第百三十二話 戸惑い
――なんだか、変なことになってきちゃったな……。
乗馬服に着替えたロタリアは、小さく息を吐いた。
白を基調としたその服は、イスカーシャとお揃いのもの。動きやすいので、ロタリアは重宝しているものだった。
変なところはないか、メイドの手を借りて確認。勝負に出るのに相応しいか、きっちりと確認しながら……。
――勝負……勝負かぁ……。カーシャはすごくやる気だったけど……。
弓術披露会が始まってから、ロタリアはずっと困惑していた。
正直な話、姉には悪いのだが……シオンには特に怒りはなかった。
なかなか答えが返ってこなかったのにはイライラしたけど、でも、どうやら、彼がティオーナに想いを寄せているとわかってからは、なるほどなぁ、と思ってしまったのだ。
――あのシオンがそんな無茶な恋愛をするなんて、少し意外で面白いかも……。
などと、ニンマリする始末。
そうなのだ、ご多分に漏れず、真面目なロタリアもまた恋愛ものの小説など嗜む乙女なのである。そのような恋物語があることは、もちろん知っていたわけだが……。
――市井の娘となると、さすがにおとぎ話になってしまうけど……相手はサンクランドに並ぶティアムーン帝国の貴族令嬢。それも、あの新種小麦の発見者の姉君かぁ……。
名声という意味では、悪くない。
現在、大陸各国を襲う小麦の不作によって、ミーア二号小麦は影響力を増している。
――民を飢えさせないというあの考え方は、我ら貴族の正当性を支える神聖典の思想に合致する。そういう意味でもいい相手だと思うけどな……。
それに、帝国内で田舎貴族と蔑まれているというティオーナに、ロタリアはどちらかと言えば同情的だった。なぜなら、オリエンス家もまた、辺境に領地を構える家柄だったからだ。
むしろ、辺境を重要拠点と考えた初代国王の意を汲み、腐ることなくこの地に繁栄をもたらした、歴代の辺境伯たちをロタリアは誇りに思っていた。
だからこそ、帝国の僻地であってもそれを蔑んだりはしない。現地の部族と良好な関係を築いたり、新種の小麦の発見によって国どころか世界を救わんとするルドルフォン家に対して、むしろ、敬意すら覚えていた。
――でも、結局のところ、どうなるんだろう?
馬上弓術で自分たちは、恐らく勝つだろう。
駿馬として知られる月兎馬に、他の馬で勝てるはずがない。しかも、双子姫の月兎馬は、いずれも、母ナホルシアの名馬『明陽』と騎馬王国の月兎馬との子だ。
まさに、大公家に相応しい名馬中の名馬だ。先着することは疑いない。
――だけど、問題はその後なんだよね。シオン殿下がティオーナさんと結婚しなかったとして、もう一度、オリエンス家との縁談を進めるわけにはいかないだろうし。
恐らくは、サンクランドのそれなりの貴族との縁談になるのだろうけど。
――あるいは、ヴェールガ公国の貴族令嬢とかもあり得るのかな……。聖女ラフィーナとは、生徒会の仲間だったって聞くけど、もしかして……。
なぁんて、想像までしてしまうわけだが……。
いずれにせよ、ロタリアは、この勝負にそこまでの意義を見出せずにいた。
なんというか、自分とは関係のないところで、いろいろなことが進行していく感じ。本当は、一番関係しているはずの自分が、一番、遠いところにいるような……。
――お母さまには、なにかお考えがあるのかもしれないけど……。
『良い知識であるのなら、できるだけみなが知っておいたほうが良いと思いますの』
その時だった。ふいに、脳裏にミーアの声が響いた。
――なんでだろう……あの時のミーアさまの言葉が頭から離れないな。
それは、ロタリアの中、目の前の現実より遥かにはっきりとしたリアリティをもって迫ってきた。
まるで、霧が晴れるかのように、目の前の道を照らす、その言葉は光のように感じられた。
――私がこれからすべきこと、したいこと……生きていく意味……か。
オリエンス大公家の娘として、多くの民の上に立つ者として、何を成すべきか……。
政略結婚によって、権力を盤石にし、サンクランド王国の安定を守ることこそが、なにより重要である、と……。そう考えていたのだけど……でも。
「着替え終わった? 入るよ、ロタリア」
入ってきたのは、姉、イスカーシャだった。ロタリアの顔を見るなり、眉根を寄せた。
「大丈夫? ロタリア? ボーっとしてる。やっぱり、ショックだったのね。可哀想に……」
などと言いつつ、顔を覗き込んでくる。
「え? あ、うん。まぁ……」
などとあいまいな返事をすると、イスカーシャは後ろに回り、
「髪をまとめてあげるわ。じっとしていて」
そう言って、手際よく櫛を入れていく。一つにまとめると、その上から帽子を乗せて……。
「……本当は、私の手でシオンのやつに目に物見せてやろうと思ってたけど……やっぱり、あなたが、自分の手で矢を射たほうがスッキリするかな……」
「え……?」
驚いて振り返る。
てっきり、イスカーシャが射手を務めるものだとばかり思っていた。
弓の才能に関しても、母から強く継いだイスカーシャのほうが、ロタリアよりだいぶ上のはず。勝利を得ようと思うならば、絶対にイスカーシャが射手を務めるべきところなのだが……。
「いや、でも、射手はカーシャが……」
「大丈夫。あんな貴族の娘になんか、あなたは負けない。それに、シオンへの怒りは、的にぶつけたほうがスッキリすると思うし……実力以上のものが出せると思う」
――シオンへの怒りとかないんだけど……。
などと言えそうな場面ではなく……。
「大丈夫。万が一、同じぐらいの腕前でも、私が馬で勝たせてあげる」
気合の入った顔で、そう豪語するイスカーシャ。
――ううん、やっぱり、なんか変なことになっちゃってるな……。
ロタリアは、悩ましげに息を吐くのだった。




