第百三十九話 ミーア姫、自らに役割を課す!
――ううぬぬ、これは……。
的を眺めながら、ミーアは唸った。
五枚目の的を過ぎ、六枚目。
相手の青い的の端に、かろうじて矢が刺さっていた。
それを見て「おっ! これはっ!」っと思うミーア。思わず、ニヤリとしそうになるも、ここは我慢。
ほどなく七枚目。またしても真ん中に当たっていないのを見、同時に、背後でしゅぱんっと気持ちよく、的に当たる音を聞く。
――これは、もしや……、楽勝なのでは……?
っと思うも、八枚目を見た瞬間に眉をひそめる。
先ほどよりも、矢が的の中心に近づいているように見えた。
さらに、九枚目、十枚目が綺麗に的の中心を捉えているのを見て、ミーアは敏感に察する!
最初の数枚は確かに外していたが……その後の流れを見るに、これは後半、伸びてくる気配がする!
――くっ! ティオーナさんの弓術だけで楽勝かと思いましたけど……乗馬でも先着を取らなければいけなそうですわね!
そうして、ミーアは幻視する。
今まさに、後方から全力で追いかけてくる断頭台の姿を!
「らっ、ラストの直線ですわ! なんとしても勝ちますわよ! はいよー! シル……とうふー!」
一瞬、ノリで名前を間違いかけて、慌てて言い直す。
やる気を出させたい相手の名前を間違えるなど、言語道断! きちんと名前を呼んでやらねば、と。結果として、なんだか、滋味に溢れた料理名みたいになってしまったが、それはさておき……。
ミーアの雄たけびを聞き、マイペースな東風は、いつものほほんとしている東風は――なんと! その足を速めた! なんとっ!!
東風は軍馬である。
その走りは、どちらかと言えば短距離のラストスパートよりは、ロングスパート向きで。だからこそ、最終コーナーを回った時点で、一馬身半の差をつけていたのだ。
じわり、じわりと、スパートをかけて、差を広げようとしていたのだ。
されど、この差……。相手が月兎馬であることを考えれば、一馬身半であれば、あっという間にひっくり返る。短距離の月兎馬の加速は決して油断して良いものではないのだ。
ゆえに……東風はぬぼぉっとしていた目をキリリッとさせた! ……ように、ミーアは感じた。
そう、東風は抱いているのだ。ミーアと同じ危機感を……。
だからこそ、東風は使う。
戦場でいざという時に発揮しなければならぬ、掛け値なしの全力疾走……。
乗り手の命の危機を救うべく、最後の最後、ギリギリまで残しておく体力を……惜しむことなく使用するのだ!
……なぁんて格好いいことを東風が考えたかどうかは定かではないが……、ともかく東風はジワリと速力を上げていた!
「おお! 良い調子ですわよ! その調子ですわ! 東風!」
加速を感じたミーアも声をあげる!
同時に、できるだけ風を受けないよう、体を前傾させて東風に引っ付く。
東風の動きを邪魔しないよう、呼吸を合わせる。できるだけ軽いお荷物になることこそが、今、この瞬間に、ミーアが自身に課した役割なのだ。
「ティオーナさんも、わたくしにしっかりつかまって、合わせてくださいまし!」
「はい。わかりました!」
一方で……。
――なんでっ! このっ!
イスカーシャは焦っていた。
最後の直線に入った段階で、相手との差はおおむね二馬身に届かないぐらいだった。
白点花の脚力であれば十分に逆転は可能だと……彼女はそう判断していた。
「大丈夫、ここからなら、逆転できるわ」
ミーアたちのほうに目をやり、白点花に合図を出す。
それに合わせて、白点花が加速……するはずだった。なのに……。
――このぐらいの速さなんだから、体力だってまだまだあるはずなのに。
ミーアの乗るあの馬は、一線級の月兎馬には劣る速度である。その馬に現時点で負けているということは、つまり、それだけ白点花が体力を温存した速度で走っていることになるはず。だというのにどうして……。
イスカーシャは知らない。
普段から、馬に完璧な走りをさせている彼女は……気持ちよく全力で白点花に走らせている彼女は……知らないのだ。
速度を上げたり下げたりすることは……最初から高速で走るよりも体力を使うのだということを……。
……そして、ミーアは知らない。
遠く離れた地で、某医学に詳しいお嬢さんが……。
「インターバルトレーニングか……なるほど、心肺機能の強化に……。うん、ミーアさまに良いかもしれない。毎日、十本ぐらいやると体力もつくし、万が一、賊から追いかけられた時に逃げ切る体力もつくだろうし。一石二鳥ね」
なぁんて、ミーア健康化計画に取り込もうとしていたりすることを!
……まぁ、それはどうでもいいこととして。
イスカーシャは想定しているより伸びてこない白点花に、自らの失敗を悟った。
――くっ、ペースを乱された……競技が始まる前からすでに勝負は始まってたんだ。
今にしてわかる。帝国の叡智ミーアの戦略。
天馬姫の話、騎馬王国での馬合わせの話、あの帝国馬の話……。
あのタイミングで、あえて自身を大きく見せるようなことを言い、あの帝国馬への警戒心を最大化させるように振る舞った。
すべては、こちらのペースを乱すためだったのだ。
――結果として、気負い過ぎた私は普段より速く走らせて、ロタリアの弓を邪魔してしまった。まともに走らせれば、速さで月兎馬が負けるはずがないのに!
ロタリアが、相手と同じだけ的に当てていれば、速さ勝負で勝てる自分たちが有利だった。最後の的を当てるまで、きちんとロタリアのペースで走って、その後の直線で追い抜けば勝利は確実だったはず。なのに……。
――お母さまが警戒している相手だから、と……。その警戒心を逆に利用された。
イスカーシャは、ここに来て判断する。帝国の叡智は、母、ナホルシアに匹敵するほどの切れ者だ! っと。
――でも、まだ負けないから。
白点花は月兎馬だ。
オリエンス家の名馬、母の愛馬でもある明陽の子にして、イスカーシャの愛馬なのだ。
体力が削られているとて、地力で負けるはずがない。
イスカーシャの確信を裏付けるように、じりじりと差は縮まりつつあった。
いつものように爆発的に、一気にとはいかないまでも、徐々に、徐々に、差は縮まっていき……あと、一歩、というところで――ゴールラインを越える!
ゴールラインを見守る係の者が旗を上げるのを確認すると同時に、相手のほうに目をやれば……相手のほうの旗も上がっていて……。
「あっ……」
中央、審判台のほうに目をやれば、今まさに審判員が赤い旗と青い旗を持ち上げて……。
その両方を振った!
それが示すものは、すなわち……。
「同着……?」
かくて、馬上弓術の勝負は決した。




