第百二十六話 曲射
やる気に満ち溢れるリオラを見て、いささか不安を覚えるミーアである。
――ううむ……やはり、先ほどナホルシアさまがおっしゃったこと、聞こえていたようですわね。怒りが殺る気に転化されないか、少しばかり心配ですけど……。
っと、勝負とは違う類の心配が芽生えるミーアであるが、ここは、もう覚悟を決めるしかない。
「では、任せましたわよ。リオラさん。なんとか、二本目をとって、三本目に繋いでくださいまし。ティオーナさんのためにも、よろしくお願いいたしますわ!」
ティオーナのためと言っておけば、そんなに無茶なこたぁやらないだろう! っということで、ミーアは全力でリオラを激励する。
三本目、すなわちティオーナに勝負を繋げば、勝つにしろ、負けるにしろ、ルードヴィッヒも戻ってくるはず。そうなれば、なんとかなる、はず……。
――うむ、リオラさんとティオーナさん、それにルードヴィッヒが頼りですわね!
実のところ、その考えには若干の油断が含まれていたのだが……この時のミーアは気付いていなかった。自分が頑張るのはルードヴィッヒが来た後。それも、ちょっとだけ口を出すだけだと……そう思っていたのだが……。
「それでは、二本目の勝負を始めたく思いますが、準備はいかがですか?」
ナホルシアが弓を片手にやってきた。動きやすいものに着替えたのだろう、ぴっちりとしたシャツとズボンの上から、矢筒を背負った弓兵スタイルがバッチリ決まっている。
「リオラさん、いかがかしら?」
リオラは……普段と変わらぬメイド服のままだった。肩に矢筒を背負っているのを見ると、着慣れている物のほうが良いということだろうか?
弓の張り具合をチェックしていた彼女は、自信満々にニカッと微笑み、
「はい、準備万端、です」
小さく頷くのだった。
「それでは、せっかくですし、開始の合図はミーア姫殿下にしていただきましょうか」
スタート位置についたナホルシアが、そんなことを言った。
「あら、わたくしですの? こほん。それでは……」
ミーアは小さく咳払い。それから手を大きく上げて、
「はじめっ!」
声をあげる! と同時、ナホルシアが走り出した。
女大公という高位の身分にもかかわらず、その疾走は戦場を駆ける騎士のごとく鋭い。
砦の前に設置された的は、どれも真正面からは狙いづらい。無理にその場から射るよりも、ある程度近づき、側面から射たほうが当てやすいということなのだろう。それは、ミーアのような素人にもわかる話だった。
さて、一方でリオラは……っと視線を向けると、なんと、その場で早くも矢を番えていた。
「えっ……」
驚愕の声をあげるミーアの目の前で、リオラは次々に矢を放っていく。
空高く、まるで太陽を撃ち落とすかのように、高く、高く、高く!
一射、二射、三射……。砦の方角へと飛んでいく矢。
「どうして……ここから射ても、当たらないはず……時間を浪費するだけなのに……」
後ろで聞こえたロタリアのつぶやきに、ミーアも賛成だった。
なぜなら、的はこちらに背を向けているはずで……。ここから真っ直ぐに撃てば、的を付けた藁人形の背中を穿つだけのはずで。
――あの人形を貫通させて的に当てようというわけでもないでしょうに……いったいどういう……あっ!
直後、ミーアは思い出した。的の……角度のこと……!
そうなのだ。恐らく、リオラは先ほど確認していたのだ。
屋上の的が、わずかに傾いていること……。
すなわち、上から降って来た矢は……刺さる!
――いえ、でも、そんな正確な場所に矢を落とすことなど……。
直後、矢が屋上へと降り注ぐ。矢が的に当たる甲高い音が響いて……。
それを確認することなく、リオラは走り出していた。そして……ナホルシアはさらにそれに先行していた。
恐らく、ミーアよりも早く、その可能性に至っていたのだろう。リオラの行動に一瞬、足を止めていたが……。
「そういうことか。ちょこざいな!」
勝気な笑みを浮かべつつ、再び走り出したのだ。
そうなのだ……事前に屋上の的を射ることができるということは、すなわち……リオラは屋上に登る工程を、そのままカットできるということ。すなわち、ナホルシアが同じような曲射が出来ない限り、彼女の勝ちの目は、リオラが砦二階の的を射抜くより前に、屋上まで上がり、すべての的を射抜くしかないのだ。
果断の女大公をリオラは猛追する。
最初の的を横から射抜き、一歩、二歩、三歩! 勢いそのままに地面を蹴りつけ跳躍!
高々と舞い上がった彼女は、角度をつけて、塹壕に隠れていた的を斜め上方から射抜いていく。
一射、二射、三射!
空中で次々に矢を射る姿は、まるで、森を飛び回る優雅な蝶のようだった。その可憐な姿から放たれる弓の一撃は、ガツン、ガツン、っと小気味よい音を立て、容赦なく的を射抜いていく。
「やれやれ、あれと戦うことにならなくて、改めて良かったと思いますよ。ミーア姫殿下」
ディオンが小さな声で言う。その隣、近衛兵がまったくだ、っと頷いていた。
どうやら、歴戦の戦士たちから見ても、リオラの弓術は脅威らしい。
「確かに、森の中であんな風に矢を射られたら大変でしょうね」
そういえば、はじめて静海の森を訪れた時にも、矢で狙われたんだっけなぁ……なんて、懐かしく思いつつ、ミーアは戦況を見守っていた。
砦前の的をすべて射抜いたリオラは、素早く縄に辿り着き、するすると砦の二階に入っていく。先ほど、縄伝いに、いよーっこいしょー! っと登ったミーアとは比べ物にならない速さだ!
それにわずかに遅れて、ナホルシアが縄に辿り着いた。先行していたはずのナホルシアであったが、リオラは、弓の射線を最短の動きで確保することで、一気にその差を逆転させていた。
――まるで、どこからどう撃てば当たるのか、わかっているかのようですわ。いいえ、よう……ではなく、実際にそうなのでしょうね。
そんなミーアの推測を裏付けるように、リオラが入った数瞬後、かん、かかんっと、乾いた音が響いて……。
「全部、打ち終わった、です!」
リオラの勝鬨の声が上がった!
ナホルシアが屋上に到達するのを待たずしてのことだった。
今日は箱根を見なければ。




