第百二十三話 こっそり海月の奇縁も生まれつつ
ミーアの一口がそんなに小さいわけねぇだろう! とのご指摘を受け、的との距離を縮めてみました。
那須与一の倍の四捨五入ということできり良く200mということで……。
ということでミーアのクッキーは厚さ約5mmの小さなものになりました。
――しかし、こちらとしても、できる限りのことをすべきですわね。
ミーアは打てる手をすべて打つことを決断。忠臣、ルードヴィッヒを呼び寄せる。
「ルードヴィッヒ、一つ頼みがあるのですけど、よろしいかしら……?」
「はい。なんでしょうか……?」
素早く指示を出せば、ルードヴィッヒは合点が言ったという顔で頷き、すぐに踵を返した。その様子をさりげなーく盗み見ていたキースウッドは、一瞬怪訝そうな顔をしたが……。刹那の決断! ルードヴィッヒの追跡を開始する!
さて、そうこうしている内に、ナホルシアが近づいてきた。
「距離は二百m、勝負の内容は十射して当たった数が多いほうが勝ち、ということでよろしいでしょうか?」
ミーアは、むむむっと唸ってから、
「……そう、ですわね。せっかくの機会ですし、もう少し見たいところですわ。二十本ということで……いかがかしら?」
難しい顔で答える。
――十本なんか、あっという間に終わってしまいそうですし。ルードヴィッヒが帰ってくるまでの時間を稼いでおく必要がございますわ。
ミーアの返事を聞き、ナホルシアは感心した様子で頷いた。
「ふふふ、なるほど……。勝つために最善を尽くす、ですか。さすがは帝国の叡智ですね」
「……ん?」
もしや、ルードヴィッヒの動きに気付かれたか? っと一瞬、ひやりとするも、そこは百戦錬磨のミーアである。グッと踏みとどまり、むしろ余裕の笑みを浮かべてみせた。
「……おほほ、ええ、それは無論ですわ。射手の方には最善を尽くしていただきますけど、わたくしも手を尽くして勝ちを取りにいかねば、と思ったまでのことですわ」
「では、二十本中、何本当たるかということで」
ナホルシアは澄まし顔で頷いてから、去っていった。
その背を見送りつつ、ディオンが近づいてきた。
「さすがは姫殿下ですが……、二十本はいささか厳しかったですね」
「あら、そうなんですの?」
「ええ。距離感の調整に何本か使った後が勝負になりますから。こちらは、三から五本は無駄に使うことになる。一方で、先ほどの女大公の様子を見る限り、あのセドリック卿も、ここでの競技には慣れているでしょうから。こちらより少ない本数で調整を終えるでしょう」
「なっ、なるほど……」
「逆に、本数が増えていけば、腕の疲れや風向きの変化でズレが生じる。チャンスはあったかもしれませんが、二十射だと、やや少ない」
っと解説してくれるが、その後ろで、
「いや、ディオン隊長じゃないんですから……」
射手の近衛兵が呆れ顔で口を挟んだ。
「姫殿下、先に申し上げておきたいのですが、相手が、女大公と同じぐらいの腕前だったら、絶対に勝てませんからね? 第一戦は負けと思っておいてください」
「ええ、わかりましたわ。でも……」
神妙な顔で頷きつつ、できるだけ、勝負を長引かせて、時間を稼げ! と言おうとしたミーアだったが……。直後、再びナホルシアが近づいてきたのを見て言葉を止めて……。
「ええと……ベストを尽くし、皇女専属近衛隊ここにあり! とオリエンス家のみなさまに見せつけてほしいですわ! できるだけ集中して……こう、一射、一射を大切に撃つのですわよ?」
たっぷり一射に集中して! たっぷり時間使えよ! と言い含めておくミーアである。
射手の兵士は、わずかに背筋を伸ばして、
「かしこまりました。ベストを尽くします」
っと、表情を引き締めた。
そうして、勝負は始まった。
専攻はセドリックだった。
シオン曰く、弓の達人だという彼は、特に緊張した様子もなく弓を手に取ると、流れるような動作で一射。矢を放つ。
勢いよく放たれた矢は真っ直ぐに的……の端をかすめた。外した!
おっ! っと拳を握りしめるミーアだったが、セドリックは涼しい顔で弓を弾いた。
「少し風があるか……。ふん」
直後、二射目、放たれた矢は、わずかに鋭さを増し、的を射抜いた! 続けて、三射、四射と次々に矢が突き立っていく。
「おおー、すごいですわ。この距離でも当たるものですわね!」
勝負の最中だということも忘れて、思わず歓声を上げるミーア。一方で、ディオンはわずかに呆れ顔で、
「一応言っておくと、一般の兵だと一回でも当たればいいほうですからね」
「あら? そうなんですの?」
「ええ。なので、こちらの射手の結果を見ても、気落ちしないように覚悟しておいたほうがいいと思いますよ」
そんなディオンの言葉通り、結果はセドリックの勝ちだった。
彼が外したのはわずか二本。二十射のうち十八射的中という、驚異的な成績を残したのだ。
対して、ミーアの側の近衛兵は最初の調整に五射、さらに最後の三射も外したため、二十射のうち十二射的中という成績に終わった。
「ぐ……む、むぅ……」
その結果にミーア、一瞬、表情を曇らせるも、申し訳なさそうな顔で戻ってきた近衛兵に、すぐに笑みをみせる。
「お疲れさま、見事な腕前でしたわ」
「申しわけありません、ミーア姫殿下。帝国の代表として出ておきながら不甲斐ない」
肩を落とす近衛兵に対して、ミーアは、あくまでも優しい笑みを浮かべたままだった。
なにせ、皇女専属近衛隊は、ミーアの守りの要である。ギロちんと取っ組み合って、ミーアを守ってくれる頼りがいのある男たちなのだ! 士気を下げるようなことは言えない。
「勝負は時の運とも申しますし、気落ちする必要などありませんわ。それに、地の利があちらにあったということもありますし。あなたたち皇女専属近衛隊の忠義も武勇も、わたくしはよく存じ上げておりますから、あまり卑下するものではありませんわ」
それから、ミーアはそばにいるディオンに話を振る。
「そもそもディオンさんでも、三射は調整に使いたいと言ってましたわよね? であれば、いずれにせよ負けでしたわ」
「そうですね。あれは相手が悪かった」
っとディオンが視線を向けた先、セドリックがゆっくりと歩み寄ってきた。
「どうも、お楽しみいただけましたでしょうか?」
「ええ、お見事な腕前でしたわ。セドリック卿。サンクランドの名うての弓取りの腕前、堪能いたしましたわ」
「いえいえ、姫殿下の近衛騎士殿も見事な腕前でしたよ」
セドリックは上機嫌に笑って、近衛兵に握手を求めた。困惑気味に手を握り返した兵士に、セドリックは悪戯っぽいウインクをする。
「勝利のカギは娘を思う父の想い、といったところだね」
そんな余裕の軽口に、近衛兵は複雑そうな苦笑いを返していたが……。
「さぁて、娘たちにも褒めてもらおうかな」
ウッキウキと踵を返したセドリックの背中に、悔しげな目を向けていた。
ちなみに、これは完全な余談だが……この近衛兵はこの日の悔しさを胸に、この後、ルールー族の戦士に弟子入りし、女帝専属近衛隊有数の射手として名を馳せることになる。その際に師事したルールー族の老兵は、前の時間軸、彼を射殺した男だったりするのだが……。
憎悪すべき敵から、尊敬する師へ。
これもまた、巨大海月ミーアの巻き起こした波紋が生んだ奇縁と言えるだろう。




