回し者だったか!? などと、そちらに視線を向ければ、ルスティラは……余裕の表情でパイを突いている! こんな大事な場面でお茶菓子に意識を向けるやつなんているか!? すっごく怪しい!!
なぁんて、自分を棚に上げて一瞬、疑いかけるも……自身のそばに控えるルードヴィッヒに目をやり、落ち着きを取り戻す。
――いえ……冷静になるべきですわ。ルスティラさんが信用できるということは、他ならぬルードヴィッヒがお墨付きを出していること。普通であれば、このような場面でアップルパイを突くなど常識はずれなことですけど、わたくしの判断で、ルードヴィッヒのお眼鏡にかなった人物を否定するなど、言語道断ですわ!
他ならぬ、ルードヴィッヒのお眼鏡を曇らせ続けるミーアは思う。
自身の判断より、クソメガネ・ルードヴィッヒの判断を優先すべきである、と。
そこには、美しい循環があるのだ!
――しかし、ナホルシアさまのおっしゃることももっともなこと。ううぬ、どうするか……。
甘味が足りぬ! っとばかりに、ミーアは、そっとアップルパイにフォークを伸ばそうとして……気付く。すでに、自身のお皿の上にはアップルパイはなく、ただ一切れ、リンゴの残りが載っているのみ。
丸いお皿の中心に、ポツンとリンゴだけが残った様は、まるで先ほどティオーナが射抜いた的のようで……。
瞬間! ミーアの脳裏に稲妻が走った。
ミーアは落ち着き払った様子で、残りのリンゴにフォークを伸ばし、パクリっと口の中に入れて、モグモグ、モグモグした後……。
「ふふふ、ナホルシアさま。まぁ、そう慌てずに。まだ、感想戦の途中ですわ。馬上弓術のお話もしなければなりませんし……」
そう、今は感想戦の最中なのだ。とりあえず、唯一の正義性の否定とか、なんとか、小難しい話は、いったん棚上げにしておいて、っと、ミーアは続ける。
「三戦目は、わたくし自身も競技に参加させていただきましたけれど、馬上弓術、なかなかに奥深い競技でしたわ」
先ほどの競技を思い出し、ミーアは腕組みする。
「まず、あの速さの中で、一矢も外すことなく的を捉え続けた、ロタリアさんにも、ティオーナさんにも、最大限の賛辞を贈りたいと思いますわ」
パチパチと拍手をしつつ……続ける。
「しかし、馬上弓術、実に良い競技でしたわ。当初、わたくしは競技に臨む際、こう考えておりましたの。馬の速さは捨てるべきではないか、と」
先着を諦め、確実に、的に当てられる速度で走ること。全ての的のど真ん中を射抜ければ、勝てる、と。弓の最高得点が百点、馬の先着得点が五十点であることを考えれば、悪くない選択だっただろう。
「あるいは、逆に、先着を優先し、弓のほうはできるだけ当てれば良い、という考え方もあるかもしれませんけど……」
先着は、それだけで五十点をもらえる。それに加えて、例えば、的を二枚に一枚当てれば良いと割り切って射れば、合計で百点。相手は、完璧に的を射抜くことを強いられる。
「いずれにせよ、どちらかに絞ったほうが戦略的には正しいのではないか、と、初めの内は思っておりましたの。でも……」
っと、そこでミーアはティオーナのほうに目を向ける。
「ティオーナさんに目を覚まさせられましたわ。馬の速さで勝ち、弓の的当てで勝ちましょう、と。我が帝国らしく、正面から、王道を行きましょう、と。そして、その言葉は正しかった。どちらかを捨てていれば、勝てませんでしたわ」
「そうですね。馬の能力と乗馬技術、弓の技術、騎手と射手の息を合わせること……どれも欠かすことのできないものでした。そして、そのいずれもが帝国の側が勝っていました。素晴らしい勝負でした。久しぶりに、血が滾りました」
なぁんて、少しばかり興奮した様子のナホルシア……。どうやら、馬上弓術は、馬好きかつ弓上手なナホルシアには特に刺さる競技だったらしい。その賞賛の言葉には、裏表はないように見えた。
「ふふふ、イスカーシャさんとロタリアさんも手強い相手でしたわ。さすがはオリエンス家の姫君ですわね。その愛馬、白点花も素晴らしい馬でしたわ。状況が異なれば、我が愛馬、東風をもってしても、速さ勝負では負けていたことでしょう」
きちんと、相手を褒めるのも忘れないようにしつつも、ミーアは言った。
「それにしても勝利のためにいろいろ考えた後、最も正しかったのは、正道、王道に立ち帰ることだった、というのも興味深いことだと感じますわ」
それから、ミーアはこっそりと心の衣装ケースから分厚い着ぐるみを取り出した
「国もまた、同じではないかしら?」
親友の威光、聖女ラフィーナの威と言う名の獅子の着ぐるみを!
「我らにとっての勝利は何か……。それは、民を安んじて治めることではないかしら? 正道、王道たる正義とはなにか? それは、神聖典ではないかしら?」




