第百三十七話 弓の第一人者、リオラ氏は語る……
「はいよー! とうふー!」
ミーアの、ちょっぴり気の抜ける掛け声を受け、東風が走り出した。
それは、実に堅実なスタートダッシュだった。
ざく、ざくっと強靭な足が大地を蹴るたび、目の前の景色がびゅんっと後ろへ飛んでいく。
ぐ、ぐん、っと体が後ろに引かれるような感覚。それに負けないよう、鐙にかけた足にグッと力を入れて、前傾姿勢を維持する。
ギンッと目に力を入れて前方を睨む。
そうなのだ、今日のミーアは……実は気合が入っているのだ!
普段はFNYけている(精神的な面で、である。肩に力が入っておらず、どんな事態にも対応できる柔軟性を持っているという誉め言葉である。念のため)ことの多いミーアであるが、友のためには、それなりに気合が入るのだ。
FNYけてばかりではないのだ!
ぶわわっと吹き付けてくる風に目を細めつつ、東風の加速を実感する。
「なかなか良いスタートですわよ、東風」
優しく声をかけつつも相手サイドに目をやると、同じく良いスタートを切ったオリエンスの双子姫の姿が見えた。
さすがは月兎馬、こちらよりも遥かに速い。早くも最初の的の目前まで行っているように見えたが……。
――いえ……そう見えるだけ、見えるだけですわ。この距離、しかも反対に走っているわけですし、正直、差なんかわかりませんわ!
焦りは禁物。それに、勝負はただ早さを競うものではないのだ。
前方に目を戻せば、一つ目の的がぐんぐん迫ってきていた。
「ティオーナさん、来ますわよ!」
「はいっ!」
短くも凛々しい答えが返って来た直後……びゅんっと的の横を通り抜ける。
刹那! しゅぱんっと矢が当たる音。
振り返った瞬間、ミーアの目に、的のど真ん中を射抜いた矢が映った。
「おお! お見事! やりますわね、ティオーナさん!」
歓声をあげつつ、ミーアは前方に目をやる!
「わたくしたちも負けませんわよ! はいよー! シルバームーン!」
『いやぁ、私の名前は東風なんですが……』っと思ったかどうかは定かではないが、ミーアの叱咤激励に答えるように、ぶーふっと鼻を鳴らす東風。それから、その走りを速め……速め……たりはしなかった!
安定した走りを崩すことなく、疾走する。
見る間に、第二の的が迫ってきた。
「来ましたわよ! ティオーナさん!」
ぱから、ぽこら、ぱから、ぽこら、しゅぱん。
ぱから、ぽこら、ぱから、ぽこら、しゅぱん。
リズムよく響く音。なんとも心地よい感覚に、ミーアはただ力を抜き、東風の走りに身を委ねる。
余計なことはしない。
オリエンス家の双子に目を向けることもしない。
気にしても仕方ないし、気になったところで、ミーアにできることなどなにも無い。
――東風とティオーナ(ゆみのせんもんか)が最善を尽くせるよう、わたくしにできることと言えば、ただ、応援することのみですわ!
そう確信し、ミーアは声を張り上げる。
「ティオーナさん、また的が来ますわよ! 次は下ですわ! 頑張ってくださいまし!」
若干、その応援がティオーナの集中を阻害しないか、不安がないではなかったが、それさておき。
……ところで、突然だが、矢を的に当てるのに大切なものは何だろうか?
的をじっくりと狙うことだろうか?
しっかりと両の目で的を捉え続けることだろうか?
集中を切らさないことだろうか? 無心になることだろうか?
体幹を安定させることか? 足をしっかりと大地に付けることか?
指の放し方か? 矢の角度か? それとも……。
帝国の叡智陣営における弓の第一人者、リオラ・ルールー氏は語る。
「矢を的に当てるのに大切なものは『的に当たると信じ込むこと』です」
自信満々に、そんなことを……。
その、いささか参考になるとは言い難い答えに対し、続けて問う。
仮に、そうだったとして……では、当たると信じ込むには、どうすればよいか? 常人は、そんなことは、信じられないものだと思われるが……。
そんな問いに、リオラ嬢は笑みを浮かべて応える。
「当たった時と同じように射ること、です。当たった時と同じタイミング、同じ引き方、同じ指のはなし方で矢を放つこと、です。当たった時と全く同じことをやっているのだから当たると信じるのは簡単なこと、です」
腕組みし、しかつめらしい顔をして、続ける。
「前とどこか違う……、なにかズレた気がする……そんな感覚が確信を揺るがし、矢の軌道を歪めてしまう、です」
澄まし顔で指を振り振り、
「だから、大切なのは、一言で言うと……」
もったいぶった表情で、リオラは言った。
「リズムよく射ること、です」
それから指を振り振り、リオラはドヤァッと胸を張って続ける。
「もっとも、ルールー族の戦士たちは、そんなの気にしなくても当てられる、ですけど……」
ぱから、ぽこら……。
ぱから、ぽこら……。
走る東風。
その走りは、驚くほどに一定だった。
それもそのはず、東風は速さを極めた競走馬ではない。戦場を最後まで駆け抜けるタフネスと、騎兵突撃の際に隣の馬に合わせる器用さと、なにより、どんな環境でも一定の走力を発揮する安定性を極めた、帝国軍自慢の軍馬なのだ。
安定した速度で走ることには、定評があるわけで……。
そんな一定のリズムに呼吸を合わせてティオーナは矢を放っていく。
矢を引き抜く。弓に番える。放つ。引き抜く。番える。放つ!
規則正しいリズムで淡々と、矢を放つ。
――なんだろう、なんだかすごくやりやすい。
以前、ミーアを助けに行った時は、こんなではなかった。
もっと必死に、敵に矢を当てることだけをともかく考え、全身全霊をもって集中力を研ぎ澄ませた。
けれど、今回は、そこまで必死にならずとも、すごく気持ちよく射ることができている。
――なんだか、外す気がしない。これなら……っ!
「良い感じですわよ、ティオーナさん!」
前方から、ミーアの励ます声が心地よく聞こえる。
遠く、リオラの応援の声も聞こえた気がして……。
ティオーナはかすかに笑みを浮かべつつ、気持ちよく矢を放っていった。




